16時30分。
日菜が公園に入ると、すでに少年はいた。
砂場の真ん中にうずくまっており「ルイがいません」と小さな声で言っている。
日菜はゆっくりと少年に近づいた。九条はまだ来ていない。
「今、話しかけても大丈夫かな」
日菜の中で精一杯の優しい声を出す。
少年は一度顔を上げて日菜を視界に入れたがまた、膝と膝の間に顔を埋めてしまう。
すぐそばの木から蝉の音が聞こえてくる。
日菜は額から伝う汗を手の甲で拭って少年の前にしゃがんだ。
「その、ルイって人はいつからいなくなったの?」
少年は答えない。
少年は人差し指で砂の塊を乱した。小さな砂が日菜の靴のつま先に散る。まるでどっかに行けと言っているようだ。
「ねえお願い、教えてほしいの、ルイって」
「宗馬っ」
日菜の言葉はそんな声に遮られた。日菜は声のした方に顔を向ける。
公園の入り口に立っていたのは母親とみられる女性であった。片手には先日と同じようにスーパーで買った食材が詰め込まれている買い物袋が握りしめられている。
「宗馬、帰るよ」
少年は顔を上げて母親の方へと走り出した。
母親は日菜を視界に一瞬入れただけで、あえてか日菜の存在を無視するように顔を逸らした。
日菜は立ち上がり、少年のあとを追うように母親に近づく。
少年の手を握るやいなや逃げるように歩き始めた。
「あの」
母親は日菜の声掛けを無視するが、日菜は以前は持っていなかった警察手帳を片手に母親の前に立った。
「警察です。少し話を伺えますか」
母親は驚いたように肩を上げて、「警察」と呟く。困惑したように少年の体を引き寄せて少年の頭を撫でた。
「この子が何かしたんですか、すみません、あの、私、わざと置き去りにしてたわけじゃ、少しの間なら大丈夫かなって、この子と遊んでくれてる子もいたから…」
震える声でそう言った母親。日菜は九条が言っていたことを思い出す。1人で置き去りにさせていることに罪悪感があり、自分自身をも責め四面楚歌の状態だと。少年は何も知らない瞳で自らの人差し指を口の中に入れたまま日菜をじっと見つめている。
この子と遊んでくれてる子もいたから、と今この母親は言った。それがおそらく少年が言っている「ルイ」であり、今行方が分からなくなっている花田瑠衣歌だ。
先ほど母親は少年の名を呼んでいたことを思い出し、日菜は丁寧に言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。
「宗馬くんが何かをしたというわけではありませんが、宗馬くんと公園で一緒に遊んでいた誰かが、今行方不明になっている方かもしれないんです。その件でお話をききたいのです」
母親は泣きそうな瞳で日菜を見つめる。
自分の息子が自分の知らない間に何かをしたのではないかと不安で押しつぶされそうになっている。
まだ真実は分からないからこそ、ここで話を聞かなければならない。
日菜は一枚の写真を取り出した。
「この人に見覚えはありませんか」
日菜が差し出した写真を母親はじっと見つめる。
そして首を横に振った。
「分かりません」
なんとなくそんな気はしていた。母親は公園に誰がいたとしても誰かに責められることがないように逃げるように去っていたからだ。息子がどこの誰と遊んでいたのか分からないのも無理はない。
日菜は自分のスマホを取り出し、防犯カメラに写っている花田瑠衣歌の写真を母親に見せた。
「この女性は公園に入っていき、そのあと宗馬くんも公園に入りました。ここで接触しているはずなんですが」
「わっ、私はいつも公園に入らずに入り口で別れるし、迎えに行く時も入り口から名前を呼ぶだけで、中に誰がいたかは分からないんです。だから、この子しか…」
母親が宗馬を視界に入れてまた泣きそうな表情をみせた。そして唇を噛んだ。震える手で宗馬の頭を撫でる。
「この子、自閉スペクトラム症なんです」
「自閉スペクトラム症…」
「こだわりが強くて、気持ちや感情を上手く言葉にだせないし、会話も難しくて」
「そう、なんですね」
「母親なのに、この子のこと何も分かってあげられてない。公園で誰と遊んでどんなことをしたのかも私には分かりません」
母親の瞳から落ちた雫が母親を見上げている宗馬の頬に落ちた。宗馬は不思議そうに母親を見つめている。母親は詰まるような声で「ごめんね」と自分の伝う涙を拭うより前に宗馬の頬を優しく拭った。
では、「ルイ」のことをこれ以上ききだすのは無理だということなのだろうか。日菜は母親への同情と同時に不安が押し寄せてきていた。進んでいるはずなのに、進まない。
日菜はスマホ画面に写っている花田瑠衣歌を見つめた。
なぜ、彼女はギターを抱えて公園に入ったのだろうか。
「もしかして、公園でギターを弾いていた…?」
この公園で花田瑠衣歌が宗馬に音楽を聴かせていたとしたら。日菜は再度母親と宗馬に向き直る。
「姿を見ていないとしても彼女、ギターを弾いていたり歌を歌ったりはしていませんでしたか?」
母親はしばらく考えるように唸ったあと、「ああ」と声を出した。
「ギターの音は確かに聴こえてました、でもさすがに歌までは。私が迎えに来た時に音楽はすぐに止んでましたから」
ということは花田瑠衣歌は宗馬のためだけに音楽を聴かせていたということになる。
日菜は色々と思考を巡らせた。花田瑠衣歌はヒルイの曲を宗馬に聴かせていたのだろうか、だとすれば世間で流れているヒルイの曲を宗馬に聴かせて公園で聴いた歌声かどうかを確かめてもらうことはできるかもしれない。
だが、花田瑠衣歌が花田瑠衣歌としてここの公園に来ていたとすれば九条の言うようにヒルイの殻を破るためにもがいている中で宗馬に音楽を聴かせていた可能性もある。
ーーー花田瑠衣歌は、少年に何を歌ったのだろう。



