しばらく飛んで、街の裏道に降りた。
 裏道を抜けて表に出ると、車が道をびゅんびゅん走っている光景が、まっさきに飛び込んできた。
 村の中にも車はあったけれど、あんな風に速度を上げている音を聞いたことがない。
 村の道は細いのだ。人が通る前提で、車はのろのろ進んでいた。
 それに比べて、目の前の道は広かった。車が何台も同時に走ることができる。街の道の主役は車みたいだった。

 周りに目を移すと、背の高い建物がたくさんそびえ立っていた。開けた場所にいるはずなのに、どこか圧迫感があった。

 タケミとすぐ近くのお店に入った。
「食べ物と、それに水もだな」
 言われて気付く、昨夜から水分をとっていない。
 途端に喉が乾いてきた。
「茜、何食いたい?」
「えっと……」
 コンビニというお店は色鮮やかで目がチカチカした。
 どこを見ても、何かがある。
 たくさんのものが売っていて、目移りしてしまう。
 見たことのないもの、味の想像がつかないものがたくさんあった。
 そういえばお宮にいた頃の私の食事について、まるで精進料理だと姉が言っていた。
 どうやら私は一般的に見ると、限られた食事しか与えられていなかったらしい。
 姉がこっそり差し入れてくれたパンやお菓子は、普段の食事より味が濃くて、ちょっとビックリしながら食べたものだった。
「…………」
 しばらく迷って、かつて姉が食べさせてくれたのと似た形のパンと、それからおにぎりを一個ずつ選んだ。
「ジャムコッペパンと梅おにぎりか。これで足りるのか?」
「わ、わからないです……」
 お宮で食べていたような汁物や煮物、てんぷらはコンビニにはなかった。
 おにぎりはお米だからなんとなく想像がつくが、パンは久しぶりに食べるから、どのくらいお腹に溜まるのかわからない。
「まあ、足りなかったら俺のから分ければいいか」
 そう言ったタケミは大きいお弁当をふたつ選んでいた。
「……あ、ありがとう」
 もごもごとお礼を言った私に、タケミは柔らかく微笑んだ。

 精算を済ませ、コンビニ近くの公園のベンチに腰を下ろした。
 犬を散歩させているおじいさんがひとり通っただけの人気のない公園。
 買った水をひとまず飲んだ。
 乾きが癒やされ、生き返るような心地がした。
 最初におにぎりを食べた。
 それからタケミがお弁当の中のおかずの中から、私に何か食べたいものはないかと言った。
「えっと……」
「なじみのあるものでも、食べたことのないものでも、どっちでもいいぞ」
 もしかしたら、タケミは最初からこうしてくれるつもりでおかずがたくさんあるお弁当を選んだのかもしれない。
「…………」
 少し考えて、私は漬物を一切れもらった。お宮で食べていたものより、しなしなしていた。
 それだけで私はすぐにお腹いっぱいになってしまった。あんなにお腹が空いていたのに、私の胃は少ない食事に慣れてしまっているようだ。
「とっとけるから、とっとこう」
 タケミはコッペパンの賞味期限を見ながら、そう言って、お弁当をあっという間に食べきった。

「次は服?」
「いや、服屋が開くより、学校が始まる方が早い」
 タケミが公園に。
「まず学校に忍び込もう」
「忍び込む……」
 あまりよい言葉ではない気がする。
「制服でも調達して生徒のフリしていくにはお互い珍妙すぎるからな」
 そう言ってタケミは真っ赤な自分の髪を撫でた。
 なるほどタケミの見た目は浮くのだろう。
 でも、私の方は見た目だけならそこまで周りとズレているとも思えない。
「でも、ひとりで学校に入ってそつなく聞き込みなんて、まだできないだろ?」
「はい……」
 まるで出来る気がしない。
 まともな受け答えすら怪しい。
「だから、忍び込む」
 タケミはきっぱり言い切った。
「どうせおお縄になって困ることもないしな。俺は神で、茜は存在しないことになってるんだから。世間に迷惑を掛けても、社会的に失うものが最初からない」
「はあ……」
 社会的に失うものがない。
 それはたぶん強みなのだろう。けれども私にはそれはどこか寂しいことである気がした。
 自分と世界が断絶しているような感覚。
 いや、しているのだ。私は世界と隔たっている。
 そのように生まれ育った。
 お宮を、村を出た今も、大して変わりはない。
「行こうか」
 タケミが歩き出した。私はそれに続く。
 どうやらタケミはどこへ行けばいいのかわかっているようだった。

 公園を出ると、やっぱり車がひっきりなしに走り続けていた。 
 タケミは止まることなく歩き続けたが、私は思わず足を止めた。

 怖い。

 走る車が怖い。
 走行音が絶え間なく、耳を揺るがす。
 目で追いきれない。

「茜」
 タケミが、振り返る。
 私は慌ててそちらへ駆け寄ろうとして、その前にタケミが手を差し出した。
 私はその手を握る。
 温かい手。いや、私の手が冷たいのかもしれない。
 お姉ちゃんの手も温かかった。
 タケミが前を向いて歩き出す。私の手をしっかり握りしめながら。
 そのぬくもりに、心がくつろいでいくのがわかる。

 気付けば、私は車道を見るのも、車の音を聞くのもやめていた。
 前のタケミの背中だけを見た。
 そして耳には自分の心臓の音がずいぶんとうるさく響いていた。