・【07 ナルシスト】


 自殺室にまた一人、入ってきた。
 男子生徒だ。
 その瞬間に自殺室は様変わりした。
 自分の姿が乱反射する鏡張りの部屋だとは思うんだけども、その鏡は粉々といっていいほどひび割れていた。
 どう考えても、その男子生徒がいつもいた場所みたいな感じじゃなくて、これはどういった記憶なんだろうと思っていると、
「自殺室はこんなもったいないところなのか! 鏡にひびが割れてしまっている! 割れていなければ美しいオレが見放題なのに!」
 この言動である程度分かったけども、どうやらナルシストっぽい人らしい。
 確かに見た目も、男子にしては長めの髪の毛に、耳にはピアス、口紅もほのかに引いているようにも見える。
 まあいわゆるイケメンで、眉毛は自分で整えているみたいだ。
 そして今の言動、ナルシストっぽいと最初に思ったが、見れば見るほど完全にナルシストだ。
 でも
《溝渕さん、ナルシストだと思うんですけども、何で鏡がひび割れているんですかね?》
《それは自分が嫌だと思う空間が自殺室に現れやすいからだと思うよ。鏡張りはいいけども、それがひび割れていたら普通の部屋よりも彼は嫌だと思うんじゃないかな》
 なるほど、と僕は納得した。
 確かにその通りだと思う。
 ということはこのナルシストの彼は、最初の彼とは違って、誰かをイジメたり、苦しめたりしていないのかもしれない。
 何故ならそういった場面になっていないし、要素も出現していないから。
 ……いや今は急に空間が変わったことに対してリアクションしてしまったが、僕はそこ以外にも気になっていることがあったので、溝渕さんに聞いてみることにした。
《すみません、何か人がやって来るスパン早くないですか? この学校って三学期を五で分けて、計十五回ですよね。今やっと僕の中の一人目が終わって、ちょっと溝渕さんと会話していたらすぐ来ましたよね。どういうことなんですか?》
《どうやら時間経過が一定じゃないみたいなんだ。俺も未だに面喰らう時があるよ。今がまさにそうだな。だから時間経過は今までここにやって来た人数を数えるしかないんだ》
《ということは溝渕さんは七年間ここにいると言いましたが、七年間分ずっと同じ時間が流れたわけじゃないんですね》
《その通り。体感だと一年弱といったところかな。それでも長いがな》
 これを聞いてなおさら僕は、この自殺室が見世物小屋なんじゃないかなと思えてきた。
 でもどう考えてもハイテクノロジー、いや、オーバーテクノロジーだ。
 そんなことが実際に可能なのか、でも溝渕さんが嘘をついているようにも思えない。
 いや、溝渕さんがこの自殺室の本当の番人で、雇われてやっている人という可能性もゼロではないけども。
 だけど溝渕さんのあの時の、自分に言い聞かせるように語った声などから察するに、やっぱり溝渕さんもこの自殺室に振り回されているだけの人といった感じもする。
 そんなことを考えていると、溝渕さんがアゴを触りながら、こう言った。
《まあこの空間の話に戻してさ、大切なのはあの中央の紐だね》
 溝渕さんの視線の先を見ると、確かに一本の紐、縄のような紐がぶらさがっていた。
 まるで蛍光灯からぶらさがる紐だ。
 なんとなしにその紐の上を見ると僕は驚愕した。
 溝渕さんも気付いていたようで、先に声を出したのは溝渕さんのほうだった。
《あれは鉄槌かな?》
 巨大な鉄っぽい何かが上部に設置されていた。
 もしかするとこの紐を引っ張ると、溝渕さん曰く鉄槌が降ってくるということなのか。
 だとしたら圧死という、かなり壮絶な死に方で、その瞬間僕は、彼が何かやらかしていることに気付いてしまった。
 絶対この鉄槌という死に方には意味があるはずだ。
 前回から学んだ、ある意味唯一のことだ。
 僕は溝渕さんにゆっくりと聞いた。
《いつ僕たちは顔を出せばいいですかね?》
《まあもう少し様子を見ようじゃないか。何も気付かず、紐を引っ張って死んでくれればそれでいいわけだし》
 溝渕さんも紐を引っ張れば鉄槌が落ちてくると分かっているみたいだ。
 まあ当たり前か、溝渕さんのほうがここでの生活は長いし、そもそも鉄槌と言ったのは溝渕さんのほうだ。
「こんなところで裸になったって、鏡がひび割れのせいで、何だかオレの体がバラバラになっているみたいで嫌だろうが!」
 僕は彼のこの台詞を拾って溝渕さんに投げかけた。
《醜い自分を見せるみたいな話なんですかね、この自殺室の意図していることは》
《まあ基本はそうだろうな。一番嫌がるシチュエーションになるからな。そもそも圧死は自分の肉体が残らない死に方だ。だから窒息の溺死とかではなくて、肉体がめちゃめちゃになる死に方をしなければならないんだろう》
 なんて残酷な部屋なんだ。
 いや分かっていたけども。
 でも何故そこまで徹底的に精神を破壊する方向を向いているのか。
 まあ見世物小屋ならそうなんだろうけども。
「そもそも何だこのボロボロの汚い紐、腐った神社の縄じゃん」
 そう言いながらナルシストの彼は上を向き、鉄槌に気付いた。
「えっ、まさかこれで死ねということか……そんなん嫌に決まってるだろ! オレは死ぬにしても美しく死にたいんだ! 首吊りがいい! 神が世界を諦めたように静かに息を引き取りたいんだよ! この縄を首吊り用に加工……なんてできるか! 台が無いだろ! 台が!」
 溝渕さんが困った顔をしながら、こう言った。
《やっぱりこっちで導かないといけないみたいだね。ところで、どうする? 田中くん》
《何ですか?》
《よくよく考えたら田中くんは姿を現さなくても、別にいいと思うんだけども、俺と一緒に姿を現すかい?》
 確かに僕が姿を現す利点は特に無い。
 前回は溝渕さんに促された以外にも僕自身いろいろ試したかった部分もあって、即決で姿を現したけども、また今回も僕の過去をとやかく言い始めるヤツだったら嫌だな。
 でも溝渕さんだけに頼ってしまうのも、どうかと思ってしまう自分がいて。
 死にたくなる役目を溝渕さんだけに背負わせて、自分だけはのうのうと生きるなんてことは正直苦手だ。
 少なくても今は苦手なんだ。
 こんなことが光莉への罪滅ぼしになるとは到底思わないけども、でも今は人と関わる道を選びたい。
 人と関わらなければ変わることなんて絶対に無いわけだから、
《僕も何か手伝えることがあるかもしれないので、姿を現します》
 そう伝えると、溝渕さんは耳のあたりを掻きながら、
《あんまり根詰めないようにね。こんな場所で根詰めても意味無いから》
 そして溝渕さんは僕の目の前で、そしてナルシストの彼の目の前で一段階クリアになって、姿を現した。
 僕はそれに続き、姿を見せた。
 急に現れた男二人にナルシストの彼は大層驚くものだと思っていたが、意外と彼は冷静に、
「何だ。神様の登場か? オレを正しい死に方に導いてくれるのか?」
 きっと自分の望む形、首吊りさせてくれる神様だと思っているようだけども、それは全然違う。
 まず溝渕さんが語り出した。
「俺は死神だ。オマエの死に方を教えにやって来た」
 ナルシストの彼の表情から察するに、田中信太という人間のことを知らないみたいだ。
 だから僕は堂々と言い放った。
「僕は死神の見習いです。よろしくお願いします」
 それに対してナルシストの彼は、
「なるほど、神は神でも死神か。まあいいだろう。オレと対話するには相応しい存在だ」
 と偉そうに言い切った。
 どうやらかなりの自信家で、自分が特別な存在と思っているみたいだ。
 神と対話するレベルの人間みたいな。
 まあ実際僕らはただの死ねなかった元・生徒なんだけども。
 溝渕さんは続ける。
「オマエはこの紐を自ら引っ張って、上にある鉄槌に押し潰されて死ぬ運命だ。さぁ、紐を引っ張るといい」
 彼は舌打ちをしてから、こう言った。
「そんなはずないだろ。もっと美しい死に方があるはずだ。オレはこんな死に方、絶対にしたくない」
 それに溝渕さんはすぐに応戦する。
「残念だったな。この空間は自分が一番死にたくない方法で死ぬしかないんだ。オマエが死ぬ方法はこれ以外には無い。舌を噛み切ろうとしても噛み切れないし、鏡に頭をぶつけても死ねないだろう」
「どっちにしろそんな汚い死に方はしねぇよ、オマエ、死神の割に一方通行なんだな」
 実際は死神じゃないし、死神なら一方通行だろ、と思いながら、僕も何か言うことにした。
「あの鉄槌は非常に大きい鉄だから、死ぬ時は一瞬だと思う。苦しまずに死ねるだけ有難いと思ったほうがいいよ」
 ナルシストの彼は大きな溜息をついてから、こう言った。
「美しく死にたいんだよ!」
 僕は間髪入れず、
「死に方なんてどうでもいいじゃないか。それよりも苦しまずに死ねるなんて幸せなことだよ。この空間では、ね」
 そう苦しまずに死ねるなんて、本当に幸せなことだと思う。
 あんな意識のある状態で、自分で水洗便器に顔を付けるなんて、考えただけでも恐ろしい。
 さらに僕と溝渕さんに関して言えば、こんなに死にたいのに、死ねていないわけだから。
 苦しまずに死ねる、それは素晴らしいことだと思う。
 しかし当の本人には何も伝わらないもので、
「オレはあんなもんで死ぬ理由が無い! オレは絶対に美しく死ねる方法を探す! そりゃ生きたいが死ぬなら美しくだ!」
 と彼が叫んだところで、溝渕さんが咳払いをしてから語り出した。
「いや……これで死ぬ理由はあるんだ。オマエ、出る杭を打って、要は他者の足を引っ張っていただろ?」
 その溝渕さんの一言に表情が変わったナルシストの彼。
 一瞬にして青ざめたことによって、それが図星だということが分かった。
 溝渕さんは続ける。
「出る杭を打って、他人の邪魔をした人間は、鉄槌で死ぬ運命なんだよ」
 その時、溝渕さんがすぐにあれを鉄槌と分かった理由が分かった。
 こういう人は過去にもいたんだ。
 だからあれが鉄槌だということをすぐに理解できたんだ。
 溝渕さんはさらに、
「自分で引っ張れば楽に死ぬことができる。さぁ、君はここで、これで自殺するんだ。今すぐ」
 それに対してナルシストの彼は歯を食いしばってから、
「嫌だ……ぐちゃぐちゃになんてなりたくない……オレはカッコイイんだ……最高にカッコイイまま死ぬんだよ!」
「カッコ悪いよ」
 自分で気付いた時には、自分の口から言葉が出ていた。
 そこからするすると、まるで自分じゃないように言葉が溢れてきた。
「君はカッコ悪いよ。人の邪魔をするなんて。仮に君がナルシストならナルシストらしく自分を鍛えるべきだよ。なんで出る杭を打つんだ。そんなチマチマしたことをやっているから、そんなチマチマしたことに気を掛けているからダメなんじゃないかな。もしそのことに悔いがあるなら、自ら杭を打たれて死ぬべきだ。さぁ、自分に終止符を打つんだ」
 明らかにたじろいでいるナルシストの彼。
 いやしかし戦々恐々としているが、まだ目は死んでいないといった感じだ。
 そして彼は叫んだ。
「うるせぇ! オレはカッコイイ自分でいたかっただけなんだよ! カッコイイ自分を際立たせるにはモブが必要だろ! でもモブがいねぇんだよ! じゃあモブを自分で作るしかねぇじゃねぇかよぉ! だって入学はできたんだ! だからオレはイケるはずなんだよぉぉおおおおおおおお!」
 入学はできた。
 それが地獄の始まりなんだな、と思った。
 そして光莉も入学できてしまった。
 そのせいで、こんなことになってしまった。
 入学できてしまったことは不運だけども、だけども
「カッコイイ自分は自分が頑張ることでしか作れないでしょう、人を蹴落とした時点で、もうカッコ悪いんだよ」
「うわぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ!」
 そううめき声を上げ、頭を抱えて、その場に座り込んだ彼。
 下を向いたまま、彼は声を搾り出すように喋りだした。
「死神のどっちか……オマエらが紐を引っ張ってくれ……」
 溝渕さんが淡々と言う。
「ダメだ。ここは自殺室なんだ。我々は基本的にモノも人間にも触れることはできない。自殺室だから、自ら死のうとしなければならないんだ。もし死のうとしなければ、自分の体が勝手に動いて自殺しようとするんだ」
 それに対してナルシストの彼は何か浮かんだような表情をしながら顔を上げた。
「じゃあそれでいいじゃん……自分の体が勝手に動くんだろ? それならそれに任せて死ねばいいじゃん……」
 確かにそうだ、そう言われて僕もそう思った。
 今回は鉄槌が上から降ってくるだけ。
 それなら結果は一緒だ。
 圧死は一瞬だ。
 僕もそれに賛同するようなことを言おうとしたその時だった。
 溝渕さんが少し圧を掛けるように、こう言った。
「ダメだ。今すぐ自ら死になさい」
 ナルシストの彼は当然、
「嫌だ……自分からいくなんてそもそもプライドが許さない。オレはそもそも死にたくはないんだよ!」
 純粋に死にたくないと言えるところが羨ましいと思いつつも、それはまあそれでいいんじゃないか、と思ったその時だった。
「おっ、何か、勝手に体が立ち上がったぞ」
 そう言いながら、しゃがんでいたナルシストの彼は立ち上がった。
 その瞬間、溝渕さんは叫んだ。
「クソッ! 勝手に動くことを認めたせいで早まったか! 早く自分で引っ張るんだ! まだ間に合う!」
 ナルシストの彼は掠れた笑いをしてから、
「いいよ、自分から死にいくなんて雑魚じゃないんだから、そもそも無理だわ、勝手に動くならそれでいい」
 自分から死にいくなんて雑魚。
 その言葉に激高しそうになった刹那、そのナルシストの彼は紐を引っ張った。
 僕は激高する暇なく、彼は圧死……していない。
 なんと鉄槌は彼に当たるまで高速で降ってきたはずなのに、彼に当たった瞬間からスローモーションになったのだ。
 さらに
「あがががががががががぁぁぁぁあああああああああああああああああ!」
 痛み、そしてその声は、きっとスローモーションにはなっていない。
 現実の時間そのままに、痛みを感じているようだった。
 つまりはじっくりと激痛が走っているような。
「助けてくれぇ! 助けてくれぇ! 助けてくれぇぇぇえええええええええええええ!」
 徐々に彼の肉片は飛び散り始めた。
 飛び散った肉片はひび割れた鏡に乱反射して、気持ちが悪い。
 でもそのスローモーションで飛ぶ肉片に当たりたくないので、僕は目を開けて、かわしていた。
 多分当たっても触れられないとは思うんだけども、その確証も無いので、かわしたかった。
 鉄槌が彼の目のあたりにいったところで、目玉は飛び出て、ゆっくりとそれもスローに回転。
「視界がぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁあ! オレが! 潰されていくぅぅうううう!」
 どうやら目玉と彼の意識は繋がっているようで、目玉が回転し、自分の姿が目に映るようになったみたいだ。
 そのタイミングで目玉の回転はさらにゆっくり、というよりも停止し、自分が潰されていく姿を視ていく形になった。
「醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! 醜い! ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!」
 まだ口も喉も潰れていない。
 本当に遅く、鈍足で鉄槌は降ってくる。
 でもしっかり潰す力はあり、どんどん四方八方に飛んでいく。
 ここで溝渕さんが喋りだした。
「ほら見てみろ。自分で死ねばすぐに圧死できたんだがな」
 自殺室はまるで断罪だ。
 でもそれは多分神様の鉄槌ではない。
 見世物小屋としての嘲笑の鉄槌なのだ。
 こんなところで生きていかなければならない僕は一体どうすればいいんだ。
 死にたいんだ。
 今日も今日とて死にたいんだ。
 鉄槌が一番下まできた時に、世界は風化して、元の白い部屋に戻った。
 自殺室はまるで断罪だ。
 じゃあ僕には断罪されるべきことが無かったのか。
 あるんだよ。
 僕は断罪されるべきなんだよ。
 光莉を守れなかった僕は誰よりも先に断罪されるべきなのに。