ーーー『ソドシラ、扉が開いたら、愛の歌、また小さな公園で歌おう』
日菜だけではない、鍵盤を叩くことをやめた九条の頭の中にもヒルイの言葉がよぎっていた。
「これは、愛の歌なのか?」
九条がゆっくりとした口調で少年に問う。少年はただただ九条の手にあるスマホをじっと見つめている。
九条はまた、1音鳴らした。
「392」
少年の口から溢れた数字。
日菜は九条と少年を交互に見た。九条が1音鳴らして少年が数字をいい、また1音鳴らすというのを数回繰り返す。
成り立っていないはずなのに、会話をしているようだと日菜は思う。だが、日菜にはその内容が分からない。
しばらくその様子をみていると、少年の顔が九条の手元から公園の入り口の方へと向けられる。
日菜もそちらのほうに目を向ければそこには入り口にある木で体や顔ははっきりと分からないものの、保護者らしき女性が立っている。
少年が女性の元へ走り出したため、日菜は慌てて後を追った。
女性は少年の手をとり、歩き出そうとする。
「あ、あのっ」
公園の入り口を出て慌てて呼び止めた日菜。女性が足を止めて日菜の方に振り返った。
あとからきた九条が日菜の横に立ち「いいとこだったのに意外と迎えがはやかったな」とボソリと呟く。
女性に聞こえていたらこわいので九条の言葉は完全にスルーして日菜は女性に声をかけた。
「少し、お伺いしたいことがありまして」
女性の顔があからさまに強張った。
何を言われるのだろうと警戒している。
日菜は自らの緊張をもとくようにへらりと笑った。
警察手帳もなければ、ヒルイの顔写真も今手元にはない。
「なんですか」
女性は少年の背中に手を置いて引き寄せ守るようにして日菜達の方を睨みつけた。違和感がある。ここまで警戒しておきながら、なぜ少年を1人で公園に置いていったのだろう、と。
女性の手にはスーパーで買ってきたのか食材が入った袋を持っている。
「私たち人を探してまして」
ヒルイの顔写真さえあればすぐに見せて見覚えがあるかどうかをきけるがそれができないとあれば言葉で説明するほかなかった。
「人?」と怪訝な顔をした女性に日菜は慌てて言葉を続ける。
「髪の色は金髪で、肩につかないほどのボブ、腕には蝶のタトゥーが入っている女性なのですが、ご存知ありませんか?」
女性は眉間に皺を寄せた。
「知りません」
「では、お子さんは」
日菜は少年の方に目を向ける。少年は日菜の方ではなく九条の方を見つめている。
「先ほど、『ルイがいません』と言っていましたがルイとは花田瑠衣歌さんのことではないですか?」
あくまで少年にきいてみたが、少年は答えない。
日菜の目の前で女性はため息をつく。
日菜は改めて少年の母親であろう女性の顔をみた。目の下には隈があり疲労感が滲み出ている。
「この子に聞いたって分からないですよ。もういいですか」
「あ、あの、でも」
「ちゃんとやってますからっ」
女性の金切り声がそこに響く。
日菜は肩を上げた。
「この子を置いて逃げたりしてないです、どこにも行きませんから、許して」
「あの、何を言って…」
「失礼します」
日菜の言葉を遮るように女性は低い声でそう言い放って背中を向けて歩き出した。
少年は女性にひっぱられるようにして歩き出したが、ふとこちらを振り向いて手のひらを日菜たちの方に向けゆらゆらと揺らした。表情は無表情であるが、手を振っているのだと理解し慌てて片手を振る。
隣を見れば九条も同じようにしていた。



