最後に見た時とほとんど何も変わっていない彩月の自室。爽月と違って最低限のものしか置いていない殺風景な部屋ではあるが、ベッドサイドの壁には場違いとも思えるような、若い男性が写った大きなポスターが貼られていた。
白い肌と眉目秀麗な顔立ち、全体的に少し長めの濡羽色のナチュラルツーブロックが特徴的な彩月と同年代の男性は、スポットライトの下でマイクを手に歌っていたのだった。
「キョウくんと出会ったのは受験に落ちて絶望的だった時。たまたま都心に出掛けたら、街ビルのモニターでキョウくんが歌っていたの。後から新曲のPVだったって知ったんだけど」
今でも目を閉じれば思い出せる。行き交う人たちで雑然とした街の中心部と林立する大きなビル群。パトカーのサイレンと車のクラクションが鳴り響き、信号待ちをしながら会話をする人やスマホ越しに叫ぶ人たちの中、どこからか響き渡る甘く優しい音色。その音源を探して辺りをキョロキョロ見渡せば、正面の巨大スクリーンでは一人の青年が歌っていた。
耳心地の良い好音が奏でるバラード曲に聞き入っていると、不意に慈愛に満ちた微笑みが彩月に向けられる。全てを慈しみ包み込むような微笑に足を止めて食い入るように見ていると自然と涙が流れた。
優秀な爽月と比較することで憐れな気持ちにさせる両親、そんな両親と一緒に爽月を褒め称えて不合格だった彩月の気持ちを全く考慮しない教師。そして同情している振りをして内心では落ちこぼれた彩月を嘲笑っている同級生たち。
周囲が爽月を賛美する度に彩月の心は抉られて擦り切れていった。もう息をするのも辛いというほどに……。
そんな傷だらけの彩月の心に響いたキョウくんこと響夜の歌声は、どんな慰めの言葉や形だけの同情よりも清らかで尊くて優しさに満ちていた。先も見えない真っ暗な絶望の中にいた彩月の心を照らした一筋の光そのものであった。
「キョウくんの歌声を聴いた瞬間、すうっと心に入って涙が溢れてきて、荒んだ心が洗われたの。受験に失敗したからといって死ぬわけじゃない。ここから挽回できるチャンスがあるかもしれないって。それで短大を受験したんだ。ここで良い成績を取って、有名な企業に就職できたら家族も見直してくれるかもしれないって。まあ今日の様子だと、それも無駄だったみたいだけどね……」
力なく笑ってみせるが、響葵は彩月の話よりも響夜のポスターに釘付けのようだった。そんな響葵をベッドの上に乗せると、彩月も同じようにポスターを見つめる。
「いつかキョウくんに会えたら、絶対にお礼を言おうと思っていたの。私の心を救ってくれたのは、他ならぬキョウくんだから。でもこの時はまだ名前も知らなかったから調べようが無くて。それから少ししてネットニュースにキョウくんの写真と一緒に大きく見出しが出ていたの。『期待の新人アイドル・五十鈴響夜に恋人疑惑が浮上。相手と思わしき女性アイドルも関係を匂わす』って。そこからキョウくんは炎上して表舞台から姿を消してしまって……でもしばらくしてその女性アイドルが人気欲しさに嘘をついていたことが判明したの」
事の発端は響夜が所属する事務所の企画だった。公式動画チャンネルがオープンした記念に所属アイドルが一人ずつ生配信を行い、順当に響夜の番がやってきた。舞台やモデルを中心にテレビ番組でも活躍の場を広げていた響夜だったが、他のアイドルとは違って動画配信やSNS企画は一切行っていなかった。そんな響夜が初めて動画配信をするということで、ファンからの期待は大きかった。
配信自体は全く問題がなかったそうで、響夜も若干不慣れな様子を見せつつも、他のアイドルと遜色なく用意された企画やファンから寄せられた質問に答えていった。そして配信が終わりかけの頃、響夜が配信に使っていたスマホをずらしてしまったようで別の場所を映してしまった。
その際に一瞬ではあったものの、問題の女性アイドルが愛用している化粧品と、その女性アイドルが動画撮影の時に使っている部屋とそっくりな室内が配信されてしまったとのことだった。
元々、響夜自身が謎に包まれていたこともあり、ファンは響夜とその女性アイドルの関係を疑ったが、追い打ちをかけるようにその女性アイドルが響夜との関係を匂わせる発言をしてしまった。
それがきっかけとなって響夜のファンは炎上。事務所の公式サイトは大荒れだった。
「事態を重く見た女性アイドルの事務所が事情を聞き取りしたことで事実が発覚して女性アイドルも謝罪文を公開したの。そこからバッシングは女性アイドルに向いて、後は事務所の命令で謹慎処分中だったキョウくんの復帰を待つだけとなった。でもキョウくんは戻ってこなかった。全ての責任を取って、芸能界を引退しちゃったんだ」
ようやく響夜の名前を知った彩月は連日のように調べた。短大に入学してからも授業とバイト以外の時間は全て響夜に捧げたと言っても過言では無い。
他のファンと同じように響夜が表舞台に戻ってくる日を待ち続けて、事務所のホームページを一日に何度も覗いた。
けれどもそんな彩月たちファンの期待を裏切るように、ある日ホームページに掲載されたお知らせは、「五十鈴響夜の芸能活動終了について」であった。
白い肌と眉目秀麗な顔立ち、全体的に少し長めの濡羽色のナチュラルツーブロックが特徴的な彩月と同年代の男性は、スポットライトの下でマイクを手に歌っていたのだった。
「キョウくんと出会ったのは受験に落ちて絶望的だった時。たまたま都心に出掛けたら、街ビルのモニターでキョウくんが歌っていたの。後から新曲のPVだったって知ったんだけど」
今でも目を閉じれば思い出せる。行き交う人たちで雑然とした街の中心部と林立する大きなビル群。パトカーのサイレンと車のクラクションが鳴り響き、信号待ちをしながら会話をする人やスマホ越しに叫ぶ人たちの中、どこからか響き渡る甘く優しい音色。その音源を探して辺りをキョロキョロ見渡せば、正面の巨大スクリーンでは一人の青年が歌っていた。
耳心地の良い好音が奏でるバラード曲に聞き入っていると、不意に慈愛に満ちた微笑みが彩月に向けられる。全てを慈しみ包み込むような微笑に足を止めて食い入るように見ていると自然と涙が流れた。
優秀な爽月と比較することで憐れな気持ちにさせる両親、そんな両親と一緒に爽月を褒め称えて不合格だった彩月の気持ちを全く考慮しない教師。そして同情している振りをして内心では落ちこぼれた彩月を嘲笑っている同級生たち。
周囲が爽月を賛美する度に彩月の心は抉られて擦り切れていった。もう息をするのも辛いというほどに……。
そんな傷だらけの彩月の心に響いたキョウくんこと響夜の歌声は、どんな慰めの言葉や形だけの同情よりも清らかで尊くて優しさに満ちていた。先も見えない真っ暗な絶望の中にいた彩月の心を照らした一筋の光そのものであった。
「キョウくんの歌声を聴いた瞬間、すうっと心に入って涙が溢れてきて、荒んだ心が洗われたの。受験に失敗したからといって死ぬわけじゃない。ここから挽回できるチャンスがあるかもしれないって。それで短大を受験したんだ。ここで良い成績を取って、有名な企業に就職できたら家族も見直してくれるかもしれないって。まあ今日の様子だと、それも無駄だったみたいだけどね……」
力なく笑ってみせるが、響葵は彩月の話よりも響夜のポスターに釘付けのようだった。そんな響葵をベッドの上に乗せると、彩月も同じようにポスターを見つめる。
「いつかキョウくんに会えたら、絶対にお礼を言おうと思っていたの。私の心を救ってくれたのは、他ならぬキョウくんだから。でもこの時はまだ名前も知らなかったから調べようが無くて。それから少ししてネットニュースにキョウくんの写真と一緒に大きく見出しが出ていたの。『期待の新人アイドル・五十鈴響夜に恋人疑惑が浮上。相手と思わしき女性アイドルも関係を匂わす』って。そこからキョウくんは炎上して表舞台から姿を消してしまって……でもしばらくしてその女性アイドルが人気欲しさに嘘をついていたことが判明したの」
事の発端は響夜が所属する事務所の企画だった。公式動画チャンネルがオープンした記念に所属アイドルが一人ずつ生配信を行い、順当に響夜の番がやってきた。舞台やモデルを中心にテレビ番組でも活躍の場を広げていた響夜だったが、他のアイドルとは違って動画配信やSNS企画は一切行っていなかった。そんな響夜が初めて動画配信をするということで、ファンからの期待は大きかった。
配信自体は全く問題がなかったそうで、響夜も若干不慣れな様子を見せつつも、他のアイドルと遜色なく用意された企画やファンから寄せられた質問に答えていった。そして配信が終わりかけの頃、響夜が配信に使っていたスマホをずらしてしまったようで別の場所を映してしまった。
その際に一瞬ではあったものの、問題の女性アイドルが愛用している化粧品と、その女性アイドルが動画撮影の時に使っている部屋とそっくりな室内が配信されてしまったとのことだった。
元々、響夜自身が謎に包まれていたこともあり、ファンは響夜とその女性アイドルの関係を疑ったが、追い打ちをかけるようにその女性アイドルが響夜との関係を匂わせる発言をしてしまった。
それがきっかけとなって響夜のファンは炎上。事務所の公式サイトは大荒れだった。
「事態を重く見た女性アイドルの事務所が事情を聞き取りしたことで事実が発覚して女性アイドルも謝罪文を公開したの。そこからバッシングは女性アイドルに向いて、後は事務所の命令で謹慎処分中だったキョウくんの復帰を待つだけとなった。でもキョウくんは戻ってこなかった。全ての責任を取って、芸能界を引退しちゃったんだ」
ようやく響夜の名前を知った彩月は連日のように調べた。短大に入学してからも授業とバイト以外の時間は全て響夜に捧げたと言っても過言では無い。
他のファンと同じように響夜が表舞台に戻ってくる日を待ち続けて、事務所のホームページを一日に何度も覗いた。
けれどもそんな彩月たちファンの期待を裏切るように、ある日ホームページに掲載されたお知らせは、「五十鈴響夜の芸能活動終了について」であった。



