麓の駅へ向かうバスのなかで、憤然とした表情の優牙に白狼がやれやれと溜め息をつく。
「あれはお前が悪い」
「我は真実を口にしただけだが」
「この学校に神様が人間に扮して登校しているって? むかしはそれで通用しただろうよ。蒼谷の狼神信仰はもはや廃れたと言ってもいい。いまさら神がどうのこうのなんて騒いだところで精神病棟に送られるだけだ」
たぶん、学校関係者の多くが今日の優牙を見て、心を病んでいたから旧家が療養させていたのだろうと勘違いしたに違いない。そのぶん、彼に近づく人間がいないのは白狼には助かるのだが、何事もやりすぎはよくない。
「そうなのか」
しゅん、とうなだれてしまった優牙を見て、白狼は苦笑する。
「けどな、俺はお前に逢えて嬉しい。現代常識もなにもわかってない怖い者知らずの神様だ。人間に交わることを拒んでいたお前が、ふたたび人間に関わろうとしている。それが、嬉しい」
「……シロ。すこし黙れ」
「はいはい」
白狼は素直に口を閉じ、何事かを考えている優牙の横顔を見つめる。ガタガタの山道を黙々と進むバスは、気づけば麓の駅を過ぎ三の谷へ向かっている。バスに乗っている人間も運転士をのぞけば自分と優牙しかいない。
艶やかな青みがかった黒髪に黒曜石のような虹彩を持つ鋭くも美しい双眸を持つ彼の本性は狼神、それも蒼谷の土地を千年以上もむかしから守護しつづけている白き狼を従える大いなる神、白狼大神だ。古くから縁ある人間ならば彼の存在に疑問を持つことはないが、それでも彼が白峰の忘れ去られた社から現れたときは驚いたものだ。
「――我はうさぎを探しておる」
協力してくれるのならば、狼に憑く悪しき厄神を滅してくれる、と。
けれど白狼は以前、瞳と話していて気づいたことがある。あれはたしか、彼女が臨時職員として図書館に入ってきたばかりの頃。
彼女には三十年前に海に消えた旧家出身の伯母がいる。その魂は運命の輪から外れ、因縁は絶ち切れたかのようにみえた……表面上は。
「……うさぎ、うさぎ」
彼はうさぎと豪語するが、伝承のなかでそれは人間の女性として語られている――かつて人間に扮した狼神が、恋した女性として。
生まれ変わったうさぎを求め、忌まわしい人間のもとへと降臨してきた蒼谷の狼神。いままで深い眠りのなかにいた彼が覚醒し、この地を脅かしている厄神を浄化するつもりになったのも、あかうさぎがいると知ったからだと、白狼の周りの大人たちは決めつけている。
そのうさぎの生まれ変わりというのが誰なのか優牙は知らない。けれど、すぐにわかるだろう。白狼の傍にいれば必ず。
――あなたは運命に負けないわ。
決めたのだ……自分が彼女に強く惹かれてしまった、あのときから。
海の狼神亡きいま、山の狼神である優牙だけが、白狼の願いを叶えてくれる。
だが、すべてを彼に委ねられるほど、自分は割り切れないでいる。
「シロ……深く考える必要はない。いまはこの世に馴染めぬ我の傍にいてくれ」
自分がうさぎのことについて考えていると優牙は睨んでいたらしい。白狼は何も応えず恥ずかしそうに笑い、素直に頷いた。
この気持ちは感傷にすぎないと、淡い恋心に蓋をして――……