「俺は永倉を褒めてんだよ」
 これで本日二度めだ。
 糢嘉が弥宵に笑顔を見せたのは。
「永倉は優しいと思う。かっこ良いとも思う」
 弥宵を語る糢嘉の声はなんて穏やかで優しい口調なのだろうか。
 それはまるで、せせらぎのような声色だ。
「学校でもそうだけど、永倉はみんなに平等で、外見や損得で人を判断しないっていうか、周囲に流されないっていうか、しっかりしているっていうか……」
 これはいつまで続くのだろうか。
 糢嘉が隠し持っていた弥宵への秘めた想いが次から次へとあふれだし、それはラブレターのように弥宵の心にまで配達されていく。
 ここまで開放的に話しているのにもかかわらず、糢嘉は少しも恥ずかしがってはいない様子だ。
 弥宵も話す糢嘉を止めない。止めるどころか、その先を聞き続けたいがために黙り込む。
 ここで弥宵が口をはさんでしまったら、糢嘉の心の奥底で封印されていた頑固なポケットの中身が一つずつ解き放たれていっているという事実に糢嘉は気がついてしまうかもしれないからだ。
 ポケットの中で永遠に冬眠していたい〝誰か〟が目を覚まして、飛び起きようとしている。
 永倉弥宵は〝本来〟の松崎糢嘉に会いたい。
 もう少しで、あと少しで、会えそうな予感。
「さっきの電車でもそうだけどさ、あんなふうに痴漢扱いされているサラリーマンを助けるとか普通なかなかできないよ。そんな永倉を、俺は……」
 ここで糢嘉は己の失態に気がつき、あわてた手つきで自分自身の口を素早く塞いだ。
 もう少しのところで、あと少しのところで、弥宵にすべて届きそうだった郵便を停止させた。
「ごめん。今のなし。俺、どうかしてた。この話はここで終わり」
 ここまで言われて、ここまで聞かされて、弥宵が納得して中断を許すわけがない。
「モカ、途中で止めないで最後まで聞かせて」
「……この話は、終わったんだ……」
「終わってない」
 ここでしつこくしなかったら、ここで押しを弱めたら、クラスメイトだけの接点に逆戻りしてしまう。
 逆戻りさせたくない弥宵は糢嘉が逃げ出そうとするに違いないと予測してあせりはじめる。
 糢嘉に逃げられる前に弥宵が糢嘉の腕を掴もうとしたら、弥宵と糢嘉の間に一人の男性が強引に割り込んできた。
 その男性は弥宵だけに視線を向けて、糢嘉には興味を示すどころか見向きもしない。
「キミ、キミ、かっこ良いね~。背も高いし。ねえ、モデルとか興味ない?」
「ありません」
 弥宵は悩む様子もなく、曖昧に言葉を濁すこともなく、即座に断る。
 弥宵はよくこんなふうにモデルや芸能界入りのスカウトを街中でされるが、今日ほどそれが鬱陶しいと思ったことはない。
 弥宵は糢嘉にはわからないように、糢嘉からは見えない角度でスカウトマンを睨みつけた。
 その弥宵の凍てつくような鋭い眼光にスカウトマンは一瞬怯んだが、それが逆に弥宵の美顔を強調させてしまい魅力の一つだと思わせてしまったのか、再度交渉する。
「そんなこと言わずに話だけでも聞いてくれないかな? 今、名刺を渡すから。この雑誌を知ってるかな? 主に十代から二十代の層を中心に扱っているメンズファッション誌で……」
 スカウトマンはこちらの都合などお構い無しに自分の勤める業界について延々と説明しはじめて、その耳障りな口を休めようとはしない。
 弥宵がスカウトマンを邪魔者扱いしていても、糢嘉からしてみたらこれは好都合だ。
 弥宵から逃げるには今しかないと思った糢嘉は歩いてきた道を勢いよく逆走する。
 ここで弥宵がモデルにでもなれば、糢嘉は応援せざるをえない。
 応援したくなくても、糢嘉には応援するしかない。
 誰もが認める容姿端麗な弥宵ならば、すぐに人気がでてテレビの仕事もたくさんくるようになり、忙しくなるのだろう。
 そして有名人になった弥宵は、とびきり美人な女優と熱愛発覚と大々的に報道される。
 弥宵に相応しい人生も糢嘉には無関係だ。

 永倉が俺の近くにいると、俺はダメになる。
 モカが僕の傍にいてくれないと、僕は壊れてしまう。

 どこか遠くに行けよ。
 どこにも行かない。

 モデルも、芸能界も、美人な女優も、知名度も、どれもこれも弥宵は無関心だ。
 永倉弥宵が興味あるのは、松崎糢嘉だけなのだから。

「モカ!」
 自惚れなのか、そうでないのか。
 なにがなんでも真相を知りたい弥宵は全速力で糢嘉を追いかける。追い求める。
 それに糢嘉は猛反発して追ってこられたら困るとばかりに弥宵を怒鳴りつける。
「バカ! なんでついてくんだよ!」
「モカが逃げるからだよ!」
 公衆の面前で豪快に追いかけっこなんてしていれば、なんのドラマか映画撮影なのかと道行く一般の人たちからの集中した視線が投げつけられる。
 弥宵と糢嘉も一般人だ。
 それでもそんなふうに思われてしまうのは、二人が着用している人気の高いお洒落な制服も関係しているのかもしれない。
 エキストラの役割をしてくれている人たちに糢嘉は何度かぶつかり、簡単な謝罪をしてはまた走る。
 弥宵はぶつかりそうでぶつからない。上手く人をすり抜けながら、走る速度はそのまま安定に維持される。
 元々、運動神経抜群の弥宵だ。そのうえ足も長いから走る秒数は糢嘉よりもはるかに上回る。
 弥宵に追いつかれてしまった糢嘉は後ろから勢いよく肩を掴まれて、そのまま壁にポスターのように力任せに固定される。
 皮肉にも、その場所は糢嘉が行ってみたいと想像していた南国の広告ポスターの前だった。
 糢嘉の両手首を弥宵の大きな両手が手錠のようにがっしりと押さえつけているため、糢嘉は軽く万歳をしている状態だ。いや、ここは万歳ではなく降参のポーズと言うべきか。
 糢嘉はがむしゃらになって抵抗してみるも、両手の位置を移動させることはおろか少しも動かすことができないでいる。
 なんて恐ろしい力だろうか。これでは本当にポスターだ。
 逃げられない──。
「は、離せ……」
 逃がさない──。
「モカ。本当は僕のことをどう思っているの?」
 自信満々な眼光で問い詰めてくる弥宵が憎たらしくて、糢嘉はますます強情になる。
「キザったらしいクラスメイトだと思ってる!」
「それは褒めているのかな?」
(けな)してるんだよ!」
 糢嘉が反抗すればするほどに、弥宵は自重するどころが本能のままに突き進もうとする。
 弥宵の足が一本、糢嘉の両足の間に侵入してきて腰と腰を厭らしく密着させてくる。
 身長差の助けもあり、弥宵と糢嘉の腰の高さは若干ずれがあり、ズボンと下着に覆い隠されている二つの男性器はこすり合わさるどころか少しもかすりはしない。
 このギリギリ感がたまらなく、激しくそそられる。