スーパーから帰って荷物を持ってマンションを上がる。うちの階ではなく下の階。インターホンを押したら、しばらくしてゴソゴソゴロゴロと物音を立てながら玄関の鍵が開いた。ドアは開けられないので私がノブを回す。
「よお、生きてるかーい」
ドアを足で開けて言いながら物で溢れた玄関を通り抜ける。
ガサガサとビニール袋の音を鳴らしながら部屋に入ると、山姥のような見た目の女が本の山から顔を覗かせてきた。
「うむ、かろうじて生きてるな、デデンカ」
私は彼女の生存確認をし、部屋に入る。彼女は私の小学生時代からの友人。本名は丸井(まるい)姫華(ひめか)。紆余曲折を経てデデンカと呼んでいる。
「おぉ、さーちゃん……久しぶり。また修羅ったのかね」
「はぁっ?修羅ってないわ!今日はちょっとあんたの顔でも拝んでやろうかと思っただけだし!」
さっそく私の傷口に塩を塗りたくる山姥に私は慌てて言う。
不健康そうな細身、ボサボサの黒髪、化粧っ気のないすっぴん、分厚い眼鏡。完全に世界から離脱している女である。
「その割にはいろいろと買い込んでるじゃないか。ところてんは買ってきただろうなぁ?」
荷物をキッチンに置くと、私の背後にのそのそと忍び寄るデデンカ。風呂だけはきちんと毎日入ってるみたいで、今日もせっけんの香りがする。
「ほらよ」
私はデデンカの顔にところてんのパックを押し付けた。目の色を変えるデデンカ。これでヤツは大人しくなる。
「わぁい~、この誰にも媚びない見た目!味!最高かよ~!」
いや、はしゃいでるな。大人しくなかった。まぁしばらくは私の傷を抉ることはないだろう。私は缶ビールのプルタブを開けて買ってきた材料を並べると、さっそく調理を開始した。
ビールを飲みながら食べたいものを作る。
春キャベツがあったので、これと新玉ねぎ、ちょっと高いしんなりした梅ひじきジャコのふりかけでパスタを作る。
沸かしたお湯にパスタ麺を入れて七分茹で、その間に春キャベツと新玉ねぎを適当にカット。キッチン脇に置いたビールを時折飲みながら、その横に置いたコンビニのからあげをつまむ。最近じゃスーパーの作り置き惣菜よりコンビニのほかほかホットスナックが優秀すぎてリピートしちゃう。まぁ、彼氏がいたときはこんなことしなかったんだけども。
フライパンを熱し、同時にパスタ麺が茹で上がったのでお玉一杯分の茹で汁をとったらあとは湯といっしょに麺をザルに流した。もわんと真っ白な湯気が、小さな蛍光灯一本の明かりの中へ吸い込まれていく。
ごま油を敷いた焦げ付いたフライパンにキャベツと玉ねぎを入れて適当に炒め、ビールを飲む。からあげをつまむ。パチパチ跳ねる油の音が耳に心地よく、その中ににんにくチューブをびゅびゅっとたくさん入れた。
しばらくにんにく料理を控えていたこともあり、そろそろ禁断症状が出そうだったのでこの別れはナイスだったのかもしれない。たぶん。
ビールを飲む。からあげをつまむ。あ、ラスイチだ。食べる。
肉をもむもむ食べてビールで流し込むと、熱気も相まってだんだん気分が高揚してくる。いいぞ、もっとだ。もっとアゲていこうぜ。
野菜に油がまわり、梅ひじきジャコを全部入れる。ささっと炒って、火を弱める。お玉一杯の茹で汁を入れて、フライパンを回してなじませる。パスタ麺を入れて醤油を少し垂らして……はい、出来上がり。
「ったく、皿がないんだけどー。どこにあんのよ。流しにつっこんだままかー?」
そう言いながらフライパンの火を消すも、デデンカは知らん顔でところてんを美味そうに食べている。それ、そんなに美味いか。よくわからない。
「んもう!ま、そんなこったろうと思ったから紙皿買ってきてるんだけどさぁ」
私はビニール袋から紙皿を出し、二枚出してパスタを盛った。本当は刻みノリがあるといいんだけど買うのを忘れていた。
「ほら、ところてん女。できたよ」
二人分のパスタをチラシまみれのダイニングテーブルにドンと置く。ゴミは比較的少ないけど、本や漫画、雑誌、チラシ、原稿のコピー用紙が散乱しすぎているこの家。適当に足蹴にしたり鍋敷きにしたりランチョンマットにしてもデデンカは怒らないので、きっとどうでもいいものなのだろう。
「別に作ってくれと頼んでないのに、勝手におめぇが作ったんだろがよー」
デデンカはぶつくさ言いながら、ダイニングテーブルについた。
皿も行方不明になるこの家でフォークなんてものを見る機会はついぞないので、あらかじめ買っていたプラスチックのフォークを差し出すと、デデンカはさっそくパスタをくるくる回して食べた。私はなくなったビール缶を放置し、今度は度数の高い酎ハイに手を出し、パスタを食べる。うん、美味しい。
「にんにく効きすぎ、キャベツでかすぎ、玉ねぎ炒めすぎ、ジャコうますぎ」
デデンカもお気に召したようで感想を言いながら食べていく。
私は無味の酎ハイをこっくり飲みながら、まったり食べる。
「てかさー、聞いてよデデンカ」
うちの彼氏さぁ、この間の婚活パーティーで知り合って年下でさぁ、コンサルの仕事で、年収はまぁまだ二十代ってことでまだまだなんだけど、将来的に見ても有望株でね、顔も今どきの韓流っぽい感じで、それはそれはいい子だったのよ──そんな話をダラダラしながら、酎ハイをぐびり。ムラのある強い味付けのキャベツを咀嚼する。
「あー、はいはい、顔で選んだやつだな」
デデンカが適当な相槌を打つ。
「顔じゃねーし。年収だし。将来性を鑑みたの!」
「でもフラレてんじゃん。聞こえてたぜぇ、お前の『浮気しても全然オッケーだし!』がよぉ。お得意の都合いい女ムーブかましてどうにかこうにかつなぎとめておこうとさぁ。見苦しいねぇ。ぐひひ」
デデンカはパスタをズルズルすすった。私もフォークまきまきして食べるのをやめ、ラーメンのようにズルズルとすすっていく。
「聞こえてるわけねぇだろ。窓閉めてたわ。んでも、そうでもしないと、男なんて捕まらないのよ。頭の中、お花畑の万年処女には分からないだろうけどなぁ」
「万年処女の何が悪いってんだ、やるだけやってポイ捨てされる女よりはまっとうに生きてると思うぜ」
デデンカはふんぞり返って言った。なんでそんなにひねくれてるんだろうな、この人……小学生からの付き合いだけど、彼女の思考はいまだによく分からない。
「だいたいよぉ、猫かぶってたって、いずれその雑な面がボロ出すだろ。結婚までこぎつけたって、どうせ一年ももたないよ」
「それは……言い返せないな」
私は悔しくなって酎ハイをぐびりと飲んだ。デデンカのパスタはそろそろ底をつき、皿にへばりついた細かいジャコをフォークでカスカス取っている。
確かに私は猫かぶりだ。男の前じゃ、こんな風に雑な格好で、無に近い雑な表情で、雑な言葉遣いで、雑なパスタなんて作らない。そもそも「お酒は飲めません」で通しているし、あざとかわいいを身に着けて女という生き物に擬態している。じゃあ、この本当の雑な私が女じゃないのかと問われれば首をかしげるところだが。世間でいう一般的な女性像の常識を身に着けておかなくては表を歩けないのだ。
デデンカはそういう面倒なしがらみをまとわず、家に引きこもっている。果たしてどちらが幸せなのだろうか。
「ほんと、あんたみたいに自然体でいられれば苦労しないけどねぇ」
パスタよりも酒の進みが早い。明日仕事なのになー。
仕事と言えば。
「あ、デデンカさんよ、原稿はどうなのよ。締切近いんだっけ?」
「いつの締切の話してんだよ」
デデンカはフォークでジャコを取るのを諦め、舌で舐めようとして止まった。さすがに行儀が悪いと感じたのか、指で取ることにして眉をひそめている。
「さーちゃんがうちに泣きついてきたのって……」
「おい、捏造やめろ。泣きついてないわ」
「黙れ。えっと、泣きついてきたのが確か前の彼氏にフラれた時……ってことは先月か。おう、先月の原稿ならちゃんと出したぜぇ。ギリギリ」
ふーん。間に合ったなら良かったよ。あの時の私は派手に泥酔して二日酔いで会社休んだもんな。つまり、私が飲んでる横でこの人は原稿と戦っていたらしい。小説家も大変だな。そう思っていると、デデンカが眼鏡をキラリと光らせて笑った。
「ただ、今月の締切がまだ倒せてない」
ダメじゃん。
「なんで締切って時期が地味にかぶるんだろうねぇ」
私は苦笑交じりに言った。私は広告デザインの仕事をしているので、作家業のことはよく分からなくても納期やら入稿やらの作業はなんとなく共通していると思うので共感しやすい。そんなことから出た言葉に、デデンカは「分かった気になりやがって」と悪態をつく。
「いや分かるよー、分かる分かる。A社とB社、それぞれまったく違う職種でデザイン依頼も違ったり、規格がそもそも違うのにさ、なんで締切だけかぶるのか謎すぎるんだよねぇ」
「まぁ人間は週末や月末までには仕事終わらせたい生き物だからな。下請けにぶん投げて仕事終わらせた気になってんだろ」
「嫌な言い方するな。さてはボツ食らい過ぎたか?」
デデンカの言い方から、彼女もまた仕事に行き詰まりを感じているような気配があった。しかし彼女はプライドが山のごとしなので泣き言は絶対に口にしない。
「ボツっていうより、あれだなぁ……マッチングがうまくいかなかった感じ」
「なんかかっこいい感じに言うね」
要するにボツを食らったのだろう。そう解釈しておく。
「私もあるよ、何度もリテイクさせられて原型ないし、そもそもクライアントの意図からも外れてくし。作り手と売り手って相容れないもんで、向こうの見切り発車具合が丸分かりなもんだから色々とリスクを提示してやってんのに、重箱の隅突かれたみたいな顔して不貞腐れられるし」
「そりゃ重箱の隅突いてんだよ、気づけ」
「おっと、そっち側に回るか」
今度は私が眉をひそめた。ハイボール缶を出してプルタブを起こす。プシュッと弾ける爽やかな音で機嫌を治そう。
「あー、幼馴染が冷たいー!ハイボールも冷たいー!」
酸っぱい酒を飲んでも機嫌は直らなかった。そんな私の様子に、デデンカが肩をすくめる。
「いいことじゃねぇか」
「黙れ。慰めろよぉ」
「勝手にフラレて勝手に押しかけてきて勝手に料理して勝手に酒飲んでるんだよ、お前さんは人ん家で。私は許可してないってのに」
そう言うあんたも私のパスタ食ってるじゃん。
「うちのミザリーはこんなじゃない。もっと貞操観念がしっかりしてる」
ミザリーとは、デデンカが書いている悪役令嬢もののヒロインである。いろんなイケメン子息からフラレまくり、悪役となった令嬢ミザリーが死刑回避のために人生をやり直す物語だ。なぜか私がモデルらしい。って、私だって貞操観念くらいは常識の範囲だっての!
「というか、ミザリーって名前本当にろくでもないな!」
私はこの話になるたびに吠える。
「調べたけど、悲惨って意味らしいじゃん!有名ホラーのタイトルだし不吉すぎる!」
「だって、さーちゃんの名前、美操じゃん?そっから名前もじってったら、ミザリーしかなくね?」
デデンカはどうやらお気に入りらしいので、またさらに私が気に食わないのだ。ハイボール缶を握りつぶす。
「他にもかわいい名前あっただろうに」
「残念ながら、さーちゃんに『かわいい』は似合わないぜ」
せせら笑う幼馴染の憎たらしさときたら。このやろう、喧嘩売ってんのか。
「さーちゃんは『どうしようもなく雑でバカで情けなくて愛おしい』んだぜ」
「ぜんぜん褒められてる気がしないッ」
私は握った缶を離し、椅子の背にもたれた。
へこんだ薄いアルミ缶がパコッと音を立てるダイニングテーブルにはまだにんにくの香りが残っている。