「これは……?」
「こちらは月の檜扇と月の羽衣。月の姫のみが扱える三種の宝のうちの二つです。これをお渡しいたします。これを持ち続ける限り、全ての月の民と生物は彩月さまに従います」
「そんなっ! 受け取れません、こんな貴重な物!」

 彩月は何度も首を振って断ろうとするが、月祈乃はそれに構うことなくどんどん話しを進めていく。
 
「月の檜扇は地球に暮らす月の動物たちを使役するのに、月の羽衣はこの月の都との行き来に使います。どちらも元は月の姫の一人だったかぐやさまが使っていた秘宝を模したものです。彩月さまが月の姫として目覚めた時、この神器は力を発揮します。もうわたくしの弱い力では扱えませんから……」
「私は要領が悪いのでいつ使えるようになるか分かりません。その間に他の月の姫が現れることだって……」
「……その可能性も無いとは言えません。ですが、わたくしが彩月さまを月の姫に推薦するのは『月の加護』を持っているからというだけではないのです。わたくしの唯一の心残りを託せると思ったからです」
「心残りですか……?」
「わたくしは月の姫になったことを後悔しておりません。人の生では得られなかった充実した日々を送れました。役目を終えた後も怖くありません。ですが残される愛しい子供たち……響葵と天里だけが心残りなのです」

 月祈乃がそっと目を伏せる。
 
「あの子たちはまだまだ成長します。立派な側仕えとなって、次の月の姫の力になるでしょう。そんなあの子たちをありのまま受け入れてくれる者こそ、次の月の姫に相応しい。例えば人の姿を取れなくなった響葵を受け入れた彩月さまのように……」
「私は何もしていません……」
「響葵は深く感謝をしています。今やあの子の中で彩月さまは特別な存在となっている。アイドルだったあの子を好いている彩月さまと同じくらい……」
「私はただのファンです。それに推しへの愛と好きな人への愛は別物です。多分……」
「どちらにしても月の姫として完全に覚醒するには月の民との婚姻は免れません。響葵と天里のどちらかから選ぶとしたら、響葵が良いでしょう。勿論、天里でも構いませんが、すでに貴女さまと響葵は相思相愛の関係。きっと比翼連理の仲になれます……そろそろ良いかしら。響葵を呼んでくれますか、眉月」

 月祈乃に呼ばれた眉月が外に出ると、すぐに響葵が戻ってくる。先程と同じように彩月の隣に座ったところで、月祈乃が口を開いたのだった。

「響葵、天里、貴方たちをわたくしの側使えから解任します。そして本日付けで二人を新たな月の姫――彩月さまの側使えに任命します。必ず力になってください」
「謹んで拝命いたします」
「眉月、全ての月の民と協力者に連絡を。わたくしの後継者が決まりました。名は綺世彩月さま。皆で新たな月の姫を支えるように通達してください」
「承知いたしました」

 二人が深く頭を下げると、眉月は先に部屋を出てしまう。月の民と協力者たちに伝えに行ったのだろう。眉月が去った引き戸を眺めていると、「彩月さま」と呼ばれる。

「帰りの支度が整うまで、響葵に庭を案内してもらってください。いずれこの屋敷は彩月さまのものとなります。今から知っていて損はありません。響葵は彩月さまのことをお願いします」
「姫……」
「響葵、身体に気をつけて。天里と共に彩月さまのことをお願いします」
「はい。姫もどうかお元気で」

 響葵は深く一礼すると音もなく立ち上がる。彩月も後に続こうとしたが、月祈乃に呼び止められたのだった。
 
「どうか月の民たちと……響葵と天里のことをよろしくお願い申し上げます」
「月祈乃さんも、その……もっと月に関するお話を聞きたいので、いずれまた響葵くんたちと来ても良いでしょうか?」
「いつでもお越しください。わたくしたちは新たな月の姫の訪れを心から歓迎いたします」

 そうして月祈乃は畳に額がつきそうなくらい深々と頭を下げる。彩月たちが退室するまでそのまま叩頭していたが、引き戸が閉まる直前にわずかに顔を上げた。
 その顔は若くして重責を担うことになった月の姫ではなく、どこにでも居るような一人の母親の顔をしていたのだった。