「卯月」

 黒狼という大仰しい名前は黄の月離野の大婆がつけたものだという。海の沖磯の人間ならば、そのくらい気負わないといけないと、半ば押し付けられるような名付けだ。もしかしたら大婆は予知していたのかもしれない、密かに生きていた海の狼神の寿命を。そうでなければ自分たちに加担するわけがない……けれどその後のことまではわからなかったのだろう。
 卯月と黒狼が心中した夜、沖磯家で火事が起きた。全員が焼け死んだという。ひとびとは息子が神嫁に横恋慕したから、その神罰が一族郎党にくだったのだと噂したが、真相は緑の深森が他の旧家へ見せしめのために行ったものだった。
 それを目の当たりにしたからか、海の沖磯と親しかった黄の月離野も水の三上にだけ真実を告げて蒼き谷から逃げだした。
 やがて、緋の鳥居も最後のひとりが姿を消した。その頃にはすでに卯月であったうさぎの魂は瞳として生まれ変わっていた。
 いつしか旧家は分裂し、海神を尊重していた蒼と黄の流れを汲む緑の深森と山神の白と緋の伝統を守っていた水の三上の対立が表面化する。
 その一方で紫の石動の分家である各務原へ嫁いだ次女、睦月が生んだ一人娘は緋の一族の最後のひとりによってヒトミと名付けられ、何も知らされることなく育っていた。
 緋色の美しい兎、という意味を隠された彼女が卯月の生まれ変わりであることは緋と蒼の一族双方から信頼されていた紫の石動の一部しか知りえなかった。だが、深森と三上をまとめるために彼らは秘されたうさぎの存在を公表したのだ、緋の一族の輪から外れながらも強力な破魔のちからを持つ卯月の生まれ変わり。当時すでに高校生だった瞳は推薦で葉幌の女子大への進学を決めていたため、旧家の人間は彼女が大学を出て、蒼谷へ戻って来るまでは儀式を行わず、様子を見ることにした。