起きた瞬間に、寒いと思った。昨日までは目が覚めたときタオルケットをひっぺがしているくらいの気温だったくせに、十月中旬になって急に秋が来たらしい。

 そろそろ衣替えしないとなあ。面倒だなあ。

 あくびをしながら、キッチンに向かう。

「おはよう、篠さん」
「はよ」

 キッチンでは篠さんがフライパンでなにかを焼いていた。香ばしい香りがするから、ベーコンかな。わたしは目をこすりながら洗面台に向かう。洗顔するのにも、水が冷たい。この感覚は久しぶりだ。

「篠さーん、秋服もう出した?」

 キッチンにもどりがてら声をかけると、篠さんは菜箸片手にふり向いた。ショートカットの茶髪がかすかに揺れる。

「先週のうちに出したよ。ミキはまだ夏服なの?」

 呆れたみたいな表情を浮かべている篠さんに、ちょっとむっとする。

「昨日まで、まだ全然夏ですけど、みたいな気温だったじゃん」
「ニュースで週末にかけて気温下がるって言ってたよ」
「えー、教えてよ」
「ニュース見ないミキが悪い。『自分のことは自分でやる』、でしょ?」

 そう言われると、口をつぐむしかない。まったくもって、そのとおりだ。

「……すみません、生意気言いました」
「よろしい。ほら、さっさと保湿してきな。肌荒れするよ」

 はあい、と自室にもどって、化粧水導入液、化粧水、乳液を顔に乗せていく。そのまま化粧と着替えを済ませて、またキッチンへ。食パンをトースターに放り込んでから、今度は洗面所に移動。洗顔のときに温めておいたヘアアイロンで髪を整える。

 いつもと同じ、朝のルーティーンだ。

 足もとにふさふさしたあたたかいものが触れた。見下ろして、つい頬がゆるむ。

「おはよ、くろさん」

 なあ、と鳴いているのは黒猫のくろさん。ひとなでしてキッチンに向かうと、くろさんも足もとをついてくる。蹴り飛ばしそうでちょっと怖いけど、まあ、くろさんならうまいことよけてくれるだろう。

「くろ、おいで。朝ごはん」

 篠さんの声に返事をして、黒猫はわたしから離れていった。

 わたしもトースターからパンを出してジャムを塗ると、ダイニングテーブルに持っていく。テーブルには、すでに篠さんのいつもどおりに完璧な朝ごはんが乗っていた。ロールパンと、スクランブルエッグとベーコン。それからかぼちゃのスープに、湯気の立つ珈琲。

 おいしそう。だけど、うらやましく思っても仕方がない。

「いただきまーす」

 わたしは篠さんと向かい合って座り、トーストをかじる。部屋のすみでは、くろさんが猫缶の盛られた器に顔を突っ込んでいた。

 三者三様の朝ごはん。

 自分のことは自分でやる、がこのルームシェア生活での基本だった。ご飯は各自、洗濯も各自、掃除も各自(くろさんは例外)。だから篠さんのご飯がいくらおいしそうでも、わたしに提供されることはない。

 篠さんとは大学で出会って、なんだかんだと社会人三年目までを一緒に過ごしている。ルームシェアをしようとしたきっかけは、さて、なんだったっけ。

 わたしはきれいなマンションに住みたかったし、篠さんは広いキッチン付きで、猫が可の物件を望んでいた。そんな要望で探していると、ひとり暮らしよりルームシェア向けの物件のほうがヒットしたのだ。で、流れでそのまま同居開始、みたいな感じだったはず。

 視界にくろさんのしっぽが揺れているのが映った。しっぽの先だけ、ちょっと白いのがチャームポイントだ。

「くろさんはいつもかわいいねえ」

 そうしたら、くろさんは「食事中に見るな、気が散るぞ、人間」みたいな顔を向けてきたから、苦笑してテレビに視線を逃がす。

 画面の中では「残業しないで定時で帰りたがる若者が増えている」なんて話題が流れていた。新婚だから早く帰りたいし、なんて街頭インタビューで答えているサラリーマンの様子が映る。それから、子どもの世話があるから残業はできない、なんて若いママさんの回答もある。

 馴染みのある話題すぎて、ちょっと顔をしかめた。

「これ、うちの部署の状況、まんまだよ」

 篠さんがベーコンを口に運びながら、首をかしげた。

「なに? 新婚さんとママさん?」
「そうそう。どっちもいる。残業したくないのはみんな同じなのにねー。……わたし、今日残業あるかもだし、テンション下がるわ。あー、やだやだ」
「大変だねー、がんばんな」
「うわあ、余裕の表情だ。篠さん今日休みだもんね、うらやましい」

 篠さんはアパレル店舗で働いていて、平日の不定休だ。わたしは土日休みの会社員。ほとんど休みが被ることはない。自分が出勤の日、のんびりしている篠さんを見るといいなあと思う。

 ま、今日は金曜日だから、わたしも明日は休みだけど。最後のひとふんばり、頑張ろう。

「ごちそうさまでした」

 皿とコップを洗って、水筒にお茶を注ぎ込む。歯磨きしたら、もう出勤準備は完了だ。自室に置いてあった鞄に水筒を突っ込んで、ダイニングを経由して玄関に向かう。まだ篠さんはご飯を食べていた。その足もとではくろさんが丸まっている。

「いってきまーす」
「いってらー」

 くろさんも、なあ、とのんびりした鳴き声で送り出してくれた。

 いつもどおりの、変わりない朝だった。

 ……残業、ありませんように。