今すぐここから逃げ出したいのに一歩も動けない。
助けを求めて大声で叫びたいのに声が出ない。
石橋花苗は四方八方塞がりされていた。
花苗は今まで平穏に過ごしてきた。これまで大きな栄光もなく、大きな挫折もなく、大きなトラブルに遭遇したこともない。
そういったものとは無縁で、今日もいつもと同じように登校するはずだった。
ゲームセンターの裏側は廃屋のようで、蜘蛛の巣の張った木材の横で数羽のカラスがゴミをあさっている。
自分もこれから金品などをあさられてしまうのだろうかと花苗の全身がコンクリートよりも冷えていく。まるで地獄行きの直行便に乗車してしまったかのような気分だ。
本日は晴天のはずなのだが、明るい太陽は高層ビルによってさえぎられてしまっているのか、花苗の頭上は暗雲や灰色の煙に覆われているかのような濁った鈍色だ。
陽光の当たらないこの場所にずっといれば花苗の茶色い髪にまでカビが繁殖しそうだ。
毎朝、花苗は耳のすぐ真横から少し高めの位置で大きなボンボンやシュシュなどで一つに結う。その可憐なサイドテールの花苗の髪がボサボサに乱れている。
無理矢理、望んでもいない場所へと連れてこられたせいだ。
今の花苗には抵抗する勇気も気力もない。
ただ、これから事件に発生しそうな危険な境遇に、なぜ自分が巻き込まれてしまったのか不思議でならない。
花苗は豪邸に住んでいるご令嬢ではない。可もなく不可もない、どこにでもいる一般家庭の女子高生だ。
素朴な可愛らしさがある花苗は誰かに恨みを買われたりするようなタイプでもない。
数羽のカラスはゴミあさりに夢中で花苗のピンチを無視している。
ここでカラスに石でも投げつけて、カラスの怒りを買い攻撃されたい。
そうすれば、多少は隙が生まれるのではないのだろうか。
そうすれば──。
「なんでテメェみてえなちんちくりんな女が〝これ〟を持ってんだよ⁉」
花苗に牙を向けたこの美形な男、杉村帝から逃げられそうな気がしないでもない。
頭髪を派手な金色に染めて、右耳に五つ、左耳に五つと合計十個のピアスを付けており、首には目障りなアクセサリーを五、六個ほどジャラジャラと身に付けている。
このアクセサリーの組み合わせはセンスが良いのか悪いのか判断しかねるが、帝はそこらの有名雑誌に載っているモデルよりも美男子だ。
帝からほんのりと甘い香りが漂うのは彼が四六時中フルーツ味のガムを噛んでいるせいでもある。
しかし残念ながら、今の花苗はそんな良い匂いのする美男子から口説かれているというロマンティックな状況ではない。
サラリとなびく琥珀色の前髪の隙間からは、帝の凍てつくような鋭い眼光が覗いており、その切れ長の美麗な瞳で花苗を容赦なく睨みつけている。
「や……弥宵くんが……」
帝からの威圧的な質問責めの数々に萎縮してしまい、臆した花苗は自分の好きな男の名前を声に出してしまった。
「やよい?」
『やよい』という名前を聞いた帝の声色が一瞬穏やかになるが、それはほんの束の間にすぎなかった。
帝の表情は闇に溶け込んだかのように曇り、ますます憎悪に美化していく。
懐かしく、それでいて不愉快にもなるからだ。
帝がガムを噛むのをやめた。
「俺、知ってるよ。たぶん、この女が言ってるのは永倉弥宵のことじゃないかな。クラス違うけど、すっげーイケメンで学校の有名人なんだ。おまけに成績優秀で運動神経抜群。あいつの周りにはしょっちゅう女が群れてるぜ。ムカつく。半分俺にくれよってかんじだよ」
帝の隣で一緒になって花苗を脅す竹尾順平は永倉弥宵について興味なさそうに淡々と説明した。
帝は隣駅付近の高校の制服を着用しているが、順平は弥宵と糢嘉の通う高校の制服を着用している。つまり花苗とも同じ高校なのだが、順平は花苗には加勢せずに他校生である帝のほうについている。
花苗には順平が帝以上に油断ならない人物だった。
ふるえながらも帝に見つからないように結歌璃に『助けて』とラインを送信した。このメッセージが無事に届き、結歌璃が助けにきてくれることを祈って。
ところが順平は花苗の不審な動きに気がついており、
「次、妙な真似をしたら帝にバラすよ」
と言って、花苗の耳元で恐怖の忠告をした直後に花苗のスマートフォンを取りあげたのだ。
弥宵と大差ない身長で髪も染めていない順平はどことなく弥宵と似ている。
違うところと言えばファッションだろうか。
順平は右耳に四つのピアス、左耳にも四つのピアスを付けており、首からは極太チェーンのネックレスを二つぶら下げていて、左腕にはレザーブレスレットを身に付けている。
弥宵がスーツみたく制服を着用するのに対して、順平は若干着くずしている。
弥宵が弁護士に見えるのならば、順平はまるでホストのようだ。
弥宵の黒髪は真面目な優等生を表すが、順平の黒髪はカラスの化身のような不気味な黒さがある。
また、順平の頭髪は弥宵のように綺麗にまとまっておらず、毛先がまばらにハネており、寝起きそのままの状態で外に出てきたという風貌だ。
性格も弥宵のような温厚な優しさはなく冷酷非道だ。
この性格が災いしているのと、留年しない程度の出席日数ギリギリで学校に通っているため、順平には弥宵のように学校のアイドルといった称号はない。
けっして帝より威張らない。帝よりも前を歩かない順平だが、真の帝王は順平であり、帝を手中で操っているのは順平なのではないのかと花苗は思っていた。
そんな順平の洞察力を信頼しているのか、帝も順平に頼る部分が多々ある。
順平は帝からの頼みはできるかぎり応えるが、帝から尻に敷かれているわけではない。
助けを求めて大声で叫びたいのに声が出ない。
石橋花苗は四方八方塞がりされていた。
花苗は今まで平穏に過ごしてきた。これまで大きな栄光もなく、大きな挫折もなく、大きなトラブルに遭遇したこともない。
そういったものとは無縁で、今日もいつもと同じように登校するはずだった。
ゲームセンターの裏側は廃屋のようで、蜘蛛の巣の張った木材の横で数羽のカラスがゴミをあさっている。
自分もこれから金品などをあさられてしまうのだろうかと花苗の全身がコンクリートよりも冷えていく。まるで地獄行きの直行便に乗車してしまったかのような気分だ。
本日は晴天のはずなのだが、明るい太陽は高層ビルによってさえぎられてしまっているのか、花苗の頭上は暗雲や灰色の煙に覆われているかのような濁った鈍色だ。
陽光の当たらないこの場所にずっといれば花苗の茶色い髪にまでカビが繁殖しそうだ。
毎朝、花苗は耳のすぐ真横から少し高めの位置で大きなボンボンやシュシュなどで一つに結う。その可憐なサイドテールの花苗の髪がボサボサに乱れている。
無理矢理、望んでもいない場所へと連れてこられたせいだ。
今の花苗には抵抗する勇気も気力もない。
ただ、これから事件に発生しそうな危険な境遇に、なぜ自分が巻き込まれてしまったのか不思議でならない。
花苗は豪邸に住んでいるご令嬢ではない。可もなく不可もない、どこにでもいる一般家庭の女子高生だ。
素朴な可愛らしさがある花苗は誰かに恨みを買われたりするようなタイプでもない。
数羽のカラスはゴミあさりに夢中で花苗のピンチを無視している。
ここでカラスに石でも投げつけて、カラスの怒りを買い攻撃されたい。
そうすれば、多少は隙が生まれるのではないのだろうか。
そうすれば──。
「なんでテメェみてえなちんちくりんな女が〝これ〟を持ってんだよ⁉」
花苗に牙を向けたこの美形な男、杉村帝から逃げられそうな気がしないでもない。
頭髪を派手な金色に染めて、右耳に五つ、左耳に五つと合計十個のピアスを付けており、首には目障りなアクセサリーを五、六個ほどジャラジャラと身に付けている。
このアクセサリーの組み合わせはセンスが良いのか悪いのか判断しかねるが、帝はそこらの有名雑誌に載っているモデルよりも美男子だ。
帝からほんのりと甘い香りが漂うのは彼が四六時中フルーツ味のガムを噛んでいるせいでもある。
しかし残念ながら、今の花苗はそんな良い匂いのする美男子から口説かれているというロマンティックな状況ではない。
サラリとなびく琥珀色の前髪の隙間からは、帝の凍てつくような鋭い眼光が覗いており、その切れ長の美麗な瞳で花苗を容赦なく睨みつけている。
「や……弥宵くんが……」
帝からの威圧的な質問責めの数々に萎縮してしまい、臆した花苗は自分の好きな男の名前を声に出してしまった。
「やよい?」
『やよい』という名前を聞いた帝の声色が一瞬穏やかになるが、それはほんの束の間にすぎなかった。
帝の表情は闇に溶け込んだかのように曇り、ますます憎悪に美化していく。
懐かしく、それでいて不愉快にもなるからだ。
帝がガムを噛むのをやめた。
「俺、知ってるよ。たぶん、この女が言ってるのは永倉弥宵のことじゃないかな。クラス違うけど、すっげーイケメンで学校の有名人なんだ。おまけに成績優秀で運動神経抜群。あいつの周りにはしょっちゅう女が群れてるぜ。ムカつく。半分俺にくれよってかんじだよ」
帝の隣で一緒になって花苗を脅す竹尾順平は永倉弥宵について興味なさそうに淡々と説明した。
帝は隣駅付近の高校の制服を着用しているが、順平は弥宵と糢嘉の通う高校の制服を着用している。つまり花苗とも同じ高校なのだが、順平は花苗には加勢せずに他校生である帝のほうについている。
花苗には順平が帝以上に油断ならない人物だった。
ふるえながらも帝に見つからないように結歌璃に『助けて』とラインを送信した。このメッセージが無事に届き、結歌璃が助けにきてくれることを祈って。
ところが順平は花苗の不審な動きに気がついており、
「次、妙な真似をしたら帝にバラすよ」
と言って、花苗の耳元で恐怖の忠告をした直後に花苗のスマートフォンを取りあげたのだ。
弥宵と大差ない身長で髪も染めていない順平はどことなく弥宵と似ている。
違うところと言えばファッションだろうか。
順平は右耳に四つのピアス、左耳にも四つのピアスを付けており、首からは極太チェーンのネックレスを二つぶら下げていて、左腕にはレザーブレスレットを身に付けている。
弥宵がスーツみたく制服を着用するのに対して、順平は若干着くずしている。
弥宵が弁護士に見えるのならば、順平はまるでホストのようだ。
弥宵の黒髪は真面目な優等生を表すが、順平の黒髪はカラスの化身のような不気味な黒さがある。
また、順平の頭髪は弥宵のように綺麗にまとまっておらず、毛先がまばらにハネており、寝起きそのままの状態で外に出てきたという風貌だ。
性格も弥宵のような温厚な優しさはなく冷酷非道だ。
この性格が災いしているのと、留年しない程度の出席日数ギリギリで学校に通っているため、順平には弥宵のように学校のアイドルといった称号はない。
けっして帝より威張らない。帝よりも前を歩かない順平だが、真の帝王は順平であり、帝を手中で操っているのは順平なのではないのかと花苗は思っていた。
そんな順平の洞察力を信頼しているのか、帝も順平に頼る部分が多々ある。
順平は帝からの頼みはできるかぎり応えるが、帝から尻に敷かれているわけではない。