気づけば棚の上にはこんもりと山ができていた。
私達はまだその中からこれぞというものを選べていなかった。
ここまでくると選ぶという作業もほとんど惰性である。
「……店長ー!」
タケミがとうとう店長さんに泣きついた。
店長さんはいつの間にか湯気の立ちあがるコップを片手に持っていた。
「はい、お茶」
店長さんはタケミを一旦無視して、私にも同じコップを手渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
色のついた透明なお湯。匂いをかぐと初めてかぐような香りがした。
どこか華やかな香り。
「良い香り……」
「エルダーフラワーのハーブティーだよ」
言われてもちっともぴんとこなかった。
お茶の香りを嗅いで、このお店の香りについて思い出す。
「あ、あの、このお店の中も良い香りがします。お香を焚いているのですか?」
「アロマだね。今日はベルガモットだ」
「べ、べる……?」
「柑橘系のアロマだよ、ミカンの仲間」
ミカンなら、なんとかわかる。
「店長、俺のお茶は?」
「ないよ」
ばっさりと言い捨てて、店長さんはふんと鼻を鳴らした。
「ところで、それ、ちゃんともとの場所に片付けるんだろうね」
タケミが積み上げた服の山を睨みつけながら、店長さんはそう言った。
「…………」
タケミが沈黙した。
一心不乱に服を漁っていたのだ。何がどこおにあったかなんて、覚えていないのだろう。私もまったく覚えていない。
「……この店の陳列なんて、適当だろう」
タケミがなんとか反論する。
「適当なもんか、こっち半分が男物で、そっち半分が女物だよ」
「そんくらいは見ればわかる……。だからこっちで探してるんだ……」
ちょっと疲れた様子でタケミがもごもごと反論する。
「ふふ……」
私はつい笑ってしまった。
お堂で、社で、学校で、これまで何があっても自由気ままに振る舞っていたタケミが、こんなことで振り回されているのがなんとなくおかしかった。
「……笑った」
タケミがこちらを見て、そう言った。
ぽかんと口を開いて、なんだか私の顔なんて初めて見たとでも言わんばかりに、まじまじとこちらを見ている。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「いや、違う違う。初めてだろ、笑ったの。それだけ」
「初めて……でしだっけ?」
「初めてだよ」
タケミは柔らかく笑いながら断言した。
そうか、私はタケミの前で初めて笑ったんだ。
笑うのは久しぶりだ。四年ぶりだ。
お姉ちゃんがいたときは、笑えてた。
いつだってお姉ちゃんは私を笑わせてくれた。
何気ないことだ。何を話して、何があって笑ったのか、私はもう覚えてはいない。そんな儚い思い出。
大切だったのに、気付けばなくしてしまった思い出。
少しの寂しさを振り切るように頭を振って、私はタケミに向き直った。
「……タケミのおかげです」
「……そう、か」
タケミは照れくさそうに笑うと、こちらに背を向けてしまった。
私はその背をじっと見つめた。
ちまちまと動きながら服を探す姿が、なんだか急に胸に迫ってきた。
あたたかい。
私は今、嬉しいんだ。
感情が、わかる。ある。それがこんなにも新鮮で心弾む。
それはこの二日間で知った何よりも代えがたい感情だった。
「…………」
お茶を置く。改めてタケミが築いた山に目を向ける。
「あ、あの、これがいいです」
山の中から一枚の服を引っ張りだして、私はタケミにそう言った。
「ん」
タケミが振り返る。
「オレンジ色のニットのトップスか。それ、気に入ったのか?」
「……ちょ、ちょっとタケミの服と似た色だから……」
恥ずかしさに口ごもりながら、私はそう答えた。
「そっか」
タケミはなんでもないようにうなずいた。
「トップスが鮮やかな色なら、ボトムスはちょっと落ち着いた感じがいいかな」
タケミは探す場所を変えた。
ボトムス、ズボンやスカートが多くハンガーに掛けられている方に目を向ける。
しばらくその中から一枚一枚服を取り上げては戻すのを繰り返し、その中のひとつを引っ張り出した。
「……うん、これなんていいんじゃないか」
丈の長いスカートだった。
腰の方が白色で、裾の方は柔らかな三色の布が切り貼りされたスカート。
「なんだっけ、これ、ツギハギ?」
「オシャレのかけらもない男だね、パッチワークとお言い。パステルカラーのパッチワークスカートだよ」
店長さんが文句をつけた。
「それだそれ。店長、これに合うコートないか?」
「はいはい」
店長さんは瞬く間にコートを一枚持ってきてくれた。
灰色のロングコート。
「よし、着替えておいで」
店長さんがそう言って、お店の隅を指さす。これまで気付いていなかったけれど、そこにはカーテンが引かれていた。
そっと開けると、奥の壁に縦に長い鏡が貼られていた。
服を持って、カーテンを閉める。
一度、洋服を着た経験のおかげか、脱ぐのも着るのも、朝よりは素早く出来た。
「お、終わりました……」
そう言って、カーテンを開ける。
「……うん!」
タケミが私の姿を見て、思い切りうなずいた。
「似合う!!!」
「あ、ありがと……」
なんだかタケミの顔が直視できなくて、うつむく。
顔が熱い。
心臓がどくんどくんと脈打ち、指先が震えている。
「鏡、見たか?」
「え……あ、まだ……」
着るのに精一杯で、見ていなかった。
私は振り返る。
鏡の中には、知らない私がいた。
顔が変わったわけじゃない。
着ている服が変わっただけ。
それなのに、全然違う。
オレンジのニットはぱっと明るく、パッチワークのスカートはひらりと広がっている。
灰色のコートに包まれて、なんだか自分の輪郭がはっきりしているような気がする。
ここに、いる。私がいる。
「…………」
私は呆然と鏡を眺めた。
「ほら、楽しいだろう?」
後ろからタケミが得意げにそう言った。
「……うん!」
私は思いきりうなずいた。
私達はまだその中からこれぞというものを選べていなかった。
ここまでくると選ぶという作業もほとんど惰性である。
「……店長ー!」
タケミがとうとう店長さんに泣きついた。
店長さんはいつの間にか湯気の立ちあがるコップを片手に持っていた。
「はい、お茶」
店長さんはタケミを一旦無視して、私にも同じコップを手渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
色のついた透明なお湯。匂いをかぐと初めてかぐような香りがした。
どこか華やかな香り。
「良い香り……」
「エルダーフラワーのハーブティーだよ」
言われてもちっともぴんとこなかった。
お茶の香りを嗅いで、このお店の香りについて思い出す。
「あ、あの、このお店の中も良い香りがします。お香を焚いているのですか?」
「アロマだね。今日はベルガモットだ」
「べ、べる……?」
「柑橘系のアロマだよ、ミカンの仲間」
ミカンなら、なんとかわかる。
「店長、俺のお茶は?」
「ないよ」
ばっさりと言い捨てて、店長さんはふんと鼻を鳴らした。
「ところで、それ、ちゃんともとの場所に片付けるんだろうね」
タケミが積み上げた服の山を睨みつけながら、店長さんはそう言った。
「…………」
タケミが沈黙した。
一心不乱に服を漁っていたのだ。何がどこおにあったかなんて、覚えていないのだろう。私もまったく覚えていない。
「……この店の陳列なんて、適当だろう」
タケミがなんとか反論する。
「適当なもんか、こっち半分が男物で、そっち半分が女物だよ」
「そんくらいは見ればわかる……。だからこっちで探してるんだ……」
ちょっと疲れた様子でタケミがもごもごと反論する。
「ふふ……」
私はつい笑ってしまった。
お堂で、社で、学校で、これまで何があっても自由気ままに振る舞っていたタケミが、こんなことで振り回されているのがなんとなくおかしかった。
「……笑った」
タケミがこちらを見て、そう言った。
ぽかんと口を開いて、なんだか私の顔なんて初めて見たとでも言わんばかりに、まじまじとこちらを見ている。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「いや、違う違う。初めてだろ、笑ったの。それだけ」
「初めて……でしだっけ?」
「初めてだよ」
タケミは柔らかく笑いながら断言した。
そうか、私はタケミの前で初めて笑ったんだ。
笑うのは久しぶりだ。四年ぶりだ。
お姉ちゃんがいたときは、笑えてた。
いつだってお姉ちゃんは私を笑わせてくれた。
何気ないことだ。何を話して、何があって笑ったのか、私はもう覚えてはいない。そんな儚い思い出。
大切だったのに、気付けばなくしてしまった思い出。
少しの寂しさを振り切るように頭を振って、私はタケミに向き直った。
「……タケミのおかげです」
「……そう、か」
タケミは照れくさそうに笑うと、こちらに背を向けてしまった。
私はその背をじっと見つめた。
ちまちまと動きながら服を探す姿が、なんだか急に胸に迫ってきた。
あたたかい。
私は今、嬉しいんだ。
感情が、わかる。ある。それがこんなにも新鮮で心弾む。
それはこの二日間で知った何よりも代えがたい感情だった。
「…………」
お茶を置く。改めてタケミが築いた山に目を向ける。
「あ、あの、これがいいです」
山の中から一枚の服を引っ張りだして、私はタケミにそう言った。
「ん」
タケミが振り返る。
「オレンジ色のニットのトップスか。それ、気に入ったのか?」
「……ちょ、ちょっとタケミの服と似た色だから……」
恥ずかしさに口ごもりながら、私はそう答えた。
「そっか」
タケミはなんでもないようにうなずいた。
「トップスが鮮やかな色なら、ボトムスはちょっと落ち着いた感じがいいかな」
タケミは探す場所を変えた。
ボトムス、ズボンやスカートが多くハンガーに掛けられている方に目を向ける。
しばらくその中から一枚一枚服を取り上げては戻すのを繰り返し、その中のひとつを引っ張り出した。
「……うん、これなんていいんじゃないか」
丈の長いスカートだった。
腰の方が白色で、裾の方は柔らかな三色の布が切り貼りされたスカート。
「なんだっけ、これ、ツギハギ?」
「オシャレのかけらもない男だね、パッチワークとお言い。パステルカラーのパッチワークスカートだよ」
店長さんが文句をつけた。
「それだそれ。店長、これに合うコートないか?」
「はいはい」
店長さんは瞬く間にコートを一枚持ってきてくれた。
灰色のロングコート。
「よし、着替えておいで」
店長さんがそう言って、お店の隅を指さす。これまで気付いていなかったけれど、そこにはカーテンが引かれていた。
そっと開けると、奥の壁に縦に長い鏡が貼られていた。
服を持って、カーテンを閉める。
一度、洋服を着た経験のおかげか、脱ぐのも着るのも、朝よりは素早く出来た。
「お、終わりました……」
そう言って、カーテンを開ける。
「……うん!」
タケミが私の姿を見て、思い切りうなずいた。
「似合う!!!」
「あ、ありがと……」
なんだかタケミの顔が直視できなくて、うつむく。
顔が熱い。
心臓がどくんどくんと脈打ち、指先が震えている。
「鏡、見たか?」
「え……あ、まだ……」
着るのに精一杯で、見ていなかった。
私は振り返る。
鏡の中には、知らない私がいた。
顔が変わったわけじゃない。
着ている服が変わっただけ。
それなのに、全然違う。
オレンジのニットはぱっと明るく、パッチワークのスカートはひらりと広がっている。
灰色のコートに包まれて、なんだか自分の輪郭がはっきりしているような気がする。
ここに、いる。私がいる。
「…………」
私は呆然と鏡を眺めた。
「ほら、楽しいだろう?」
後ろからタケミが得意げにそう言った。
「……うん!」
私は思いきりうなずいた。