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入り口の扉が開いた。
一度カランと鳴って、勿体ぶるように扉を揺らせば余韻でまた鳴って、閉めた時の衝撃で最後に強く鳴る。
来た。
「おまたせ日菜」
頭上からそんな声が聞こえて日菜は顔を上げた。
久しぶりにみる友の顔は学生の頃より大人びているように見えた。同じように歳を重ねているはずなのに誰もが自分より先を走っているような気がする。
過去に縛られてもがいているのはもしかしたら自分だけなのかもしれないと日菜は思った。
大きく膨らんだ友のお腹をみる。
「全然待ってないよ、ごめんね大変な時に」
「大変じゃないよ、少しは外に出た方がいいって夫にも言われたし」
「何月に生まれるんだっけ」
「予定は10月」
「あと1ヶ月ね」
「そう1ヶ月」とはにかんで人差し指と中指を上に向けた彼女は、日菜とは幼馴染で友達の美結である。幼稚園から中学までは共に学校生活を過ごしずっと一緒にいたが高校からは別々の学校に通っていた。だからといって完全に疎遠になることはなく時間が空けば会い、社会人になってお互い忙しくなれば電話でよく話していた。直接会うのは美結の結婚式以来である。
集合したのは学生の頃からよく2人で行っていた純喫茶だ。コーヒーをこれでもかと甘くして2人で飲んでいた。今では、仕事上ブラックコーヒーに慣れてしまいただのカフェインをからだにぶち込むだけのものとなっていた日菜にとって、ここで友と飲むコーヒーは一味違うような気がしている。
店員が美結のお腹を視界にいれ、「カフェインレスのコーヒーがありますがいかがなさいますか」とにこやかに問いかける。
美結は「ではそれで」と嬉しそうに頷いた。
「電話ではちょくちょく話してたから久しぶり感ないけど、やっぱり直接会えると嬉しいね、元気だった?やっぱり刑事の仕事って激務でしょ」
「まあ、そこそこ忙しい、かな」
正直言ってここまで激務だとは思わなかったレベルで激務だが友達に心配をさせたくないという意志が勝ったためへらりと笑い誤魔化し口調で日菜はコーヒーを一口飲んだ。
「ちゃんと寝れてる?」
「まあまあ」
「日菜は辛い時どっちつかずな返事して誤魔化すことあるよね」
「え、そう?」
「そうだよ、高校の時も何かあったのは明白だったのに意地でも私には話さなかったでしょ」
日菜は「ええ、そうだったかな」と置きかけたコーヒーカップをまた口元に持っていく。
ああ、こういうところだと気づいて上唇に触れたコーヒーを口の中には入れないままカップをテーブルに置いた。
カシャンと音が鳴る。日菜は美結の方をみた。
ああ、母の顔になっている。一緒に時を過ごし、励まし合って前に進んでいた友達が、自分とは別のところにいる。よかった、嬉しい、いいなあ、自分も、こうなりたかった。
誰かがいう、人はないものねだりだと。違う道に自ら進んだはずなのに行き止まりをくらうと別の道が恋しくなる。
些細なものなはずなのに大きな分岐点。
たった1つの行動で人生はいとも簡単に左右される。
「あの時、本当は色々あって、でもそれがなかったら刑事にはなってないんだけど、えっと、もう10年も前のことだし、なんで引きずってんだって話なんだけどさ」
「いいよ、無理に話さなくて」
「美結…」
「友達だから、恋人だから、家族だからってなんでも話さなきゃならないなんてそんなことないと思う。さっきの言い方、日菜のそういうところを責めるような言い方しちゃったね、ごめんね」
日菜は首を横に振った。言葉はつっかえて出てこなかった。美結は人の感情を表情や些細な仕草でなんとなく察することができるのだと日菜はつくづく感じた。こういう人間になりたかった。そうなれば、あの音楽療法士からも話をもう少しきけたはずなのに。
疑いを隠さないまま相手に曝け出し、ただ嫌悪感を抱かせてしまった。
次こそ、と日菜は膝の上で拳を握る。
「ここの喫茶店変わんないよね」
雰囲気を変えるように美結がそう言った。
美結と同じように日菜もあたりを見渡す。昭和レトロな雰囲気が溢れていて、壁に貼ってあるポスターなども昭和っぽさが出ている。
そして最近はレトロブームがきており、店の中にいる客層も幅広くなっている。若者は写真をとってSNSにあげるのだろう。
「本当だね。私たちが学生の頃は周りおじいちゃんおばあちゃんだらけだったけど」
日菜の言葉に美結は「それな」と笑みをこぼしながら目の前のコーヒーにミルクを入れる。
コーヒーの表面に白の模様ができていく様子を日菜は眺めていた。美結は変わっていく、でも変わっていないところもある。こうやって昔一緒に行った場所で語り合いながらコーヒーを飲む。当時と同じことをしてみれば、友の変わらない部分を垣間見ることができる。電話では分からないことだった。
日菜は膨れていく幸福感と共に笑みをこぼした。
「ここに待ち合わせして、美結が後からくる時さ、わざと入り口のドアベルめっちゃ鳴らすでしょ。今日もそれで美結が来たって気づいたよ」
「あははっ、もうここに来た時の癖だね」
日菜にとってその入り口の音は救いの音のようにきこえていた。楽しいことがあった時、悩みがある時、誤魔化さずに相談しようと決心した時、美結がここに来てくれる。
「それを言うならさ、日菜はここに来た時いっつもあれ口に出して読んでたよね」
美結は日菜の背中側の壁に貼ってある1枚のポスターを示した。
黄色の背景に昭和っぽさ満載の男の子のイラストが笑顔で描かれており、手にはトマトを持っていた。そして男の子の頭上には赤色の文字が横に連なっている。
「がかいトマトいかあ」
「あかいトマトいかが、ね。いっつも逆に読むんだから」
美結がクスクスと笑う。この反応がいつもみたくて日菜はわざとそう読んでいるのだ。
昭和レトロなポスターの数枚は左から右に読む文字の並びではなく、右から左に読む仕組みになっていた。喫茶店自体はそこまで古くからあるものではないが、おそらく店主の趣味であろう。
「久々にこういう感じで話せて嬉しいね、日菜。やっぱり私たち何も変わってない」
「そうだね」
旧友と笑い合う時間の中、日菜の頭の中にはヒルイの1つの投稿が過っていた。
カラン、と喫茶店のドアが開き若い男女が店の中に入ってくるのを日菜は視界に入れた。
扉が開いたら、愛の歌。
自分以外からみたらなんてことない音でも、自身にしてみれば大切な音。
日菜からしてみれば、美結が喫茶店の扉を開ける時の音が救いの音のようにいつも聞こえていた。
大好きな親友が自分のもとに来てくれた喜び。何を話そう、美結はどんな話をしてくれるのだろう。
ヒルイにもそんな存在がいたのだろうか。と日菜は不意にそんなことを思った。
「美結」
「ん?」
「赤ちゃん産まれたら、会わせてね」
「もちろんだよ」
少しぬるくなったコーヒーを日菜は一口飲んだ。
美結は愛おしくてたまらないような表情をして自らのお腹を撫でる。
「私はね、どんなことになってもこの子を守るって決めてるんだ。私の愛情を全部捧げて立派に育てる」
制服姿であどけなく笑っていた旧友の初めてみる母の顔。確固たる決意で放っている言葉だと日菜は思った。自分はこうなれるのだろうか、と。
立ち止まったまま、同じ場所でもがいているだけなんじゃないだろうか。
日菜は自分自身が決意もって突き進めているのか不安になった。
大好きで、大切な人だからこそ変化したら自分自身と比べてしまう。
刑事になった。刑事になっても自分の中にこびりつく罪悪感は消えない。
コーヒーの最後の一口を飲み終えた。



