歩き続けていくらかしたところで、高校とやらについた。
「……おおきい」
公園より広い敷地の中に、コンビニより遙かに大きい建物があった。
「一階、二階、三階……四階?」
門の外から建物を見上げて、窓の数を数える。四階建て。
車道の周りに建っていた建物より高さはないけれど、横に広い。
「あれは校舎だ」
タケミは左右を確認してから、私の体を抱き上げた。
タケミが地面を蹴る。閉じた門を飛び越えた。
「卒アルは職員室か図書室かな。でも卒業者名簿なら職員室か? 進路まで書いてあるかどうか……最近はプライバシーとかうるさいもんなあ」
「そつある?」
「卒業アルバムのことだ。学生の写真が載ってるんだ」
「写真……お姉ちゃんの写真も……?」
私はお姉ちゃんの写真を持っていない。自分の写真もない。神の花嫁は写真に写ってはいけないと言われて育てられた。
お姉ちゃんの写真はもしかしたらお父さんなら持っていたのかもしれないけれど、見せてくれとせがむ勇気はなかった。
「きっとな」
タケミが微笑んだ。
「急ぐぞ」
タケミが少し早歩きで進む。私も後に続く。
学校の敷地は静かで、まだ誰もいないようだった。
建物の正面、扉にタケミが手をかける。鍵がかかっているのか、開かない。
「……雷」
タケミが手をかざし、つぶやく。扉全体がぱっと一瞬、弾けるように光った。
もう一度扉を引くと、今度はスムーズに開いた。
「……何をしたの?」
「雷の衝撃で鍵を外した。防犯設備も一時的に帯電させて止めた」
「…………?」
よくわからなかった。
「茜、急ごう」
学校の中。
このような建物に、初めて入った。
やたらとカラフルで情報の多かったコンビニと比べると、整然としていて、白が多い。
この空間がどこか冷ややかに感じられるのは、静かだからだろうか。
同じ形の箱が並んでいる。私の身長と変わらない大きな箱に、小さめの蓋がたくさんついている。
「下駄箱だな。学生はここで靴を履き替える」
「はあ……」
下駄。世間の学生も下駄を履くのだろうか。
少なくともお姉ちゃんは違った。自分の履き物を普段はローファー、冬はブーツと呼んでいた。
タケミも洋服に着替えたとき、わざわざ下駄からブーツに履き替えている。
私の疑問をよそに、タケミは歩き出した。
土足のままで廊下に上がる。
床にブーツがこすれて、きゅっと音がした。
私も恐る恐る廊下に足を踏み入れた。なんだか、いけないことをしているような気持ちになった。
タケミは迷わず構内を進む。
階段に突き当たって、そこを上る。二階、三階、四階。
最上階の廊下をさらに進んで、そして私達はひとつの扉に行き着いた。
タケミががらりと引き戸を開く。
「わあ……」
そこには本がたくさんあった。
棚にぎっしりと本が詰まっている。
私が暮らしていたお宮にも本はあったし、姉がこっそり差し入れてくれた本もあった。
私にとって、本は知らない外のことを教えてくれる数少ないものだった。
私がずらりと並ぶ本に目を奪われている間に、タケミは目当てのものを見つけていた。
「あったぞ。立花立花……茜、姉の下の名前は?」
大きな本を机の上に広げながら、タケミはこちらへ聞いてきた。
「夕子です。夕方の子」
「夕子……夕子」
タケミがせわしなく本をめくる。
「……あった。これお前の姉の顔で合ってるか?」
「…………」
そのページには顔が並んでいる。同じ大きさの四角形の中にたくさんの顔が並んでいる。
そこに、姉がいた。私の目はその一点に釘付けになる。
『立花夕子』と四角形の下にはちゃんと名前が書かれている。
きりっとした印象のつり目。きゅっと結ばれた口。白い顔。肩のところで切りそろえられた黒い髪。
懐かしい顔。
「お姉ちゃん……!」
私はそこに泣き崩れた。
四年ぶりにお姉ちゃんに会えた。そう思った。
私が泣いている間、タケミは他にも何か探しているのか、物音が絶えずしていた。
私はずっと泣いていた。
知らないうちに薄れかけていた姉の顔が脳に刻まれていた。それを失わないように、必死に目を閉じる。
「そろそろ出るぞ」
そう言われても、まだ私は泣いていた。
涙は拭っても拭っても、こぼれ落ちた。
「……ほら」
タケミが懐から布を取り出し、私に手渡した。
「はい……」
布で涙をなんとか拭う。
そこで――。
「誰だ!?」
突然、知らない人の声がこちらへ投げかけられた。
「うわ!?」
タケミが叫んだ。
私は声がした方を振り返る。
私達が入ってきた扉のところに、大人がいた。
「しまった、警備員だ」
そう言うとタケミは私の体を抱え上げ、警備員のいる方とは逆に走り出した。
「こら、待ちなさい!」
警備員が追いかけてくる。
本棚の間をすり抜けて、部屋の奥には窓があった。その窓ははめ殺しだ。開く機能がない。
「あ……窓……え……?」
「おら!」
タケミははめ殺しの窓をぶん殴り、ぶち割った。
そこからぶわりと風が一気に入ってくる。
「た、タケミ……!」
「降りるぞ!」
「こ、こら! 君、やめなさい! 早まるな!」
警備員の声が悲鳴まじりになる。
タケミがそれを聞くわけもなく、タケミは窓に飛び込んだ。
そしてその身体はいつも通り、ふわりと浮いて、びゅんと空を駆けた。
私はちらりと振り返り、学校を眼下に眺めた。
あんなに大きかった建物がずいぶんと小さく見えた。
そして割った窓から、警備員が呆然とした顔で、こちらを見上げていた。
飛んで、飛んで、飛んで、そしてタケミはまた路地裏に降りた。
「ふー……」
さすがのタケミも疲れたように息を吐き、その場にしゃがみ込んだ。
「あ、あの……あれ、どうなるの、かな……」
「……窓は風で割れたことにでもなるんじゃないか」
「そう、かなあ……」
少し心配だった。
「とにかく、お前の姉の顔と進路がわかった」
「進路」
「大学だよ、お前の姉は卒業後、東京の大学に進学している」
「とうきょう……」
東京。名前は知っている。もちろん行ったことなどない。
お姉ちゃんは昔、中学の修学旅行で行ったことがある。その間、私の世話は親戚の女の人がしていた。
新幹線で四時間かかったと言っていた。
それがどのくらいの距離なのか、私にはわからない。
それでもとても遠いだろうというくらいは想像がつく。
「……行くか? 東京」
「行きます」
即答していた。
「い、行けますか?」
即答してすぐに不安になって、私は尋ねた。
「行けるよ」
こともなげにタケミはそう言った。
「まあ、さすがにすぐにってわけにはいかないな。何もかも足りない」
路銀、だったか。
「じゃあ、次の目的は東京だ」
タケミはそう言って笑った。
なんだかとてもすがすがしい笑顔だった。
「……おおきい」
公園より広い敷地の中に、コンビニより遙かに大きい建物があった。
「一階、二階、三階……四階?」
門の外から建物を見上げて、窓の数を数える。四階建て。
車道の周りに建っていた建物より高さはないけれど、横に広い。
「あれは校舎だ」
タケミは左右を確認してから、私の体を抱き上げた。
タケミが地面を蹴る。閉じた門を飛び越えた。
「卒アルは職員室か図書室かな。でも卒業者名簿なら職員室か? 進路まで書いてあるかどうか……最近はプライバシーとかうるさいもんなあ」
「そつある?」
「卒業アルバムのことだ。学生の写真が載ってるんだ」
「写真……お姉ちゃんの写真も……?」
私はお姉ちゃんの写真を持っていない。自分の写真もない。神の花嫁は写真に写ってはいけないと言われて育てられた。
お姉ちゃんの写真はもしかしたらお父さんなら持っていたのかもしれないけれど、見せてくれとせがむ勇気はなかった。
「きっとな」
タケミが微笑んだ。
「急ぐぞ」
タケミが少し早歩きで進む。私も後に続く。
学校の敷地は静かで、まだ誰もいないようだった。
建物の正面、扉にタケミが手をかける。鍵がかかっているのか、開かない。
「……雷」
タケミが手をかざし、つぶやく。扉全体がぱっと一瞬、弾けるように光った。
もう一度扉を引くと、今度はスムーズに開いた。
「……何をしたの?」
「雷の衝撃で鍵を外した。防犯設備も一時的に帯電させて止めた」
「…………?」
よくわからなかった。
「茜、急ごう」
学校の中。
このような建物に、初めて入った。
やたらとカラフルで情報の多かったコンビニと比べると、整然としていて、白が多い。
この空間がどこか冷ややかに感じられるのは、静かだからだろうか。
同じ形の箱が並んでいる。私の身長と変わらない大きな箱に、小さめの蓋がたくさんついている。
「下駄箱だな。学生はここで靴を履き替える」
「はあ……」
下駄。世間の学生も下駄を履くのだろうか。
少なくともお姉ちゃんは違った。自分の履き物を普段はローファー、冬はブーツと呼んでいた。
タケミも洋服に着替えたとき、わざわざ下駄からブーツに履き替えている。
私の疑問をよそに、タケミは歩き出した。
土足のままで廊下に上がる。
床にブーツがこすれて、きゅっと音がした。
私も恐る恐る廊下に足を踏み入れた。なんだか、いけないことをしているような気持ちになった。
タケミは迷わず構内を進む。
階段に突き当たって、そこを上る。二階、三階、四階。
最上階の廊下をさらに進んで、そして私達はひとつの扉に行き着いた。
タケミががらりと引き戸を開く。
「わあ……」
そこには本がたくさんあった。
棚にぎっしりと本が詰まっている。
私が暮らしていたお宮にも本はあったし、姉がこっそり差し入れてくれた本もあった。
私にとって、本は知らない外のことを教えてくれる数少ないものだった。
私がずらりと並ぶ本に目を奪われている間に、タケミは目当てのものを見つけていた。
「あったぞ。立花立花……茜、姉の下の名前は?」
大きな本を机の上に広げながら、タケミはこちらへ聞いてきた。
「夕子です。夕方の子」
「夕子……夕子」
タケミがせわしなく本をめくる。
「……あった。これお前の姉の顔で合ってるか?」
「…………」
そのページには顔が並んでいる。同じ大きさの四角形の中にたくさんの顔が並んでいる。
そこに、姉がいた。私の目はその一点に釘付けになる。
『立花夕子』と四角形の下にはちゃんと名前が書かれている。
きりっとした印象のつり目。きゅっと結ばれた口。白い顔。肩のところで切りそろえられた黒い髪。
懐かしい顔。
「お姉ちゃん……!」
私はそこに泣き崩れた。
四年ぶりにお姉ちゃんに会えた。そう思った。
私が泣いている間、タケミは他にも何か探しているのか、物音が絶えずしていた。
私はずっと泣いていた。
知らないうちに薄れかけていた姉の顔が脳に刻まれていた。それを失わないように、必死に目を閉じる。
「そろそろ出るぞ」
そう言われても、まだ私は泣いていた。
涙は拭っても拭っても、こぼれ落ちた。
「……ほら」
タケミが懐から布を取り出し、私に手渡した。
「はい……」
布で涙をなんとか拭う。
そこで――。
「誰だ!?」
突然、知らない人の声がこちらへ投げかけられた。
「うわ!?」
タケミが叫んだ。
私は声がした方を振り返る。
私達が入ってきた扉のところに、大人がいた。
「しまった、警備員だ」
そう言うとタケミは私の体を抱え上げ、警備員のいる方とは逆に走り出した。
「こら、待ちなさい!」
警備員が追いかけてくる。
本棚の間をすり抜けて、部屋の奥には窓があった。その窓ははめ殺しだ。開く機能がない。
「あ……窓……え……?」
「おら!」
タケミははめ殺しの窓をぶん殴り、ぶち割った。
そこからぶわりと風が一気に入ってくる。
「た、タケミ……!」
「降りるぞ!」
「こ、こら! 君、やめなさい! 早まるな!」
警備員の声が悲鳴まじりになる。
タケミがそれを聞くわけもなく、タケミは窓に飛び込んだ。
そしてその身体はいつも通り、ふわりと浮いて、びゅんと空を駆けた。
私はちらりと振り返り、学校を眼下に眺めた。
あんなに大きかった建物がずいぶんと小さく見えた。
そして割った窓から、警備員が呆然とした顔で、こちらを見上げていた。
飛んで、飛んで、飛んで、そしてタケミはまた路地裏に降りた。
「ふー……」
さすがのタケミも疲れたように息を吐き、その場にしゃがみ込んだ。
「あ、あの……あれ、どうなるの、かな……」
「……窓は風で割れたことにでもなるんじゃないか」
「そう、かなあ……」
少し心配だった。
「とにかく、お前の姉の顔と進路がわかった」
「進路」
「大学だよ、お前の姉は卒業後、東京の大学に進学している」
「とうきょう……」
東京。名前は知っている。もちろん行ったことなどない。
お姉ちゃんは昔、中学の修学旅行で行ったことがある。その間、私の世話は親戚の女の人がしていた。
新幹線で四時間かかったと言っていた。
それがどのくらいの距離なのか、私にはわからない。
それでもとても遠いだろうというくらいは想像がつく。
「……行くか? 東京」
「行きます」
即答していた。
「い、行けますか?」
即答してすぐに不安になって、私は尋ねた。
「行けるよ」
こともなげにタケミはそう言った。
「まあ、さすがにすぐにってわけにはいかないな。何もかも足りない」
路銀、だったか。
「じゃあ、次の目的は東京だ」
タケミはそう言って笑った。
なんだかとてもすがすがしい笑顔だった。