彩月の頭の中でうさぎの響葵と響夜が結び付き、少しの間を置いて「え~っ!?」と両手で口元を覆ったのだった。

「キョウくんがうさぎの響葵くんってことは、私は今までキョウくんを抱いていた上に、キョウくんの魅力をキョウくん本人に語ったってこと!?」
「まあ、そういうことになるな……」
「は、恥ずかしい……変なことを沢山話しちゃったよね? キョウくんに救われたとか、忘れられないようにネットで情報を発信してるとか……っ! どうしよう……っ!」

 そのまま赤くなった顔を両手で隠して身を小さくしていると、そっと顔から手を離される。掴んでいたのは彩月の目線に合わせるように身を低くしてくれた響夜だった。

「俺は嬉しかったぞ。未だに俺のことを覚えているファンがいてくれて。月の姫を探してアイドル活動をした日々が無駄では無かったと思えたからな」
「キョウくん……」
「そんな君が月の姫であったことを誇りに思う。さあ、俺たちの姫が君を待っている。一緒に来てくれ」
「うん……」

 響夜に手を引かれて彩月は部屋を出る。臙脂色の着物姿の女中の案内で廊下を歩いていると、すれ違う女中や下働きと思しき男性たちが皆一様に彩月たちに深く頭を下げて道を譲ってくれた。最初こそ要人のような扱いに戸惑うだけではなく、慣れない振袖姿で思うように歩けなかった彩月だったが、響夜が気遣うように手を貸してくれるので、次第に真っ直ぐに前を向いて歩けるようになった。すると傍らの響夜が「それでいい」と呟く。

「君には何も後ろめたいところはない。家族の前でも胸を張って堂々としていればいい。響夜の良さを語った時のように」
「でもキョウくん、私は……」
「俺のことは響葵と呼んでくれ。君の前では本来の俺でありたいのだ。これから長い付き合いになるだろうからな」
「月の姫だっけ、でもまだなるなんて決めたわけじゃないし、そもそも何か分かっていないし……」
「これから姫と話して決めるといい。だが……俺は君に月の姫になって欲しいと思っている。君なら俺たち月の民をより良い未来へと導けるだろう」

 そうして一際大きな木製の引き戸の前で立ち止まると、「響葵さまと月の姫がお見えになりました」と女中が部屋の主に声を掛ける。すぐに引き戸が開かれたので響葵に連れられて中に入ると、その先は広い和室となっており、豪奢な着物姿の女性が深く低頭していたのだった。

「遠いところよりお越しいただき深く感謝を申し上げます。新たな月の姫」
「あっ、この声……あの頭を上げてください!」

 家で聞いた声に驚いていると、女性は礼と共に身体を起こす。頭の後ろで一つに纏められた黒髪と藍色の着物が似合う優美な女性だった。彩月が見惚れていると、「どうぞこちらにお掛けください」と勧められる。

「わたくしはこの月の都を治める月の姫。名を月祈乃(つきの)と申します。響葵と天里(てんり)がお世話になっております」
「天里……?」
「俺の兄弟だ。君も会っている」

 すかさず隣に座った響葵が教えてくれる。会ったと言われても覚えが無くて首を傾げていると、月祈乃は小さく笑う。

「あの子は相変わらずのようですね。響葵は……随分と髪を短くしましたね。最後に見た時よりもたくましくなって見違えました」
「髪は事務所の……日本(あっち)で労働に従事する上で、切る必要がありまして……」
「天里から聞いています。アイドルとして人々に笑顔と幸福を届けていたのですね。恥ずかしがり屋だった貴方が人前に出るようになるなんて、我が子の成長に驚くばかりです」
「恥ずかしい話はそれくらいにしてください。今は彼女の――新たな月の姫の話をしましょう」

 急に注目を浴びた彩月はぎこちないながらも、月祈乃に頭を下げたのだった。
 
綺世(きせ)彩月です。月の都ということは、ここは月にあるんですか。月に人が住んでいるなんて、聞いたことがありません……」
「そうです。ここは彩月さまが暮らす地球から離れたところにある月。天で輝くあの月です。今はわたくしの力で地球の人たちから、この月の都を隠しております」
「信じられません。宇宙は無重力空間で宇宙服と酸素無しでは生きていけませんし、それに月の姫と呼ばれても私には全く心当たりがなくて……」
「信じられないのも仕方ありません。彩月さまはわたくしと同じ月の民の血を引く子孫で、そして響葵たち月の民の頂点に立つ月の姫の素質をお持ちです。うさぎ姿の響葵と話せた上に、ここに来られたのがその証」
「月の民の子孫って、私は生まれてからずっと地球に住んでいました。両親もそんなことは一言も言っていませんでしたし……」
「遥かな昔、この月の都と地球にある日本は非常に密接で行き来も盛んでした。しかし昔……わたくしが地球に暮らしていた頃から、そういった非科学的なものは否定され始めて徐々に交流は途絶えるようになり、今では全く無くなりました」

 月祈乃がそっと目を伏せる。

「ですがその当時に移住した月の民と生物、その子孫たちは今でも地球におります。彩月さまのように知らない者が大半ですが……」
「そんな私がどうして月の姫に選ばれたんですか? だって今まで月の民のことなんて知らなかったんですよ。キョ……響葵くんと出会うまで……」
「長い歴史の中で月の民の子孫たちは力を失って地球に溶け込んでしまいましたが、月の民として目覚める者が稀におります。その一人が彩月さまです。何かお心当たりはありませんか?」
「心当たりなんて言われても……」

 いや、一つだけある。アイドルをしていた響葵と出会う前、大学受験に落ちて家族から酷く責められていた時に自分の中で何かが切れた音が聞こえた。紐が切れるような小さな音だったが、それから自分の中で何かが溢れ出そうになった。今ではもう何も感じられないが……。