「ところで先生。三柱(みはしら)狼神(おおかみ)兎姫(うさぎ)の恋物語。あれにはつづきがあるんですよ」

 本が山積みにされたカウンターで囁かれた澄み切った少年の声。瞳は顔をあげ、窓からこぼれた陽光を浴びて黄金色に輝く髪を見て、言葉を失う。

「うさぎが生まれ変わるのを待って、神々は我先にと行動を起こすんです。今度こそ幸せにすると」

 うさぎという単語を耳にするたびに、瞳は逢ったこともない少女の姿を思い浮かべてしまう。母の姉、卯月(うづき)のことを。
 三十年前に、海に消えたという彼女の話は不幸な事故だったと言われている。けれど。
 瞳は俯いていた顔をあげ、首を振る。

「伯母さまは、しあわせだったはずよ」

 彼は泣き笑いのような表情を見せ、彼女の口からでた言葉に反撃する。

「愛するひとと逝けたから? 俺はそんな風に逃げたくない。運命に抗ってでも、生きていきたい……先生は?」

 少年の怯えたような声が、瞳の心をざわめかせる。

「わたしも同じよ。物事には起こるべくして起こる因果性の法則、因果律によるものだけで語れるとも思えない」

 それに、ここは蒼き谷の伝説が残る場所。

「気まぐれな神様が、いつ奇跡を起こすかなんて誰もわからない。だから大丈夫――運命と対峙しても、あなたはけして負けないわ」

 根拠のない言葉なのに、瞳は自信を持って少年に告げた。
 誰をも魅了する花のように美しい微笑を添えて。