落ち着いた後、アマリはずっと願っていた事……荊祟に礼をしたいと、カグヤに申し出た。だが、何も思い浮かばない。周囲の者が望むのは『花能のアマリ様』だった。個人的に品を贈る行為も禁じられていたのだ。
 裁縫は得意なので、何か作ろうかとも考えたが、反する異能者の念がこもった品は迷惑かもしれないと諦める。抗えない隔たりを今更ながら痛感し、少し悲しくなった。

 ――『悲しい』? 私はあの方と、仲を深めたかったの……?

 悩んだ末、神楽舞(かぐらまい)の一つを披露することにした。話を聞いたカグヤは、面食らいながらも頼みを聞いてくれた。
 髪を巫女結びに結い、以前与えられた(あけぼの)色の小袖に月白(げっぱく)の羽織を纏い、鈴付の藤色の扇子を手にする。この屋敷に巫女装束や神楽鈴(かぐらすず)があるはずもなく、独自の仕様に仕上がった。


「荊……長様。今宵、お呼び出しなど致しまして失礼(つかまつ)ります。大層なものではございませぬが、御礼の意を捧げとうござりまする」
 開口一番、尊巫女らしい振る舞いを見せるアマリに、荊祟は苦笑する。
「なんだ仰々(ぎょうぎょう)しい。礼は要らぬと、あれ程申したのに……意外と頑固だな。お前は」
 迎えた当日の黄昏――いや、逢魔ヶ時(おうまがどき)紫紺(しこん)暮明(くらがり)に包まれた、どこか心(もと)無い、あの庭園の(ほとり)に二人はいた。
 自分が贈った山茶花の(かんざし)、曙色の着物を身に着け、いつになく懸命なアマリの様子が、荊祟にはやけに可笑(おか)しく……微笑ましかった。
「改まってどうした? 厄払いでもするのか」
「ち、違います‼」
 焦って眼を目一杯見開き、慌てて否定する素振りに、ぶは、と荊祟は素顔のまま吹き出し、くっくっ、と楽しげに喉を鳴らす。気を許してくれたからだとわかっていても、悪い冗談を言う厄神に、アマリは憤慨した。
 だが、琥珀の瞳に仄かに温かな光が灯っているのに気づいた。今までと別人のように感じる……
 自身の感情の機微に疎いアマリでも、ようやく自覚していた。今の彼ヘの想いは、前よりもずっと切なくて、知られたら死にたくなる位に恥ずかしい……
 赦されるならずっと傍にいたい。この方を知りたい。自分を見て欲しい。そんな欲に溺れた、弱く愚かしい情――

 動揺を覚られないよう、努めて冷静に、アマリは説明する。
魂鎮(たましず)めの舞でございます。貴方様とこの界の皆様、そして…… あらゆる世の方ヘ……慰安の意を込め、奉納致します」
 魂鎮め――悲しみに落ちた者を慰め、召された魂を鎮める為、尊巫女の慈悲を込めて舞う儀式が人族の界にはある。
 不幸を誘発する厄神に、そんな舞を披露するのは痛烈な皮肉か、挑発に見える。だが、何も持たない自分が、自らの手を汚す酷な務めを背負う彼に出来る事は、これ位しかないと考えたのだ。
 一方、荊祟は神妙な物言いに、彼女の意を察した。自分の力により荒らされ、失われてしまった、人族の界の自然の富、尊き生命。出来る事なら暴挙や脅威に頼って、過ちを知らしめたくはないのだ……

 鋭利な眼を見開き、驚きつつも許容したような彼を確認し、アマリは扇子を持つ腕を振った。チリ……ン、シャラ……と小さな鈴が鳴り、辺りに儚くも涼やかな音色が響く。
 月白の羽織が、ひらり……ひらり……と広がり、はためく。しなやかに、ゆるやかに、藤色の扇子が宙を舞う度、薄紫の花弁(はなびら)が踊り降るようだった。
 唐突に荊祟は感じた。ずっと見ぬふりをしていた自身の状態。立場を忘れずにいられない程、目の前の――彼女が発している(オーラ)に魅了されている。妙な苛立ちまで伴い、億劫に感じながらも、大切に隠しておきたくなるような……

 刹那、彼女の身体から淡い光の玉が現れ、ふわふわ、と宙を飛ぶ。池の水面、足元に落ちる刹那(せつな)、それは姿形を変えた。
 京紫と白の混じった丸い花――蓮華草(レンゲソウ)だ。庭園のあちらこちらに落下しては、ぽつり、ぽつり……と、薄紫色に(とも)ってゆく。
 いつの間にか宵に落ち、蒼黒(そうこく)に染まる空間に灯り、咲いてゆくそれは、まるで花の灯籠(とうろう)――
「……⁉」
 動きを止めたアマリは、自身と辺りを交互に見渡す。驚きで茫然と立ち尽くした。花能としてしか召喚した事しかなかった為、今の異例な現状がわからない。意思に反し、身体から出てくる美しい花達が不気味にさえ感じた。
 助けを求めるように、荊祟の方を無意識に向いたが、彼も驚いたように辺りを見回している。

 ――これは、何……⁉

 途方に暮れたアマリは背中を丸め、頭を抱えた。
「おい、お前また無茶を……⁉」
 花能を使ったと誤解した荊祟は、焦って近づく。
「……大丈夫です‼」
 必死の形相で、アマリは否定し、制止した。
「生気は、使って……いません」
 驚愕した荊祟は、足元の薄紫の灯に目をやり、反射的に腕を伸ばす。
「だめ‼ 触らないで下さい‼」
 彼女の勢いに驚き、また拒否された事に少し衝撃を受けた荊祟は、動きを止めた。そんな彼をアマリは泣き出しそうな顔で見つめる。
 この花に触れたら伝わり、ばれてしまうかもしれない。今、自分が何を思っているかを――

 ――知られたくない。知られてはいけないのに。軽蔑されてしまう。困らせてしまうだけ……‼

「どうした」
「ごめん、なさい! 申し訳ありません! 申し訳ありません……!」
「おい……⁉」
 涙混じり声で、錯乱したアマリは詫び続ける。顔がどんどん熱くなり、火照(ほて)ってゆくのがわかった。とんでもなく見苦しいだろう…… 今すぐ消えてしまいたかった。
 彼女の白い頬が紅色に染まり上がっているのを、荊祟は見た。そんな顔を隠そうと、扇子で必死に覆っている。自分が贈った薄桃の着物が、砂利がぶつかり合う音と共に、じりじり、と自分から逃げるように遠ざかっていく。
 そんな事態が、彼に追い討ちをかけた。鼓動が暴れ、速まり、喉奥が詰まる――

 ――何故、逃げる? 去っていくのか……⁉

 荊祟の胸の奥底に、苛立ちを伴う焦燥が爆ぜた。激しい衝動が稲妻のように貫き、背を突き立て、前のめりに全身が動かされる。
「――落ち着け」
 手首を掴み、身体全体で被さるように動きを止めた。抱き締めながら抑え込む。
 アマリの意識は、彼方に飛んだ。自身に起きている事が、現実なのか夢なのか……曖昧(あいまい)に揺れる思考の中、重く掠れた低音が絞り出され、響く。
「大丈夫だ」
 一息ついた後、観念したように荊祟は告げる。奥深くに隠していたものを、恐る恐る、差し出した。
「――多分……俺も、今……似たような事を、感じている」
 それを何と呼ぶのか、人族は名付けているのか、禍神である荊祟にはわからない。『罪無き哀れな生物』を保護し、生かしておくだけのつもりだったのに、いつからだろうか。求め止まなくなってしまったのは。
 アマリにも、一つだけ確信している情はあった。芽生えたばかりで拙く、ひりつきを伴う温かな(おも)い……

 “あなたは 私の苦痛を 和らげる”

 今も、きっと此の先も、身体の芯に咲き、ほろ苦く息づいていく気がした。


【了】