糢嘉が目を覚ましたので、歩帆と初露は糢嘉にちゃんとした食事を与えるべく、キッチンに立ちお粥ではないご飯を作り直す。
お皿に盛り付けされたロールキャベツとエビフライをつまみ食いした耀葉の手を初露がペチンと叩いた。
糢嘉は自室の窓から弥宵が帰って行く様子をずっと見ていた。
クラスにいても、糢嘉は弥宵のことをこんなふうに遠くから眺めていただけだ。
会話らしい会話など一度もしたことがない。それなのに、こんなにも侘しい気持ちになるのはなぜなのだろうかと糢嘉は自問自答を繰り返す。
耀葉が意気揚々と糢嘉の部屋に入ってきた。
「ゼリーとアイスとヨーグルト、どれが食べたい? プリンもあるよ」
明るい口調で言われて糢嘉も自然と笑顔になる。
明朗快活な耀葉は学校でも友達がたくさんいる。
耀葉には楽しい学校生活を過ごしてほしいと願う糢嘉としては嬉しいこときわまりない。初露や耀葉には自分のようになってほしくはないのだ。
「ゼリーかな」
耀葉が糢嘉にゼリーを渡すと、自分も食べるつもりでカップアイスの蓋を開けた。
糢嘉と耀葉は一緒にベッドの上に座りゼリーとアイスを食べはじめる。
「弥宵さん、糢嘉にいが眠っている間も毎日休まず糢嘉にいに会いにきてたよ」
ゼリーを食べていた糢嘉の手が止まる。
耀葉はスプーンを口に咥えながら、一つのスマートフォンを糢嘉に手渡した。それは糢嘉のスマートフォンだ。
そういえば、まだスマホを確認していなかったなと糢嘉は重要なことに気がついた。
糢嘉が自分のスマートフォンを見ようとしたら、耀葉が申し訳なさそうに眉毛を八の字に垂らす。
「ごめん。糢嘉にいのスマホを勝手に見たんだ」
初露は弥宵と糢嘉を絶対に会わせまいとしていたが、耀葉は弥宵に協力的だ。
「ラインを見てみて」
そう言って耀葉が立ち上がると、糢嘉から少し離れた。これは自分が傍にいてはラインを読みにくいだろうなという耀葉なりの配慮だ。
耀葉は弥宵が毎日しつこく糢嘉宛てにラインを送ってくることや、ここまで献身的にお見舞いに来てくれていたことに感銘を受けた。
ラインの内容は読んでいないが、さすがにこれは糢嘉に伝えないと弥宵が可哀想だと思った。
いつ自分は弥宵とライン交換したのだろうか? と糢嘉は不思議に思いながらも弥宵から送られてきたラインを確認する。
そこには弥宵からのラインが五十通以上も届いており、糢嘉は戸惑いを隠せない。
こういった事態に陥ったときのために、糢嘉は初露から言われた約束事を守り続けている。
目が覚めたときに糢嘉は必ず一番最初にスマートフォンを確認する。
それは持病を発症してしまった場合、自分がどれほどの時間、日数を眠っていたのかを確認するためなのと、万が一、自分の身のまわりで起きた出来事や体験したことを忘れてしまったとしても、発症するまえに書き記したメモを読むことで空白になってしまった物事を知ることができるからだ。
一般的なご飯を食べて胃袋を満たした後、糢嘉は自室に置かれたパソコンの画面の前で頭を抱え込んでいた。ここに送信された文面はすべて真実なのだろうか。とてもではないが信じがたい内容だ。
ほかの誰かが糢嘉のスマートフォンを勝手に使って、勝手に作りあげて、勝手に送信したのではないだろうか。
でも、もしそうだとしても、わざわざこんなことをする理由はなんなのだろうか。
スマートフォンとは別に糢嘉は常にノートを持ち歩いているのだが、そのノートには糢嘉が倒れた日に起きた出来事は何一つ書き記されてはいなかった。
スマートフォンで作成された機械的な文字よりも、自分自身の文字で書かれた筆跡のほうが信憑性がある。
これまで糢嘉は何冊ものノートに『絶対に忘れたくはない大切な事柄』を書いてきた。
それなのに、今回にかぎってだけはどのページを読んでみても、〝あの日〟のことは何一つも書かれていない。
それに耀葉が言っていたことも糢嘉の頭を混乱させた。
「糢嘉にい、彼女いんの?」
突然、突拍子もないことを言われてしまい、糢嘉は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を耀葉に向けた。
アイスを食べ終えた耀葉は今度はヨーグルトを食べはじめる。
「いないよ」
絞り出すように言った糢嘉の声はしゃがれていた。
「糢嘉にいが救急車で病院に運ばれた日、弥宵さんのほかに糢嘉にいと同じ学校の制服を着た女が二人いたらしいよ」
もし、それが本当だとしたらそれはいったい誰なのだろうか。
糢嘉には同じ学校で親しくしている女子生徒など一人もいない。
それとも糢嘉が眠っている間に彼女ができたのだろうか。
そんなバカな話があるのかと、糢嘉はもう何がなんだか訳がわからなくなってきた。
帰宅した瑛轍が糢嘉の部屋をノックする。糢嘉はすぐにパソコンの画面を変えた。
「糢嘉、目が覚めたのか?」
「うん」
糢嘉の少しばかり痩せた顔を瑛轍は慈愛に満ちあふれた瞳で見る。
「明日、病院に行くんだろ? 目が覚めたばかりなんだから、あまり無理するなよ」
「うん」
本当は病院よりも学校に行きたい。なぜなら自分自身の目と耳で直接確かめたいことがたくさんあるからだ。
スーツのネクタイをゆるめながら部屋を出ようとする瑛轍の後ろ姿に糢嘉が声をかける。
「父さん」
糢嘉から呼ばれて瑛轍が振り返る。
(こんな面倒くさい息子で疲れない?)
糢嘉は胸中だけで問いかけた。実際に声に出して伝えたことは一度もない。明確とした答えを聞いてしまうのが怖いからだ。
両親に純粋に甘える心をどこに捨ててきてしまったのだろうか。
長男だから? 持病が発症するたびに心苦しくなるから?
いつからか、糢嘉は家族の前での振る舞いが道化師のようになっていた。
「糢嘉、どうした? 何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
瑛轍が再び糢嘉へと歩み寄る。
「あ、えっと……ご飯美味しかったね」
心情を悟られないように注意しながら感謝の気持ちを込めて糢嘉が言うと、瑛轍も同意する。
「そうだな。母さんと初露の手料理は最高だよな。だからもうスマホの電源を切ったりしたらダメだぞ。みんな心配するからな」
普段、家族にどれだけの負担をかけているのか糢嘉にはわかっている。
だからスマートフォンの電源をオフにするだなんて、糢嘉からしたら絶対に考えられない行動だ。
どういう経緯でそうなったのか気になる糢嘉は過去の自分自身に問いかけたい。
傾眠期が明けたばかりだから大丈夫だろうと油断していたのだろうか。
どんな理由があったにせよ、糢嘉は自分の浅はかな行動を反省せずにはいられなかった。
お皿に盛り付けされたロールキャベツとエビフライをつまみ食いした耀葉の手を初露がペチンと叩いた。
糢嘉は自室の窓から弥宵が帰って行く様子をずっと見ていた。
クラスにいても、糢嘉は弥宵のことをこんなふうに遠くから眺めていただけだ。
会話らしい会話など一度もしたことがない。それなのに、こんなにも侘しい気持ちになるのはなぜなのだろうかと糢嘉は自問自答を繰り返す。
耀葉が意気揚々と糢嘉の部屋に入ってきた。
「ゼリーとアイスとヨーグルト、どれが食べたい? プリンもあるよ」
明るい口調で言われて糢嘉も自然と笑顔になる。
明朗快活な耀葉は学校でも友達がたくさんいる。
耀葉には楽しい学校生活を過ごしてほしいと願う糢嘉としては嬉しいこときわまりない。初露や耀葉には自分のようになってほしくはないのだ。
「ゼリーかな」
耀葉が糢嘉にゼリーを渡すと、自分も食べるつもりでカップアイスの蓋を開けた。
糢嘉と耀葉は一緒にベッドの上に座りゼリーとアイスを食べはじめる。
「弥宵さん、糢嘉にいが眠っている間も毎日休まず糢嘉にいに会いにきてたよ」
ゼリーを食べていた糢嘉の手が止まる。
耀葉はスプーンを口に咥えながら、一つのスマートフォンを糢嘉に手渡した。それは糢嘉のスマートフォンだ。
そういえば、まだスマホを確認していなかったなと糢嘉は重要なことに気がついた。
糢嘉が自分のスマートフォンを見ようとしたら、耀葉が申し訳なさそうに眉毛を八の字に垂らす。
「ごめん。糢嘉にいのスマホを勝手に見たんだ」
初露は弥宵と糢嘉を絶対に会わせまいとしていたが、耀葉は弥宵に協力的だ。
「ラインを見てみて」
そう言って耀葉が立ち上がると、糢嘉から少し離れた。これは自分が傍にいてはラインを読みにくいだろうなという耀葉なりの配慮だ。
耀葉は弥宵が毎日しつこく糢嘉宛てにラインを送ってくることや、ここまで献身的にお見舞いに来てくれていたことに感銘を受けた。
ラインの内容は読んでいないが、さすがにこれは糢嘉に伝えないと弥宵が可哀想だと思った。
いつ自分は弥宵とライン交換したのだろうか? と糢嘉は不思議に思いながらも弥宵から送られてきたラインを確認する。
そこには弥宵からのラインが五十通以上も届いており、糢嘉は戸惑いを隠せない。
こういった事態に陥ったときのために、糢嘉は初露から言われた約束事を守り続けている。
目が覚めたときに糢嘉は必ず一番最初にスマートフォンを確認する。
それは持病を発症してしまった場合、自分がどれほどの時間、日数を眠っていたのかを確認するためなのと、万が一、自分の身のまわりで起きた出来事や体験したことを忘れてしまったとしても、発症するまえに書き記したメモを読むことで空白になってしまった物事を知ることができるからだ。
一般的なご飯を食べて胃袋を満たした後、糢嘉は自室に置かれたパソコンの画面の前で頭を抱え込んでいた。ここに送信された文面はすべて真実なのだろうか。とてもではないが信じがたい内容だ。
ほかの誰かが糢嘉のスマートフォンを勝手に使って、勝手に作りあげて、勝手に送信したのではないだろうか。
でも、もしそうだとしても、わざわざこんなことをする理由はなんなのだろうか。
スマートフォンとは別に糢嘉は常にノートを持ち歩いているのだが、そのノートには糢嘉が倒れた日に起きた出来事は何一つ書き記されてはいなかった。
スマートフォンで作成された機械的な文字よりも、自分自身の文字で書かれた筆跡のほうが信憑性がある。
これまで糢嘉は何冊ものノートに『絶対に忘れたくはない大切な事柄』を書いてきた。
それなのに、今回にかぎってだけはどのページを読んでみても、〝あの日〟のことは何一つも書かれていない。
それに耀葉が言っていたことも糢嘉の頭を混乱させた。
「糢嘉にい、彼女いんの?」
突然、突拍子もないことを言われてしまい、糢嘉は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を耀葉に向けた。
アイスを食べ終えた耀葉は今度はヨーグルトを食べはじめる。
「いないよ」
絞り出すように言った糢嘉の声はしゃがれていた。
「糢嘉にいが救急車で病院に運ばれた日、弥宵さんのほかに糢嘉にいと同じ学校の制服を着た女が二人いたらしいよ」
もし、それが本当だとしたらそれはいったい誰なのだろうか。
糢嘉には同じ学校で親しくしている女子生徒など一人もいない。
それとも糢嘉が眠っている間に彼女ができたのだろうか。
そんなバカな話があるのかと、糢嘉はもう何がなんだか訳がわからなくなってきた。
帰宅した瑛轍が糢嘉の部屋をノックする。糢嘉はすぐにパソコンの画面を変えた。
「糢嘉、目が覚めたのか?」
「うん」
糢嘉の少しばかり痩せた顔を瑛轍は慈愛に満ちあふれた瞳で見る。
「明日、病院に行くんだろ? 目が覚めたばかりなんだから、あまり無理するなよ」
「うん」
本当は病院よりも学校に行きたい。なぜなら自分自身の目と耳で直接確かめたいことがたくさんあるからだ。
スーツのネクタイをゆるめながら部屋を出ようとする瑛轍の後ろ姿に糢嘉が声をかける。
「父さん」
糢嘉から呼ばれて瑛轍が振り返る。
(こんな面倒くさい息子で疲れない?)
糢嘉は胸中だけで問いかけた。実際に声に出して伝えたことは一度もない。明確とした答えを聞いてしまうのが怖いからだ。
両親に純粋に甘える心をどこに捨ててきてしまったのだろうか。
長男だから? 持病が発症するたびに心苦しくなるから?
いつからか、糢嘉は家族の前での振る舞いが道化師のようになっていた。
「糢嘉、どうした? 何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
瑛轍が再び糢嘉へと歩み寄る。
「あ、えっと……ご飯美味しかったね」
心情を悟られないように注意しながら感謝の気持ちを込めて糢嘉が言うと、瑛轍も同意する。
「そうだな。母さんと初露の手料理は最高だよな。だからもうスマホの電源を切ったりしたらダメだぞ。みんな心配するからな」
普段、家族にどれだけの負担をかけているのか糢嘉にはわかっている。
だからスマートフォンの電源をオフにするだなんて、糢嘉からしたら絶対に考えられない行動だ。
どういう経緯でそうなったのか気になる糢嘉は過去の自分自身に問いかけたい。
傾眠期が明けたばかりだから大丈夫だろうと油断していたのだろうか。
どんな理由があったにせよ、糢嘉は自分の浅はかな行動を反省せずにはいられなかった。