「ここは……」
「お帰りなさいませ、響葵さま。お戻りを心待ちにしておりました」
彩月の手を握って正面に立つ響夜の前には着物姿の女中らしき女性たちが勢揃いしていた。人もいれば人型の動物もいて、まるで童話の世界のようだった。そうして響夜に向かって、一斉に頭を下げたのだった。
「長らく不在にして世話を掛けた。変わりは無いか」
その問いに答えたのは、女中たちの先頭にいた臙脂色の着物姿の女性であった。彩月より年上と思しき女性は響夜に頷いたのだった。
「ございません。新たな月の姫の誕生を姫は喜んでおられました。すぐにでもお目通りください」
「いや、その前に湯浴みと着替えを頼みたい。それから癒しの術者も。家族に暴力を振るわれて傷だらけなのだ。名を彩月という」
「まあ、月の姫に対してなんと嘆かわしい! すぐにご用意いたします。さあ、姫はこちらへ」
「あ、あの、私は姫では……!? どうしたらいいの、キョウくん?」
強引に連れて行かれそうになって響夜を振り返るが、響夜は「案ずることはない」とテレビや雑誌で見かけた笑みを浮かべただけであった。
「ここにいる者たちは君の味方だ。俺も着替えてくるから、また後で会おう」
「きょ、キョウくん……!?」
あっという間に旅館のような豪華な浴室に連れて行かれると、ドブ川の悪臭が漂う黒スーツや下着を脱がされて全裸にされる。寮でもバスルームは各部屋に備え付いていたので、他人に裸を見られるというのはほぼ初めて。加えて彩月の世話をする女性たちは美女が多く、身体付きも豊かだった。貧相な身体をした彩月は完全に浮いていた。
「姫さま、湯加減はいかがでしょうか」
温泉のような硫黄の匂いがする木桶の湯を背中に掛けられていると、先程の臙脂色の着物姿の女性に声を掛けられる。
「大丈夫です。あの、私はこれから何をするのでしょうか……」
「響葵さまと共に私共がお仕えする月の姫にお会いいただきます。そこで次の月の姫にご指名いただくのです」
「月の姫って何ですか? 私、何も説明されていなくて……」
「それは響葵さまと姫が説明してくださいます。こうしてはいられません。早くご支度を整えなくては……着替えは先程届けられたものを。術者はまだ? 姫の怪我を癒してちょうだい!」
「到着いたしました」
他の女中が連れてきたのは、白い着物姿の老婆であった。すぐに彩月の怪我を見ると軽く触っただけで、突き飛ばされた際に負ったと思しき背中の痣と、父に叩かれて腫れた頬を完治させてしまったのだった。
(す、すごい……)
老婆の治療に圧倒されている間も、何人もの女中たちに身体や髪を洗われて柑橘系の香油で整えられる。流れるように身体を拭かれると、今度は薄桃色の振袖を着付けられていく。水に流れるような菊花の文様が可愛らしいデザインに目を奪われていると、化粧と髪結いをしていた女中たちに声を掛けられたのだった。
「姫さま、失礼ながら御髪が痛んでおられます。少し切ってもよろしいでしょうか。良ければ眉と爪も整えますわ」
「お願いしてもいいですか。節約して自分で切っていたので、もしかしたら変かもしれません……」
彩月が誤魔化すように笑うと、女中たちは口々に「なんとお労しい……」と嘆き始めたのだった。
「姫さまのご家族と側使えはこんなにも麗しい姫さまを蔑ろにされていたのですね……」
「い、いえ。家族は関係なくて、これは私が勝手に……」
「これからはぜひ私共にさせてくださいませ。腕によりをかけて姫さまを月の都一の美姫にさせていただきますわ」
「えっ~!?」
どうやら女中たちの中で、彩月は家族から酷い扱いを受けてきた哀れな姫君として印象付けられてしまったらしい。鋏で毛先と眉を整えられて爪を磨かれると、あっという間に化粧を施されていく。ようやく支度が終わって姿見を借りた時には、先程までボロボロの黒スーツを着てドブ川で泳いでいた汚い姿はなく、成人式などで見かける可憐な女性の姿があったのだった。
「これが私……」
薄く白粉を塗られた頬に差した頬紅と唇に塗られた口紅は野暮ったさがなく、背中に流した黒髪と薄桃色の花簪も振袖と調和が取れていた。爽月が華やかで派手な容姿だとすれば、今の彩月は清楚で奥ゆかしい容姿だと言えるだろう。自分らしくない姿に気持ちが浮ついてしまう。
「とてもお似合いですわ」
「ありがとうございます……」
「響葵さまのお支度も整いまして、部屋の前でお待ちいただいております。ご案内してもいいでしょうか?」
彩月が頷けば、すぐに女中が響夜を連れて戻ってくる。先程彩月の部屋に現われた時は白シャツと紺のスラックス姿だったが、今の響夜は濃紺の紬姿であった。彩月と目が合うとすぐに破顔する。
「見事な美しさだ。君の容姿なら着物が似合うと思っていた」
「ありがとうございます……さっき会っただけなのによくわかりますね。そんなこと」
「さっきも何もずっと君の腕の中から見ていたからな。野良猫から救って川に入って、家族に乱暴されて傷だらけになって、響夜の良さを存分に語ってくれただろう」
「でも私が抱えていたのは迷いうさぎの響葵くんであってキョウくんでは……」
「その迷いうさぎが俺であって、君が言うところの“キョウくん”でもある。俺の本名は響葵。五十鈴響夜というのは、事務所が付けた芸名だ」
「お帰りなさいませ、響葵さま。お戻りを心待ちにしておりました」
彩月の手を握って正面に立つ響夜の前には着物姿の女中らしき女性たちが勢揃いしていた。人もいれば人型の動物もいて、まるで童話の世界のようだった。そうして響夜に向かって、一斉に頭を下げたのだった。
「長らく不在にして世話を掛けた。変わりは無いか」
その問いに答えたのは、女中たちの先頭にいた臙脂色の着物姿の女性であった。彩月より年上と思しき女性は響夜に頷いたのだった。
「ございません。新たな月の姫の誕生を姫は喜んでおられました。すぐにでもお目通りください」
「いや、その前に湯浴みと着替えを頼みたい。それから癒しの術者も。家族に暴力を振るわれて傷だらけなのだ。名を彩月という」
「まあ、月の姫に対してなんと嘆かわしい! すぐにご用意いたします。さあ、姫はこちらへ」
「あ、あの、私は姫では……!? どうしたらいいの、キョウくん?」
強引に連れて行かれそうになって響夜を振り返るが、響夜は「案ずることはない」とテレビや雑誌で見かけた笑みを浮かべただけであった。
「ここにいる者たちは君の味方だ。俺も着替えてくるから、また後で会おう」
「きょ、キョウくん……!?」
あっという間に旅館のような豪華な浴室に連れて行かれると、ドブ川の悪臭が漂う黒スーツや下着を脱がされて全裸にされる。寮でもバスルームは各部屋に備え付いていたので、他人に裸を見られるというのはほぼ初めて。加えて彩月の世話をする女性たちは美女が多く、身体付きも豊かだった。貧相な身体をした彩月は完全に浮いていた。
「姫さま、湯加減はいかがでしょうか」
温泉のような硫黄の匂いがする木桶の湯を背中に掛けられていると、先程の臙脂色の着物姿の女性に声を掛けられる。
「大丈夫です。あの、私はこれから何をするのでしょうか……」
「響葵さまと共に私共がお仕えする月の姫にお会いいただきます。そこで次の月の姫にご指名いただくのです」
「月の姫って何ですか? 私、何も説明されていなくて……」
「それは響葵さまと姫が説明してくださいます。こうしてはいられません。早くご支度を整えなくては……着替えは先程届けられたものを。術者はまだ? 姫の怪我を癒してちょうだい!」
「到着いたしました」
他の女中が連れてきたのは、白い着物姿の老婆であった。すぐに彩月の怪我を見ると軽く触っただけで、突き飛ばされた際に負ったと思しき背中の痣と、父に叩かれて腫れた頬を完治させてしまったのだった。
(す、すごい……)
老婆の治療に圧倒されている間も、何人もの女中たちに身体や髪を洗われて柑橘系の香油で整えられる。流れるように身体を拭かれると、今度は薄桃色の振袖を着付けられていく。水に流れるような菊花の文様が可愛らしいデザインに目を奪われていると、化粧と髪結いをしていた女中たちに声を掛けられたのだった。
「姫さま、失礼ながら御髪が痛んでおられます。少し切ってもよろしいでしょうか。良ければ眉と爪も整えますわ」
「お願いしてもいいですか。節約して自分で切っていたので、もしかしたら変かもしれません……」
彩月が誤魔化すように笑うと、女中たちは口々に「なんとお労しい……」と嘆き始めたのだった。
「姫さまのご家族と側使えはこんなにも麗しい姫さまを蔑ろにされていたのですね……」
「い、いえ。家族は関係なくて、これは私が勝手に……」
「これからはぜひ私共にさせてくださいませ。腕によりをかけて姫さまを月の都一の美姫にさせていただきますわ」
「えっ~!?」
どうやら女中たちの中で、彩月は家族から酷い扱いを受けてきた哀れな姫君として印象付けられてしまったらしい。鋏で毛先と眉を整えられて爪を磨かれると、あっという間に化粧を施されていく。ようやく支度が終わって姿見を借りた時には、先程までボロボロの黒スーツを着てドブ川で泳いでいた汚い姿はなく、成人式などで見かける可憐な女性の姿があったのだった。
「これが私……」
薄く白粉を塗られた頬に差した頬紅と唇に塗られた口紅は野暮ったさがなく、背中に流した黒髪と薄桃色の花簪も振袖と調和が取れていた。爽月が華やかで派手な容姿だとすれば、今の彩月は清楚で奥ゆかしい容姿だと言えるだろう。自分らしくない姿に気持ちが浮ついてしまう。
「とてもお似合いですわ」
「ありがとうございます……」
「響葵さまのお支度も整いまして、部屋の前でお待ちいただいております。ご案内してもいいでしょうか?」
彩月が頷けば、すぐに女中が響夜を連れて戻ってくる。先程彩月の部屋に現われた時は白シャツと紺のスラックス姿だったが、今の響夜は濃紺の紬姿であった。彩月と目が合うとすぐに破顔する。
「見事な美しさだ。君の容姿なら着物が似合うと思っていた」
「ありがとうございます……さっき会っただけなのによくわかりますね。そんなこと」
「さっきも何もずっと君の腕の中から見ていたからな。野良猫から救って川に入って、家族に乱暴されて傷だらけになって、響夜の良さを存分に語ってくれただろう」
「でも私が抱えていたのは迷いうさぎの響葵くんであってキョウくんでは……」
「その迷いうさぎが俺であって、君が言うところの“キョウくん”でもある。俺の本名は響葵。五十鈴響夜というのは、事務所が付けた芸名だ」



