平和主義。
聞こえは良いが、時と場所によってはそれは臆病者や薄情者といった烙印を押されてしまう。
しかし、そんな烙印を押されても誰も助けようとしないのは自分には無関係だからだ。
同じ日にちの同じ時間。同じ車両に乗っているだけの赤の他人を助けようとは誰も思わない。
朝の忙しい時間帯で、しかも週の始めの月曜日で、これからまた一週間、仕事や学校が始まる憂鬱な朝だ。
要するに、そんな朝からトラブルに巻き込まれたりなんかしたら一週間を乗り切る気力がなくなる。
周囲の目などお構いなしに、休むことなく罵声を轟かせている被害者の女性。
ひっきりになしに誤解だと言い張るサラリーマン。
世の中には示談金というものも存在している。それで一件落着させれば済む話でそれも一つの方法だ。
だがしかし、自意識過剰という言葉も存在する。
散々、サラリーマンを犯人扱いして自分は被害者ぶり「ごめんなさい。私の勘違いでした」なんてことになったら立場逆転。女性は己の罪の重さに無口になるだろう。
密集された人と人との押し潰し。ふいに間違いで、不可抗力で、〝そういった扱い〟をされる危険性は誰にでも起こりうる。
立った位置、乗り合わせた人物によって運の良し悪しが落雷される。
今回不運な落雷をされたのは地味なサラリーマンだ。お腹が少々出ており、年齢は五十代前半といったところか。もし既婚者であったなら、妻に軽蔑されて今日中に離婚届を叩きつけられそうだ。子供もいるのだとしたら、最悪の場合、父親に笑顔で話しかけたりしなくなるだろう。
松崎糢嘉も自分の父親が痴漢で逮捕されたりしたら、恥ずかしいというよりも軽蔑する感情のほうが上回るだろうなと考えていた。
男としての性欲は理解できる。そういった発散方法はいくらでもある。だけど犯罪に手を染めてまで欲を満たしたいと思う男の気持ちが糢嘉には理解不能だ。
次、止まる駅名のアナウンスが列車内に流れる。
糢嘉の降りる駅だ。
駅を降りたら何事もなかったかのように学校に行き、教室に入り、授業を受けるという代わり映えのしないスクールライフが序幕するだけだ。
けれども、学校に到着する前に新たな序幕が糢嘉には用意されていた。
「ねえ! ちょっと! 君からも何か言ってくださいよ! 俺は痴漢なんてしていない!」
「は?」
まさか自分にも不運な落雷が降りかかってこようとは予想もしていなかった糢嘉は、
「冗談じゃねえ!」
と大声で叫びたいのをグッと堪えて、怒りの塊を喉から胃袋へと落下させた。
自分は無関係なのだから放っといてもらいたい。
けっして目立たず平穏に過ごしたい糢嘉にとって、これは最悪な展開だ。
被害者の女性には申し訳ないが、加担するつもりもない糢嘉は今すぐ隣の車両に移りたいと思ったが、この混雑では身動き一つできない。
「さあ? 俺は知りません」
素知らぬ物言いができてしまえるのは、事実、糢嘉は痴漢現場を目撃していないため、どちらが嘘をついているのか本当にわからないからだ。
糢嘉は真相を隠してなどいないし、真相を暴くつもりもない。
(どーせ、痴漢オヤジのほうが嘘をついているに決まってる)
素知らぬ振りをしときながらも、心の中ではサラリーマンを犯人確定に仕立てあげる。
糢嘉は伊達眼鏡にはとても見えない、お洒落とはとても言えないぶ厚いレンズの眼鏡をかけている。
かっこ良いと人気のある学校の制服も、自分が着用していては台無しにしているようで糢嘉には申し訳なく思える。
糢嘉は己の制服姿を鏡で見ることを心底毛嫌いしている。
そして今、お世辞にもかっこ良いとは言えないこの不格好なサラリーマンが、まるで自分自身の姿を見ているようで糢嘉はなおさら嫌だった。
聞こえは良いが、時と場所によってはそれは臆病者や薄情者といった烙印を押されてしまう。
しかし、そんな烙印を押されても誰も助けようとしないのは自分には無関係だからだ。
同じ日にちの同じ時間。同じ車両に乗っているだけの赤の他人を助けようとは誰も思わない。
朝の忙しい時間帯で、しかも週の始めの月曜日で、これからまた一週間、仕事や学校が始まる憂鬱な朝だ。
要するに、そんな朝からトラブルに巻き込まれたりなんかしたら一週間を乗り切る気力がなくなる。
周囲の目などお構いなしに、休むことなく罵声を轟かせている被害者の女性。
ひっきりになしに誤解だと言い張るサラリーマン。
世の中には示談金というものも存在している。それで一件落着させれば済む話でそれも一つの方法だ。
だがしかし、自意識過剰という言葉も存在する。
散々、サラリーマンを犯人扱いして自分は被害者ぶり「ごめんなさい。私の勘違いでした」なんてことになったら立場逆転。女性は己の罪の重さに無口になるだろう。
密集された人と人との押し潰し。ふいに間違いで、不可抗力で、〝そういった扱い〟をされる危険性は誰にでも起こりうる。
立った位置、乗り合わせた人物によって運の良し悪しが落雷される。
今回不運な落雷をされたのは地味なサラリーマンだ。お腹が少々出ており、年齢は五十代前半といったところか。もし既婚者であったなら、妻に軽蔑されて今日中に離婚届を叩きつけられそうだ。子供もいるのだとしたら、最悪の場合、父親に笑顔で話しかけたりしなくなるだろう。
松崎糢嘉も自分の父親が痴漢で逮捕されたりしたら、恥ずかしいというよりも軽蔑する感情のほうが上回るだろうなと考えていた。
男としての性欲は理解できる。そういった発散方法はいくらでもある。だけど犯罪に手を染めてまで欲を満たしたいと思う男の気持ちが糢嘉には理解不能だ。
次、止まる駅名のアナウンスが列車内に流れる。
糢嘉の降りる駅だ。
駅を降りたら何事もなかったかのように学校に行き、教室に入り、授業を受けるという代わり映えのしないスクールライフが序幕するだけだ。
けれども、学校に到着する前に新たな序幕が糢嘉には用意されていた。
「ねえ! ちょっと! 君からも何か言ってくださいよ! 俺は痴漢なんてしていない!」
「は?」
まさか自分にも不運な落雷が降りかかってこようとは予想もしていなかった糢嘉は、
「冗談じゃねえ!」
と大声で叫びたいのをグッと堪えて、怒りの塊を喉から胃袋へと落下させた。
自分は無関係なのだから放っといてもらいたい。
けっして目立たず平穏に過ごしたい糢嘉にとって、これは最悪な展開だ。
被害者の女性には申し訳ないが、加担するつもりもない糢嘉は今すぐ隣の車両に移りたいと思ったが、この混雑では身動き一つできない。
「さあ? 俺は知りません」
素知らぬ物言いができてしまえるのは、事実、糢嘉は痴漢現場を目撃していないため、どちらが嘘をついているのか本当にわからないからだ。
糢嘉は真相を隠してなどいないし、真相を暴くつもりもない。
(どーせ、痴漢オヤジのほうが嘘をついているに決まってる)
素知らぬ振りをしときながらも、心の中ではサラリーマンを犯人確定に仕立てあげる。
糢嘉は伊達眼鏡にはとても見えない、お洒落とはとても言えないぶ厚いレンズの眼鏡をかけている。
かっこ良いと人気のある学校の制服も、自分が着用していては台無しにしているようで糢嘉には申し訳なく思える。
糢嘉は己の制服姿を鏡で見ることを心底毛嫌いしている。
そして今、お世辞にもかっこ良いとは言えないこの不格好なサラリーマンが、まるで自分自身の姿を見ているようで糢嘉はなおさら嫌だった。