――真崎がコンテナを訪れる数時間前、自宅で防犯カメラの履歴を確認している傍らで、巣鴨は正直に話してくれた。がっくりと肩を落とし、この世の終わりといった顔の彼は、真崎に訴えた。
 仕方がなかったのだ、と。
『この年で再就職先なんて絶対見つからない。こうでもしなくちゃ、嘘でもつかなくちゃ、孫にランドセルも贈ってやれないし、歩くのが不自由になってきた妻を老人ホームにだって入れてやれないんだ! でも……でも、いつも動いているカメラが、誰かの手によって止められたのは本当なんです! 信じてください! 私は、何も知らなかったんだぁ……っ!』
 おいおいと泣きつく巣鴨の姿に、真崎は背中を擦ることしかできなかった。
 家族のために懸命に働いても、現場の環境を改善しようとする本部が見限ればそこまでだ。彼のことを思うとどうしても同情してしまう。

 土井は何も思わなかったのだろうか。自分の好きなことを守るためだけに、周囲に重荷を背負わせることを、いとも簡単に投げるような無責任さを、真崎は疑ってやまない。
「土井さん、自分が負うべき責任を他人に押しつけてしまったら、いつか必ず倍になって自分に返ってくる。少し考えたらわかることです」
「僕に説教……ですか、あなたも僕のことを見下しているんですね」
「違います。俺が知りたいのは、あのコンテナであなたが何をしていたのか、です」
 真崎が監禁されていたコンテナにはパウンドが使用する火薬が残っていた。それは警察の鑑識も入って、同一のものだと判断されている。
 そして土井は以前から同じ敷地内のトランクルームを利用していた。さらに火伏の部屋に不自然に置かれた薬品の入った段ボールにわずかに付着していた土は、このあたりの土の性質と一致したことを踏まえると、おそらく、火薬の材料をトランクルームに隠している。警察の家宅捜索が入れば、パウンドの火薬だけでなく、何かしら出てくることだろう。
 実験という名で投稿していた動画の撮影場所も、この山に近い場所なら人目に付かずに撮影できる、絶好の隠し場所だ。
 しかし、真崎にはそれだけではないような気がしてならない。
「土井さん、この廃棄予定のコンテナは、何か後ろめたいものを取引する場所だったのではないのですか? 人が寄り付かない、山に近い不気味なトランクルームに足を運ぶ人はそう多くない。巣鴨さんの勤務時間を把握し、正常に動く防犯カメラを入口と山側の二か所にのみ設置したのも、取引現場や時間をばれないようにするためだったのではないですか?」
 コンテナ付近の防犯カメラはすべてダミーだった。立地条件からもパウンドの動画撮影だけでなく、知られたくない取引をするのに適しているともいえる。
「すでに削除された動画、火伏の部屋にあるパソコンにいくつか移していますよね。撮影された場所の特定も、あのコンテナの近くだってわかっています。……そして、あのコンテナの中にいた人物の服に微量についていたのは煤ではなく火薬。つまり、あなたはあのコンテナの近くで火薬を調整していたことになる」
「馬鹿馬鹿しい! あなたが言っていることは憶測にすぎない! 大体、コンテナの中にいたあなたにどうやって火薬をつけると? 悪ふざけもほどほどにしてくださいよ!」
 苛立ちながら怒鳴り続ける土井。それを見てようやく、真崎は核心が持てた気がした。
「どうして、コンテナの中にいたのが俺だと?」
「え?」
「俺はあなたの前で一言も、コンテナの中にいたことは話していませんが」
 そう、真崎は土井の前では一度も、自分がコンテナ監禁事件の被害者であることを口にしていないのだ。それなのになぜ、土井は中にいたのが真崎だと断定して言っているのか。
 巣鴨の証言にある、警察が到着するまで誰もコンテナの中に入っていなかったことを踏まえると、真っ暗なコンテナの中で真崎だとわかる人はいなかったはずだ。
「廃棄予定ということは、コンテナとして機能しなくなったものがここに置かれているということ。実験や動画撮影に夢中で気付かなかったのでしょう、角の繋ぎ目に隙間があるんです」
 真崎はスマートフォンのライトでコンテナの奥を照らす。確かに、角に一センチ程度の小さな隙間がある。
「このコンテナ付近で焦げ跡がいくつか見つかっています。人が立ち入らないからって、よく監禁中のコンテナの前でやりますよね」
「そ、それは……!」
「まだありますよ。あのトランクルーム付近で能面をかけたスーツ姿の人物で出入りしていたという目撃証言。他にも入口に設置された、唯一動いている防犯カメラの映像にも、不審な車が映っているのも確認済みです。……そして、決め手はこれです」
 そう言ってスマートフォンを操作して録音データに切り替えて再生する。
《――誰にも譲らない!》
《俺が、本物なんだ》
《俺こそが正真正銘のパウンドなんだぁああはははは!》
 途切れ途切れに聞こえてくるのは、土井の発狂した声。誰もいないことをいいことに、優越感に浸っていたのだろう。
 シグマが警察にスマートフォンの修復の他に頼んでいたのは、監禁時に真崎が唯一持っていたボールペンに仕込まれていたボイスレコーダーの解析だった。
 真崎もこれを聞くのは初めてだったが、薄らぼんやりと頭の中で響いていたのはこの声だったのかと、あっさりと腑に落ちた。
「このコンテナだけじゃない、あなたのトランクルームも調べれば、火薬の材料や動画撮影の動画がもっと出てくるはずです」
 真崎の指摘はすでに土井の耳には入っていないようで、項垂れるようにその場に座り込んだ。
「カメラをダミーにして録画させないようにしたのは、自分がパウンドだと知られないためですか? 他にも後ろめたいことがあるなら、今ならまだ間に合います。自首して、火伏の無実を――」
「……うるさいなぁ!」
 途端、大きな溜息とともに気怠そうな声がコンテナ一帯に響いた。
 土井の目がぎょろりと真崎に向けられる。
(なんだ、急に……?)
 土井の雰囲気ががらりと変わった。隠していた本性なのだろうか、とてつもなく嫌な予感がした真崎は、無意識に一歩後ろに下がって警戒する。
 すると、地面にひらりと何かが落ちた。べっこう飴の包み紙だ。
 ガリガリと口に何かを頬り込み、かみ砕いた土井は真崎を睨みつけた。
「二人とも、周囲からは除け者扱いされていた奴らだ。僕が再利用してやっただけなのに、どうして僕が咎められなくちゃいけないんだい?」
「利用?」
「火伏の顔は見ただろう? あの火傷の痕に周囲は恐れ、避けていく。最近はあることないこと、悪い噂がよく回るからね。アイツを孤立させるには充分だった。怪我の功名、とでも言っておこうか、その方が見栄えがいい」
 目線は遠くに向けられながら、恍惚の笑みを浮かべる土井。やはり小峰医院長の診察通り、火伏が土井を庇ってできた火傷だったのだ。
「火伏もバカだよなぁ。あの日、中学の卒業間際に最後にボヤ騒ぎでも起こしてやろうと思って火薬を作っていたら、火伏が止めに来てよぉ、記録のために回していたスマートフォンが火薬の上に落ちて、一気にボンッ! ……火伏は、僕を突き飛ばして、自ら火の中に飛び込んだんだ」
 想像するだけで痛々しい惨状に、真崎は思わず身震いした。それでも土井は笑みを浮かべたままだった。
「アイツはね、根っからのヒーローだったんですよ。年寄りの畑仕事の手伝いをして学校で成績優秀で、母親を守って僕を守って……自分を犠牲にして得た優越感で、僕のことを助けようとするなんて、バッカじゃねーの!」
「そんな……そんな嫉妬のために火伏を傷つけたのか!」
「目が合っただけなのに睨まれたと憤慨する、心が狭い人間だらけ世の中なら、僕はまだ優しいでしょう?」
 正気などとっくに失っているのだろうか、不気味に嘲笑う土井はさらに続けた。
「僕は議員の息子だから、父さんだけでなく周りからも認められなきゃ意味がないのに、全部アイツが横取りしていったんですよ。僕の何がダメだった? どうしたらアイツを越えられた? 僕がアイツだったら……父さんは叩くことはなかった?」
 笑みを浮かべたままこちらを見る土井の目には、涙があふれていた。
 土井悠聖にとって、火伏の存在はコンプレックスだった? それとも、欲しいものを自分で掴み取ってきた火伏に嫉妬していた? 苑田議員は息子を虐待していた?――様々な憶測が飛び交う中、真崎は様子がおかしい土井の行動に注力する。
 涙を流しながらも恍惚な笑みを浮かべている土井は、ふらふらとした足取りで、近くに積まれていた鉄パイプを手に取った。
「もう――もうどうでもいい!!」
 土井が金切り声を上げながら、鉄パイプを近くのコンテナにたたきつける。鈍い音が辺りに響き、その部分だけへこんでいる。
「もう知らねぇ! アイツ、せっかく仲良くしてやったのに、恩を仇で返しやがって! 誰が金を出してやったと思ってんだ! 俺は議員の息子なんだ、他の奴らは下僕同然、俺に従っていればいいんだよぉ!」
「土井さん、落ち着い――」
 これは不味い。真崎が止めようと手を振り上げた――次の瞬間、土井が振り回した鉄パイプが腕をかいくぐり、そのままの勢いで真崎の腹部を叩きつけた。当たり所が悪く、その場に立ち崩れる真崎を土井が足蹴にする。
「だめなんだよぉ……ここで人を殺しちゃうのはだめなんだ、ここで騒ぎを起こしちゃ……薬がもらえなくなる……」
 ブツブツと繰り返しながらも、土井は起き上がろうとする真崎の背中を鉄パイプで抑えつけてくる。ちょうど治りかけた打撲痕のあたりを、ピンポイントに狙って。
「この辺なんでしょ? いろんな人に叩かれて、なぶられたところ。あの路地でも無意識に庇っていたもんねぇ。まぁわかっていてやったんだけどさぁ」
 いろんな人に叩かれてなぶられた?
 急激に変わった態度や暴力性が、元々土井に備わっていたものだとしても、虚ろな表情で口にするには適確すぎる言葉だった。
「まさか……」
 あの日の夜と同じ――路地裏に誘い込まれた時と同じ感覚。思い出すのは、翁の能面をかけた人物。
 それだけではない。ずっと前に聞こえた、謎の声――
 真崎が見上げると、こちらを見つめる土井が、口が裂けるのではと思うほどにんまりとした笑みを浮かべていた。
「捕まっちゃったねぇ、ウサギさん」