糢嘉にとって約二週間振りの学校はまるでタイムスリップしたかのような感覚で、それは場合によっては異次元の世界に足を踏み入れるような勇気が必要だったりもする。
「モッカくーん。おっはよお~」
糢嘉が登校すると靴置き場の所で結歌璃が元気いっぱいに挨拶してきた。結歌璃の猫なで声は相変わらず健在だ。
「え? あ、おはよう……ございます……」
美人で有名な結歌璃から話しかけられて、糢嘉は思わず敬語になってしまう。
そして結歌璃の隣には花苗がいる。
「松崎くん、体調はもう大丈夫なの?」
柔らかい物腰で花苗が糢嘉を気遣う。
その場の雰囲気に流されて、糢嘉は結歌璃や花苗と一緒に教室へと向かうが、糢嘉は自分がこの二人と一緒にいて良いものなのかどうかと卑屈になる。
三人で教室に入ると、待ってましたとばかりに弥宵がすぐさま糢嘉に近寄ってきた。
糢嘉が二週間学校を休んだからといって、クラスメイトは特に興味を示してこない。
けれども弥宵は違う。
「モカ、おはよう」
満面の笑顔でたたずむ弥宵を目の前にして、糢嘉は赤面してうついてしまう。
弥宵とどんなふうに接すればいいのかわからない。心の準備ができていない。
糢嘉は弥宵が醸し出す、この独特な空気に自然に溶けこめないでいる。
あれからもずっと弥宵からのラインは絶えず届いたのだが、糢嘉はまだ一つも返信してはいないのだ。
「モカ、今日のお昼、僕と一緒に食べない?」
弥宵からの突然のお誘いに糢嘉の表情が緊張で強張る。
「ねえ! ねえ! ワタシと花苗もまぜてもらっても良い? 弥宵とモカくんと一緒にお昼ご飯を食べたあーい!」
そこに結歌璃が仲間入りしたいと強引に割り込んできた。
弥宵は仏頂面をして(なんでだよ。モカと二人だけにさせてよ)と思ったが、それを声には出さずに我慢する。
花苗はそんな不穏な空気を瞬時に察知したのか、遠慮したほうがいいんじゃないの? という目配せをそれとなく結歌璃に送るが能天気な結歌璃の心には届きそうにはない。
だけど弥宵と一緒にお昼休みを過ごせることに嬉しく思う花苗は身勝手なワガママだと自認しながらも「弥宵くんと松崎くんに悪いよ。別々に食べようよ」と、結歌璃に言えないでもいた。
朝礼が始まる前に糢嘉は病気のことを話し合うために担任に呼ばれた。
一年生のときの担任は糢嘉の持病についてある程度は知っているので、現在の担任は一年生のときの担任から色々と話を聞いてはいるらしかった。
発症したときの対処法や、普段の学校生活で教師側はどういったことに気をつけるべきなのかと、そういったことを学年主任も交えて糢嘉と念入りに話し合った。
傾眠期と間欠期によって症状のあらわれ方は異なり、運が良ければ二、三カ月まったく症状があらわれない場合もあるのだ。
一年生のときは月に数回ほど、多いときは週に二、三回ほど発症していた。そのたびに糢嘉は保健室に運ばれて目を覚ますまでベッドで眠っていた。歩帆と瑛轍が学校まで迎えに来たことも何度かある。
高校に入学できたのも、二年生に進級できたのも糢嘉は奇跡だと思っている。
糢嘉は己の立場をよく理解している。
これはまだ学生だから守られているのだと──。
高校を卒業する頃には、糢嘉と同い年の人たちはみんな車の免許を取得するために教習所に通いはじめるだろう。
そうして行動範囲が広がってゆき、みんなが友達や恋人と楽しく旅行したりもするなか、糢嘉は色々なことを諦めて淡々とした日常を過ごしていく。
就職活動も糢嘉の持病が障害の一つになり、採用率も下がるだろう。
会社側も頻繁に倒れてばかりいる病人よりも、健康な若者が欲しいに決まっている。大事な仕事を糢嘉に任せるには常に不安が付きまとうだろうし、急激な睡魔に襲われて会議中に眠ってばかりいられても困るだろう。
こういった未来像を簡単に予想できてしまえても(俺は可哀想な人間だ)などとは糢嘉は微塵たりとも思わない。
悲劇のヒロインみたいに同情を誘う行為ほど、惨めで鬱陶しいものはない。
一般的な家庭で生まれ育っただけでも充分恵まれていることなのだと、糢嘉は家族に感謝こそはすれど、これ以上の望みは単なるワガママと贅沢でしかないと無理矢理言い聞かせてきた……はずなのに、あのパソコンで見た文面によって糢嘉の心は細波のようにずっと不安定に揺れ動いている。
「モッカくーん。おっはよお~」
糢嘉が登校すると靴置き場の所で結歌璃が元気いっぱいに挨拶してきた。結歌璃の猫なで声は相変わらず健在だ。
「え? あ、おはよう……ございます……」
美人で有名な結歌璃から話しかけられて、糢嘉は思わず敬語になってしまう。
そして結歌璃の隣には花苗がいる。
「松崎くん、体調はもう大丈夫なの?」
柔らかい物腰で花苗が糢嘉を気遣う。
その場の雰囲気に流されて、糢嘉は結歌璃や花苗と一緒に教室へと向かうが、糢嘉は自分がこの二人と一緒にいて良いものなのかどうかと卑屈になる。
三人で教室に入ると、待ってましたとばかりに弥宵がすぐさま糢嘉に近寄ってきた。
糢嘉が二週間学校を休んだからといって、クラスメイトは特に興味を示してこない。
けれども弥宵は違う。
「モカ、おはよう」
満面の笑顔でたたずむ弥宵を目の前にして、糢嘉は赤面してうついてしまう。
弥宵とどんなふうに接すればいいのかわからない。心の準備ができていない。
糢嘉は弥宵が醸し出す、この独特な空気に自然に溶けこめないでいる。
あれからもずっと弥宵からのラインは絶えず届いたのだが、糢嘉はまだ一つも返信してはいないのだ。
「モカ、今日のお昼、僕と一緒に食べない?」
弥宵からの突然のお誘いに糢嘉の表情が緊張で強張る。
「ねえ! ねえ! ワタシと花苗もまぜてもらっても良い? 弥宵とモカくんと一緒にお昼ご飯を食べたあーい!」
そこに結歌璃が仲間入りしたいと強引に割り込んできた。
弥宵は仏頂面をして(なんでだよ。モカと二人だけにさせてよ)と思ったが、それを声には出さずに我慢する。
花苗はそんな不穏な空気を瞬時に察知したのか、遠慮したほうがいいんじゃないの? という目配せをそれとなく結歌璃に送るが能天気な結歌璃の心には届きそうにはない。
だけど弥宵と一緒にお昼休みを過ごせることに嬉しく思う花苗は身勝手なワガママだと自認しながらも「弥宵くんと松崎くんに悪いよ。別々に食べようよ」と、結歌璃に言えないでもいた。
朝礼が始まる前に糢嘉は病気のことを話し合うために担任に呼ばれた。
一年生のときの担任は糢嘉の持病についてある程度は知っているので、現在の担任は一年生のときの担任から色々と話を聞いてはいるらしかった。
発症したときの対処法や、普段の学校生活で教師側はどういったことに気をつけるべきなのかと、そういったことを学年主任も交えて糢嘉と念入りに話し合った。
傾眠期と間欠期によって症状のあらわれ方は異なり、運が良ければ二、三カ月まったく症状があらわれない場合もあるのだ。
一年生のときは月に数回ほど、多いときは週に二、三回ほど発症していた。そのたびに糢嘉は保健室に運ばれて目を覚ますまでベッドで眠っていた。歩帆と瑛轍が学校まで迎えに来たことも何度かある。
高校に入学できたのも、二年生に進級できたのも糢嘉は奇跡だと思っている。
糢嘉は己の立場をよく理解している。
これはまだ学生だから守られているのだと──。
高校を卒業する頃には、糢嘉と同い年の人たちはみんな車の免許を取得するために教習所に通いはじめるだろう。
そうして行動範囲が広がってゆき、みんなが友達や恋人と楽しく旅行したりもするなか、糢嘉は色々なことを諦めて淡々とした日常を過ごしていく。
就職活動も糢嘉の持病が障害の一つになり、採用率も下がるだろう。
会社側も頻繁に倒れてばかりいる病人よりも、健康な若者が欲しいに決まっている。大事な仕事を糢嘉に任せるには常に不安が付きまとうだろうし、急激な睡魔に襲われて会議中に眠ってばかりいられても困るだろう。
こういった未来像を簡単に予想できてしまえても(俺は可哀想な人間だ)などとは糢嘉は微塵たりとも思わない。
悲劇のヒロインみたいに同情を誘う行為ほど、惨めで鬱陶しいものはない。
一般的な家庭で生まれ育っただけでも充分恵まれていることなのだと、糢嘉は家族に感謝こそはすれど、これ以上の望みは単なるワガママと贅沢でしかないと無理矢理言い聞かせてきた……はずなのに、あのパソコンで見た文面によって糢嘉の心は細波のようにずっと不安定に揺れ動いている。