日菜は体を椅子ごと横にずらしてパソコンの正面に空席の椅子を持ってきた日菜。「ど、どうぞ」とぎこちなく浦井を促したが浦井は軽く舌打ちをしてその椅子に座る前に「ちょっとパソコン持ってきます」と一度その場を離れる。
その姿を目で追いながら少し心配になって大宮の方を見れば大宮は親指を上に向けて口角を上げた。
「よかったな、すぐに真実が分かる」
「大宮さん、ちょっと強引すぎますよ。浦井さんがかわいそうです」
「手続きがめんどくせえんだよ、身近で使えるもんは使っとけってやつだ」
大宮はそう言って短く笑ったあと、再度停止している映像を見つめる。「ただなあ」と苦い顔をした。
「マスクしてんだよなあ、こいつ」
人差し指で映像の中の彼女を軽くはじいた大宮。
髪の色は金髪、背中に抱えているのはギター。日菜は映像に映っている彼女が花田瑠衣歌だという確信があった。
だが確信があっても証拠がなければあの親子に話を聞くこともできない。
鮮明に写っている捜査資料の写真の目元を見つめる。
日菜は「あ」と声を出した。
「お待たせしました。さっさとやって帰りますからね俺」
日菜が花田瑠衣歌の写真の目元の小さなほくろに気づきた時、パソコンを取りに離れていた浦井が戻ってきた。やけに使い古されたパソコンである。
自らのパソコンを開くと手際よくいじりだし、日菜が使っていたパソコンを少々乱暴に自分の方に引き寄せカタカタとキーボードを打ち始めた浦井。
大宮と2人顔を見合わせ、日菜は再度険しい顔をして作業をしている浦井の横顔を見た。
日菜が「今は何を」と問いかける前に浦井は鬱陶しそうに口を開いた。
「今データをこっちにも送ってます。なんすか、なんか気になることでも?しようもないことだったら無視しますけどね」
歳は日菜の方が幾分か下である。敬語だがその中には荒さを含んでいた。帰ろうとした時に捕まえているのだから当然だ。大宮にたいしても同じような態度であるので日菜はいちいち傷ついていられないと、浦井の近くに花田瑠衣歌の写真を持っていく。
「彼女、右の下瞼のところに小さいんですがほくろがあるんです。映像で鮮明化すればこれは見えるようになりますか?」
浦井は一瞬写真を見たあとキーボードを叩く手を止めないまま、
「まあ、大丈夫じゃないっすかね」と軽い口調で返事をした。
本当か?という疑いの本音を日菜は飲み込んで浦井のパソコンを見つめる。
英語の文字や数字が並んでいた。さっぱり分からない画面にくらりと眩暈がする。
しばらくして、日菜が見ていた映像が画面に出てきた。先ほどの日菜が停止をした映像と同じであり、鮮明度も変わらず中にいる彼女はぼやけていた。
「そいつの写真のデータ、若月さんのパソコンに入ってますか」
「入ってます、データ送りますか?」
「どれっすか、自分で開きます」
そう言って浦井は日菜のパソコンを引き寄せていじりはじめる。どこまでも信用がないものだと日菜は少々むっとしながらも「捜査資料のファイルの中です」と答えた。
すごい速さでキーボードをうち、再び自分のパソコンに向き直ると「よし」と小さな声をだした浦井。
「つまり、目元だけでこの映像の女と写真の女が同一人物か判別しろってことっすよね」
「そうです」
日菜がそう返事をすると、「できんのか」と大宮が好奇心を隠すことなく表情に出して浦井のパソコンに顔を近づけた。
日菜も少し浦井の方に椅子を寄せてパソコンを見る。
「そもそも防犯カメラの映像の解析には限度がありますが、写真と照合してみます。違っても俺悪くないんで普通に帰らしてくださいね」
「分かってっから早くやれ」
大宮に軽く頭をはたかれ、「はいはい」とふざけた口調で返事をしてキーボードを打ち始める。
停止していた映像の彼女が大きく映し出され、浦井がエンターを押すとその姿が鮮明になっていく。
そして浦井は「まだだな」と呟いて、またキーボードをすごい速さで打ち始め、映像の彼女の顔を大きく映した。そして、3段階ほど画面が切り替わり、鮮明になった彼女の顔。
「照合します」
浦井はそう言って、エンターを押す。
日菜はふとピアノを弾き終わった後満足げに膝に手を置いた九条と、パソコンから手を離しにやりと笑って手を膝付近に落とした浦井がどこか重なってみえた。
達成感か。自分はいつになったら自分の成し得たことでそんな気持ちになることができるのだろうと考える。
パソコンから「キュイーン」という機械音が聞こえる。
日菜は我にかえったようにパソコンの画面を見つめた。
映像の彼女と写真の彼女が重なり、青色の蛍光の線が上から下に流れていく。
ぴっという簡素な機械音のあと、表示されたそれに日菜は思わず腕を上げた。
「一致!」
日菜は大宮の方をみる。
大宮は頷いた。
「行ってこい」と瞳が言っていた。
日菜は立ち上がり、椅子にかけていたスーツのジャケットを着て2人に「ありがとうございました」頭を下げる。
「花田瑠衣歌の件っすよね、俺は今のところ係違いますけど手伝えることあったらまた言ってください、勤務中に、ですがね」
浦井は「勤務中」という言葉をやけに強調した。日菜はそんな浦井に苦笑いを浮かべながら返事をする。
「では、聞き込み行ってきますんで、失礼します」
「なんか情報掴んだら逐一」
「報告します!」
荷物をかき集めて、日菜は大宮の言葉を遮るようにそう言って部屋を出ようとするが「若月!」と大宮から呼び止められる。
日菜が振り返った時、大宮は日菜に何かを投げた。
小さなそれを落とさないように日菜は両手でキャッチをする。両手を開くと中には車のキーが収まっていた。
「車使え、事故るなよ」
「ありがとうございます!」
掴んだ小さな希望とともに日菜は走りだした。
日菜は車に乗り、出発する前にゆっくり息を吐く。1人で行動する時に衝動で動いてしまわないように自らの気持ちを落ち着かせた。腕時計をみる。
16時15分。今日もあの親子は来ているかどうか。
日菜は鞄からスマホを取り出し、電話をかける。
その男は2コールほどで出た。不機嫌そうな「もしもし」が日菜の耳に入る。
「九条さん、今からあの公園に来れますか」
「公園?」
「いろはとの前の公園です」
「今から楽器の手入れしようと思ってんだけど」
「そんな楽器の手入れなんて」
「『手入れなんて』って お前人の商売道具にそういうこと言うなよ」
「すみません、だけど…分かりました!手入れ今度手伝うんで今日は力貸してください」
「何か分かったのか」
「やはりあの公園に花田瑠衣歌は来ていました。少年に接触している可能性があります」
九条はしばらくの沈黙の後「分かった」と返事をして一方的に電話を切った。
日菜は鞄の中にスマホを戻してハンドルを握った。



