「あぁー! やっぱり今日も来てるんだあ!」
 喫茶店の扉が元気いっぱいに開かれるのと同時に瑚城の明るい声が店内に響き渡る。
 瑚城は足早に弥宵と芽羽に詰め寄ると同じテーブルに設置された椅子に座った。そして苺と林檎、バナナとブルーベリーをミックスさせたスムージーを注文する。
「毎日、毎日、飽きもせずによく来るね」
 マスターの孫娘であるルナがため息混じりに言った。
 このコーヒーが絶品の喫茶店はルナの祖父が経営する喫茶店で、こうして時々ルナも喫茶店のお手伝いをしているのだ。
 糢嘉が倒れたとき周囲は騒然となった。
 弥宵は救急車で運ばれていく糢嘉に付き添い同乗した。
 その後、弥宵は病院に駆けつけた糢嘉の両親、担当医から糢嘉の持病のことを聞いたのだ。
 弥宵は糢嘉の両親に深々と頭を下げると学校をサボったことを謝罪した。
 学校をサボったのは糢嘉の意思ではなく、自分が強引に糢嘉を連れまわしたのだと、すべての責任は身勝手な行動をした自分にあるのだと、弥宵は叱られる覚悟で正直に話した。
 糢嘉の両親は糢嘉が無事だった安堵感のほうが強いのか、弥宵を咎めることはしなかった。
 それに弥宵が糢嘉を連れまわしたからといって、それが糢嘉の持病が発症した原因になったとは一概に言い切れないのだ。
 発症する頻度は区々(まちまち)ではあるが、元々、糢嘉は外にいようが自宅にいようが場所問わずに発症していたので、糢嘉の両親は一方的に弥宵だけを責めることに気が引けた。
 しかし初露だけは違った。
 初露は弥宵があのキャンプ場にいた人だと知った途端、弥宵にあからさまな嫌悪感を示したのだ。
 このまま二、三日ほど入院させて様子を見て、特に大きな問題がなければ退院できると医師は告げた。
 糢嘉のことを心配するクラスメイトは弥宵だけではなく、あの後、結歌璃と花苗も学校には行かずに糢嘉のことを見舞った。
 そこで花苗が弥宵にキーホルダーを返した。
 弥宵はこのキーホルダーはとても大切にしている物だからと、花苗に感謝の気持ちを示した。
 頬を桜色に染める花苗の隣で結歌璃が羨ましそうに、
『良いなあ~。ワタシも弥宵にお届け物したあーい。弥宵、今から何か落とし物してよお~』
 と、突拍子もないことを言いだしたので弥宵は呆れてしまい苦笑をもらした。

 入院中、糢嘉が目覚めることはなく、退院してもうすぐ一週間経つが糢嘉はまだ眠り続けているらしい。
 でもこれは弥宵の想像でしかなかった。
 なぜなら、弥宵は退院してからの糢嘉を一度も見ていないからだ。
 連日、糢嘉の家に見舞いに行く弥宵の姿に感銘を受けたのか、糢嘉の両親と耀葉は少しずつ弥宵に心を開いていく。
 糢嘉の両親からしてみたら、学校生活や私生活に支障をきたすほどの特殊な病気を持っている糢嘉にここまで精力的に尽くしてくれるクラスメイトの存在はありがたかった。
 中学一年生の耀葉も毎日家に訪ねてくる弥宵のことを実の兄のように慕っていく。
 弥宵を毛嫌いしていることを隠そうとしない初露だけは、弥宵と糢嘉を絶対に会わせようとはしなかった。
 弥宵が糢嘉のお見舞いに来るたびに敵意剥き出しにして「今すぐ出て行ってよ!」と口汚い言葉で罵った。
 両親はそんな娘を不憫に思い、耀葉は「生理中でイライラしているの?」と、ふざけた口調で姉をからかった。
 時に人が人へと向ける過剰なまでの愛情は脅威となる。
 糢嘉のことを誰よりも心配しているからこそ、初露が本来持っている優しさが徐々に失われていく。
 初露は糢嘉を傷つけたくないだけなのだ。だから弥宵のことを邪険に扱うのだ。
 ある意味、糢嘉は爆弾を背負いながら日々の生活を送っていると言っても過言ではない。
 命にかかわるような難病を患っているわけではないが、突如として襲ってくる予測不可能な睡眠は立っていられないほどのもので、万が一、倒れる場所によっては命の危険性を伴う場合も考えられるのだ。
 眠気を緩和する薬を医師から処方されてはいるが、多少効果はあるものの、それは完全な予防にはならない。

 喫茶店のマスターである徳彦(とくひこ)は孫娘のルナと仲良くしている友達には特製のロールケーキをご馳走する。
「お爺ちゃん、瑚城にはケーキを食べさせてあげても良いけど、この二人にまでそんなサービスする必要はないよ」
 素っ気なく言い捨てたルナはカウンターの奥に入って食器を磨きはじめる。
 芽羽はルナと目を合わすことさえ恐縮してしまう。
「ルナはね、帝と冬嗣、順平が来なくなって寂しくてあんなふうに言ってるだけだから気にしないでね。本当はとーっても優しいんだよ」
 甘いスムージーを飲みながら瑚城が弥宵と芽羽にこっそりと耳打ちする。
 瑚城はルナの気難しい性格を理解しており、寡黙なルナも瑚城の前では少しばかり口数が増えたりもする。
 瑚城の言うとおり、ルナは毎日のように来ていた、帝、冬嗣、順平の三人が喫茶店に来なくなってしまったことを寂しく思っているのだ。
「だとしたら、それはきっと僕のせいだね。帝と冬嗣は僕に会いたくないんだと思うよ」
 コーヒーが美味しくて居心地も良いからといって、図々しくなりすぎていたかなと弥宵は己の行動を省みる。
 お店に迷惑をかけたり、帝、冬嗣、順平、ルナ、瑚城の五人の友情に亀裂が入ってしまうことを弥宵は望んでなどはいない。
「弥宵は帝と冬嗣とは昔からの友達なの? 今は喧嘩中なの?」
 基本、人懐こくて誰とでも仲良くなれてしまう瑚城は今では弥宵と芽羽のことを『弥宵』『芽羽』と呼び捨てで呼ぶようになり、すっかり友達感覚で接している。
 どうやら瑚城は帝と冬嗣の幼馴染みである弥宵と芽羽が羨ましくて、そんな二人に興味津々らしく、自分の知らない帝と冬嗣のことを詳しく知りたいらしい。
「僕は今でも友達だと思っているんだけどね……」
 帝、冬嗣と再会したその直後、救急車で運ばれていく糢嘉に付き添うために急いで同乗しようとする弥宵の背中に帝の低くて冷たい声が届いた。
『そうやって、またモカコーヒーと一緒に逃げんのかよ』
 弥宵は振り向くと親しみを込めて帝に笑いかけた。
『逃げないよ。帝が会ってくれるなら、僕はいつでも帝に会うよ』
 帝や冬嗣と絶交したつもりのない弥宵は友情を修復させたいと願っているのだ。
 コーヒーを何杯おかわりしても、弥宵の待ち人が喫茶店の扉を開けて入ってくる気配はない。
 毎日しつこいくらいに送り続けている糢嘉へのラインには、まだ既読マークがつかない。