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 閑散とした図書館内で、瞳はひとり黙々と作業をしている。最新鋭の図書館設備に興味でも持ったのか、さきほどまで瞳の周辺をうろうろしていた青年の気配はない。

「各務原さん」

 けれど、その気配によく似た男性の落ちついた声が、上から降ってくる。
 紳士然とした男性、瞳を図書館職員にと懇願した深森理事長と、高等部一年の担当、秋津だった。

「少し席を外してもらっても構わないかね」

 カウンター作業ならば秋津にやらせればよいと言って、深森が瞳を促す。

「あ、はいっ」

 瞳が深森とともに図書館から離れるのを見送った秋津は、ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。

「生徒を誑かす女狐め……ひっ!」

 小声で毒づいていた彼女の横で、何もない場所からバサッと紙吹雪が舞いあがる。

「キツネじゃなくて、かよわいうさぎだよ」

 姿を消したままの青年、沖磯黒狼はカウンター前に積まれたコピー用紙をビリビリ破って空へ打ち上げつづけている。
 虚空に浮かびあがる異様な光景は、神秘的でありながら、窓の向こうから見える桜の散り際のようにも見えて不吉でもある。
 そろそろ桜が散るのだなと黒狼は嘆息する。五月の蒼谷を彩る守護桜は亡き八綾家がひとつ、桜の花幡が遺したうさぎを護る檻でもある。狼神がマーキングしていたのは誤算だったが、水の三上が同職だった橙の神酒を政略結婚で併合していたのを思い出し、諦める。桜は檻、橙は枷。これで冥界へうさぎを連れ出すことは不可能になった。彼女に残された道は狼神の花嫁となることか、生贄として殺されるか……

「さぁどうする山の狼神よ――緑の深森が動き出しちまったぞ?」

 そして秋津を驚かせることに飽きた黒狼は、えらいこっちゃと他人事のように呟きながら、図書館をあとにする。