「どこをほっつき歩いていたのよ! せっかくパパとママが二十歳(はたち)のお祝いにバースデーディナーを予約してくれたのに遅れちゃうじゃない!」

 爽月のヒステリックな金切り声に耳の奥でキーンと嫌な音が鳴る。言われてみれば、今日の爽月はカジュアルなパーティードレス姿であった。
 膝上丈の黒のストリートワンピースに、派手すぎないピンクベージュのバルーンスリーブチュールとのバランスが絶妙で、華やかな容姿の爽月を更に引き立てる。茶髪に染めたウェーブのかかったロングヘアは丁寧に結い上げられて、いつもより派手さが増した化粧やつけ爪もしっかり整っていた。本当に出掛けるところだったのだろう。
 
「ごめん、爽月。でもディナーの話なんて聞いていないし、用があるから帰ってきて、としか言われなかったから……」
「そんなの普通言われなくたって分かるものでしょう!? あーあ、これだから馬鹿は嫌いなのよ!」
「何をやっているんだ、お前たち」
「やだっ、なにその汚い格好っ!」

 リビングから顔を出したのは、同じくオシャレにスーツを着こなした父とパーティードレス姿の母であった。爽月は「パパ、ママ、聞いてよ〜!」と猫撫で声で両親に駆け寄る。

「彩月がね、帰りが遅いことを咎めたら、私が悪いみたいに話すの! 誕生日に家族水入らずの時間を過ごすのなんて当たり前なのにね!」
「そうなのか、彩月! お前はせっかくの誕生日を寮じゃなく実家で過ごさせようという姉の思いを踏みにじるつもりかっ! こんなグズに優しくしなくて良いぞ、爽月。時間の無駄だからな」
「あんたみたいなこの家の恥晒し、本当なら家にも入れたくないのよ。それなのに帰りが遅くなっただけじゃなくて、そんな薄汚い格好で敷地内に入ってきて、ご近所さんに変な噂を立てられたらどうするの! 爽月の将来を台無しにするつもりっ!?」
「でも、私は……」

 怒鳴り散らす両親に反論しかけて、彩月はぐっと言葉を飲み込む。二人は爽月の味方だ。何を言ったところで、未熟な彩月が敵うはずもない。ここは怒りを堪えて謝罪した方が早く終わる。
 彩月は「遅くなって、すみませんでした」と、悔しさを堪えて頭を下げたのだった。
 
「そんな汚い格好で家の中を彷徨かないでちょうだい。爽月の好意であんたの部屋はそのままにしているからさっさと着替えて。玄関や廊下に付けた汚れは私たちが帰ってくるまでに掃除するのよ。少しでも残っていたら二度とうちに入れないからね!」
「はい……」

 彩月の話も聞かずに延々と繰り返される叱責に全身が重くなる。これでは親と子というよりも、主人と使用人のようだと自分でも思う。
 その度に早くこの家族と縁を切って離れたい、それが叶わないのなら誰か連れ出して欲しいと願ってしまう。そのためにも早く次の進路を決めなければと気持ちばかりが急いる。祈るだけでは何も変わらないのだから――。
 
「ところで彩月、あなたの腕の中にいるうさぎは何? ぬいぐるみでも拾ってきたわけ?」
 
 ねっとりと纏わりつくような爽月の声で下に目を向ければ、響葵は一言も発することなくじっと正面を見据えて爽月を睨み付けていた。そんな響葵の態度が気に入らないのか、爽月の眉間に皺が寄る。
 
「それに高そうな男物のジャケットまで羽織って。色目でも使ってもらったの? 嫌らしい」
「これはその……寒そうだからって貸してもらっただけで……この子も困っているみたいだから力になりたくて……」
「そんな訳ないでしょう。あんたみたいなブサイクがっ! そのうさぎでも利用したんでしょう!」
「ち、ちがっ……!」

 髪を鷲掴みされたかと思えば、引っ張られながら耳元で叫ばれる。爽月のヒステリックな声が響き、長いつけ爪が頭皮にまで食い込む。ずきずきとした痛みに彩月の目からは涙が零れたのだった。
 
「それともうさぎが話したとでもいうの!? とうとう頭がおかしくなったんじゃない!?」
「嘘なんてっ、ついてなっ……っ!」
「口答えするんじゃないの! てか、あんたよく生きていられるよね。私だったら生きていられない。身の程も弁えないでレベルが段違いの大学を受験して落ちて、のうのうと三流の短大に通い続けるなんて! あんな大学に通ったって人生負け組確定じゃない。それなら死んだ方がマシよっ!」

 爽月は乱暴に手を離すが、その勢いで彩月の足がよろめいて玄関扉に背中を打ち付けてしまう。

「くぅ……っ」

 頭に続いて背中を襲う鈍痛に声を上げられず、その場に座り込んで歯を食いしばることしができない。唯一心配してくれたのは傍らの響葵だけだったが、その響葵も爽月に捕まってしまう。
 
「ドブ同然のあんたにはこの薄汚いうさぎがピッタリね。どこの家から盗んできたのかは知らないけど、一緒にゴミ溜めで生きていけばっ……いたっ!?」