神崎が転校してき手から数日がたち、週末を迎えた。
 気になっていたのは天気だけど、降水確率0%と心配する必要はなさそうだった。
 かくして、俺にとって曰く付きの山――深安山――に向かう閑散としたバスの最後列には、窓側から神崎と俺、それから時乃の順で座っている。

 神崎が転校してきたあの日の約束通り、深安山の山頂付近の祠に行くことになったのだけど、それを時乃に伝えたら自分も行くと言い出した。その時乃は俺の隣で高校名が入った臙脂色のウィンドブレーカーを着ている。時乃の所属する陸上部のものだ。
 深安山の入口までは、自転車で行ってもそんなに苦ではないのだけど、神崎が自転車を持っていないということで三人仲良く並んでバスに揺られている。
 そう、仲良く、である。

「部活が休みの日くらいゆっくりしてりゃあいいのに」
「運動と無縁の翔太にはわからないだろうけど、休みの日だって体を動かさないと鈍っちゃうの!」

 何気なく言葉を振ったつもりだけど、思った以上にツンとした言葉が返ってきた。触らぬ神に何とやら、ハイハイと聞き流すと今度はムッと眉間を寄せる。今日の時乃はやけに刺々しいというか、ピリピリしている。

「そ、れ、と、も。翔太は私が邪魔だった? 可愛い転校生と二人きりを邪魔されて」
「まさか。時乃の想像力が豊か過ぎるんだよ」

 当の神崎は俺たちのやり取りなんてそっちのけで窓の外に広がる田園風景を瞳をキラキラさせて眺めている。そんなに珍しい風景でもないと思うけど、こっちに来る前はこんな景色が珍しいくらいの都会にでも住んでいたのだろうか。

「むう、翔太のくせに生意気!」

 神崎の方を見ていたら、ギュッと意識を時乃の方に戻された。頬をつねって引っ張るという極めて物理的な方法で。結構容赦なくつねってきて普通に痛い。

「お前さ、足だけじゃなくて手まで早いのかよ」
「んん?」

 時乃の手に更に力がこもる。あ、これ、ヤバいやつだ。

「痛たたたたっ! 悪い、俺が悪かったって!」
「ふん。ちゃんと反省した?」
「おおー、山が近づいてきたー!」

 俺たちのてんでバラバラな言葉を乗せてバスは進んでいく。全然平和な道中ってわけじゃないんだけど、それでも普段学校にいる時よりもずっと肩の力は抜けていた。
 春の穏やかな日差しに包まれながらハイキングっていうのも、たまには悪くない、か。

「次は深安山ー。お降りの方はお近くのベルでお知らせください」
「わーっ! このベル! この音、この案内! 懐かしー!」

 神崎が窓際のベルを押すとピロリンとどこか間の抜けた音が鳴り、間もなくバスは山の麓で止まった。



 深安山は一昔前まで林業が盛んだった山で、一応山頂まで道は続いている。といっても、林業の継ぎ手がいなくなってからは山道を管理する人もいなくなり、土を均しただけの道はあちこち崩れかけているし、強い雨でも降ろうものなら滑って歩くことすら困難になる。
 そんな山道の先頭を行くのは神崎で、桃色の薄手のパーカーとグレーのトレッキングパンツという格好でグイグイと登っていく。運動するようなタイプには見えなかったけど、人は見かけによらないのかもしれない。
 まあ、山頂まではひたすら一本道を登っていくだけだから迷うことはない。無理して追いつくことはせず、神崎から少し離れたところで時乃と二人山道を進む。

「この山登るのも久しぶりかも。翔太は?」

 一歩前を歩く時乃はぐっと背伸びをしながら小さく俺の方を振り返る。山の爽やかな空気のおかげか、機嫌は回復しているようだった。

「そんな久しぶりって感じはしないな」
「……やっぱり、まだ呪いのこと調べてるんだ」

 こちらを見る時乃の眉が下がっている。呪いの話題となると、時乃は昔から俺以上に俺のことを気にしてくれた。
 祖父と父さんが立て続けに亡くなったばかりの頃は、そのショックに加えて呪いの風評もあって、取り乱すことも多かった。もしかすると時乃にとってはその頃の俺のイメージが強く残っているのかもしれない。
 俺が神崎と深安山に登るといった時についてくると言い出したのも、当時の記憶が時乃をそうさせたのかもしれない。

「まあな。俺にはそれしかないから」
「それしかないって……そんなわけないでしょ。翔太は自分で自分が見えてないだけで、いろんな可能性が広がってるの」

 ちょっとムッとしたような声ととともに時乃は足を止めて完全に俺の方を振り返る。少し迷うように自分の右手をじっと見てから、すっとその手を俺に向かって差し出した。

「あのさ、翔太。うちの陸上部、そんなにガツガツしてないし。それに、翔太は体力あるんだから、試しに入ってみない? 呪いのことを言い出す奴がいたら私がぶっ飛ばすし」

 勝気に口角をあげてみせる時乃は、本当にそんなやつがいたらぶっ飛ばしてしまうんだろうなと思うと、ありがたさとおかしさが同時に込み上げてきて吹き出してしまう。確かに、時乃と一緒に部活で汗を流して、青春らしい青春を過ごせたら楽しいのかもしれない。それは眩しなってしまうくらい明るい可能性だけど。

「……ごめん、時乃」

 それでも、自分がチームメイトと一緒に部活に打ち込んでいる姿を想像することが出来なかった。そんな中途半端で自分を騙しながら部活をするのは、真剣に陸上に取り組んでいる時乃にも失礼だと思う。

「だよね。気にしないで、ノリで誘ってみただけだから」

 時乃は謝罪の言葉を軽く笑い飛ばすと、俺に背を向けて再び山道を進み始める。
 背を向ける前のほんの一瞬、時乃の顔には泣き笑いのような表情が浮かんでいて。そんな顔をさせてしまったことに胸の奥がギシリと軋む。

「でもさ。もし本当に呪いなんてものが存在するなら」

 ポツリとこぼす時乃の周囲でザワザワと風で山の木々が揺れる。外は穏やかな春の光で満たされていたけど、管理の行き届いていない山の中は光が届かず薄暗かった。

「それは翔太を雁字搦めにしちゃった、この世界そのものなのかも」

 そんな言葉を吐き出した時乃の姿が、グラリと揺れた。
 足をついた場所が脆くなっていたらしく、崖下に向かって時乃の体がズルリと滑る。

「時乃ッ!」

 間一髪。
 咄嗟に伸ばした手が時乃の腕を掴んだ。そのまま下に引きずり込まれそうになるのをグッと堪える。走り込んでる時乃の体は軽くて、俺の力でもどうにか踏ん張ることが出来た。
 近くの木を支えにして、時乃を山道へ引っ張り上げる。あのまま落ちてしまっていたら。ワンテンポ遅れて心臓がバクバクと騒ぎ出した。

「大丈夫か?」
「あ、ありがと……」

 力が抜けたかのようにその場にペタリとしゃがみ込む。そんな時乃に手を差し出すと、時乃はおずおずとその手をとった。
 もし俺が時乃の言う通り雁字搦めになっているとしても構わない。ぐっと力を込めて時乃の体を引き起こす。

「あのさ。俺が呪いと向き合っていられるのは、時乃のおかげだから」
「私の?」
「中学でも高校でも周りの雑音を気にしないでいられるのは、時乃が近くにいてくれるって安心があるから。余計なこと考えずに、呪いと真正面から向き合える」

 時乃がいるから、俺は余計なことに煩わされずに一番やりたいことを選択することが出来る。だから、時乃にはただいつものように近くにいて、ばあちゃんからのおつかいメールを俺に伝言して、俺が余計なことを言った時は頬でもつねっていてほしかった。
 時乃は少しだけおぼろげな視線で俺を見た後、困ったように表情を崩す。

「なんかなあ。私、一番大事なところで損してる気がする」
「何だよ、損って」
「それはさ──」
「宮入君ー! 時乃ちゃんー! 先に頂上行っちゃうよー!」

 時乃は何か言いかけたようだったけど山の上の方から神崎の声が聞こえてきて口をつぐんだ。いつの間にかだいぶ先の方まで登ってしまった神崎が手を振っているのが木々の隙間から見える。思わず時乃と顔を見合わせて、どちらともなく苦笑が浮かんだ。

「ちょっと急ぐか」
「うん」

 時乃を支えていた手を離して、俺たちは遥か先にいる神崎の元へと急いだ。



「なるほど、ここが噂の祠かあ」

 山頂から少し下ったところに件の祠は鎮座している。祠自体は(やしろ)のなかに祀られていて、結構しっかりとしたつくりになっている。俺と時乃が社の縁側で一息つく中、神崎はキョロキョロと興味深そうにあたりを見渡している。

「それじゃ早速」

 そう言って神崎が背負ってきたリュックから箱を取り出すと、さらにそこから小ぶりの瓶をいくつか取り出した。その瓶の中に神崎は社の周りの土や木の皮を採取していく。そういえば昨日、担任の石川先生に何かを頼んでいたようだったけど、この辺りの道具を化学準備室あたりから融通してもらっていたのかもしれない。

「ねえ、翔太。あれって何してるの?」
「さあ? まあ、神崎は宇宙からの転校生だから」

 神崎が転校してきた日に何となく口にした言葉だったけど、意外と神崎が謎の行動をしたときに納得する理由としてははまっていて、考えるのが面倒くさい時はその言葉で納得することにしていた。持ち帰って成分分析でもするつもりなのかもしれないけど、そうだとしたら俺に手伝えることはなさそうだし、下手に手を出すより神崎に任せた方がいいだろう。

「さて、と」

 休憩を切り上げて立ち上がり、社の扉を開ける。少しだけ埃っぽい空気が広がり、中に鎮座する祠が姿を現した。曰く付きの祠ではあるけど、もしかしたら呪いについて何かヒントがあるかもしれない。だから、時折こうして空気を入れ替えて祠や社が痛まない様にしていた。そのついでに、祠の盃に持ってきた水を注ぎ、萎れてしまっている花瓶の花を入れ替えて、祠に向かって手を合わせる。

「何を祈ってるの?」

 手を合わせたところで後ろから時乃が尋ねてくる。

「特に、何も」
「何も?」

 時乃の目が怪訝そうに俺と祠を行き来する。

「呪いを信じないのに神様だけ信じるのもなんか違うな気がするしな。だから、これはただのルーチンワークみたいなもんだよ」

 祖父や父さんにこの社に連れてきてもらっていた頃、祖父はこうして社と祠の簡単な手入れをしてから仕事に取り掛かっていた。そんな姿をいつも見ていたせいか、それをしないのは何かこう落ち着かない。

「へえ、なんだか霊験あらたかなところだね」

 今度は神崎が額を腕で拭いながら社の中にあがってきた。

「もう作業は終わったのか?」
「今日やるのは試料採取だけだしね。ちょちょいっと」

 本当に試料採取だったのか。土とか木片を集めていたようだったけど何をするつもりだろう。
 そんなことを考えている間にも神崎は社の中をキョロキョロと見渡す。

「ふーん。屋根のところに絵が描いてあるんだね。あれは……鬼、かな?」

 神崎の言葉につられるように屋根を見上げる。そこには水の中から這い上がってくるような鬼の絵が古い筆跡で書き込まれていた。今はそれを見てもなんとも思わないけど、幼い頃はその絵が不気味で怖くて社の中では極力上を見ない様にしていた。

「この祠は鬼を鎮めるために建てられたって伝わってて。この辺りに水が溜まると鬼が出てきて人を喰らうって伝説が残ってる。まあ、この辺りってあまり水はけがよくないから、洪水とか土砂崩れを鬼に例えたんじゃないかって話だけど」

 呪いなんて存在しないとは考えつつ、だからこそこの祠についても調べていた。いくつかの郷土史に記録が残っていたけど、祠がいつからあるのかはわからなかった。その祠を守るような社の方が建てられたのは300年程前にも遡るらしい。
 昔から災害を妖怪や悪霊に託すことは珍しくないらしいから、水の中から這い出して来る鬼が洪水や土砂崩れを表しているとしてもそんなに不自然ではないと思う。

「ふうん。水が溜まると鬼が出てくる、かあ……」

 神崎は顎に手を当ててじっとその絵を見続けている。何か気になるところでもあるのだろうか。神崎はふっと何かに気づくと、天井の一角を指さした。
 そして神崎が口を開こうとしたところで、社内にキュルルルと音が響く。音の出所を見ると、時乃が恥ずかしそうに顔を伏せていた。真面目な神崎の様子とのギャップで吹き出しそうになるのを今だけは必死に堪える。

「……飯にするか。ばあちゃんがおにぎりと弁当用意してくれたんだ」
「おおっ。この前のポトフすごい美味しかった!」
「べ、別に今の音は私じゃ……」
「はいはい。俺も腹減ったから、さっさと弁当食おうぜ」

 三人で社の外の縁側に腰掛けて三人分の弁当箱を拡げる。卵焼きとかウィンナーとか唐揚げとか、そういう定番なものが詰められた弁当だけど、普段の昼ごはんといえば購買で買ったパンばかりだし、見てるだけで食欲がそそられる。それに、海苔で一面覆われた丸っこいおにぎりも味付きわかめの塩加減が山登りをしてきた身体にちょうどいい。
 しばらく夢中で弁当を食べ進め、落ち着いてくると神崎が色々と時乃に尋ねはじめた。

「そうだ。時乃ちゃんっていつから陸上やってるの?」
「中学から」
「へえ。何かきっかけってあるの?」
「えっと」

 何故か時乃がちらっと俺を見る。

「足が速くなりたかったから」
「なるほどなるほど。ふうん」

 今度は神崎の方が楽しそうに俺を見た。まともに話すのは今日が初めてのはずだけど、なんだか二人は交わした視線だけで通じ合っている気がする。

「……もしかして時乃ちゃん。宮入君の小さい頃のあんな話やこんな話知ってる?」

 悪だくみをするような神崎の顔に、時乃もニヤリと笑って返した。

「どうかな。両手じゃ足りないくらいしかないかも」
「そんなにないだろ! ってか、神崎も何聞いてんだ!」
「宮入君。これも調査の一環だから」
「嘘つけっ!」

 なんか変な方向に話は進んでいってしまったけど、こうして山の上で誰かと弁当を食べるなんていうのは久しぶりで。俺には部活とかそういう普通の青春に馴染むことはできないんだろうし、その選択を後悔したことはないけど。
 それでも、たまにはこんな風に穏やかな日の下で笑うくらいはバチも当たらないんじゃないかと思う。その度に俺の過去の秘密が明かされそうなのだけは勘弁してほしいけど。



「ねえ、宮入君。相談があるんだけど」

 深安山に登ってから約一週間後。いつもの校庭の端のベンチで焼きそばパンをかじりながら神崎が切り出した。毎日というわけではないけど、数日に一回は神崎に引っ張られるままここで昼飯を食べる流れになっている。そんな時はだいたい決まって“呪い”絡みの話だった。
 深安山で採取した試料は神崎が色々分析しているらしいけど、詳しい経過は聞いていなかった。遂に何かわかったのだろうかと頷いて言葉の続きを待つ。

「部活に入るなら、どこがいいと思う?」
「……は?」
「だってだって! せっかくの高校生活だよ! 部活入って高校生っぽい青春してみたくない? でも、一年生と一緒に部活見学っていうのもちょっと恥ずかしいしっ!」

 一生懸命腕をワタワタ振りながら力説する神崎の姿に思わず頭を抱えてしまう。真面目な話かと思って身構えていただけに完全に拍子抜けしてしまう。別に神崎が部活を始めるのは勝手だけど、聞く相手が間違ってる。

「帰宅部の俺じゃなくて時乃にでも聞けよ」
「時乃ちゃんに聞いたら、間違いなく陸上部に引きずり込まれるから」

 さもありなん。だけど、俺にアイデアが無いのは変わらない。高校に入った時点で部活に興味がなかったから去年のこの時期に部活見学もしてないし、各部活の評判なんかもほとんど知らない。というか。

「神崎は前の高校では何部に入ってたんだ?」

 どの部活がいいかよりも、転校前に入っていた部活があれば迷うことなくそれを続ければいいんじゃないか。部活だ青春だって言うんだったら何かしらやってたんだろうし。

「え、帰宅部だよ」

 さっきの今で再び頭を抱えることになった。さっきの青春だなんだって熱弁はなんだったんだよ。
 時々その思考回路に着いていけなくなって、本当に神崎が宇宙から転校してきたような気がしてしまう。
 思わず頭を抱えながら、解決策を一つ思いついた。

「とりあえず、石川先生にでも相談してみたら?」

 石川先生が部活に詳しいのかは知らないけど、担任だし何か力になってくれるんじゃないだろうか。

「なるほど、いいかもしれない。じゃあ、早速放課後聞きに行ってみよっか?」

 俺が一緒に行くのは神崎の中では既定路線のようで、当然のように言い切ると焼きそばパンの最後の一欠片を口の中に投げ込んで立ち上がり、俺の返事も聞かずに校舎に向かって歩いていってしまう。
 ああ、なんかそんな気はしてたよ。石川先生のところに付き合うくらいは構わないんだけど、それで済むとも思えない。どうしようかと考えながらベンチの背もたれに体を預けて目を閉じる。サワサワと揺れる木の葉の音に身を鎮めるのは心地よかったけど、良案は何も浮かばなかった。



「お、部活か。そうだな、神崎が1年と一緒に見学して回るのはやりにくいか」
「はい。だからまずは石川先生におすすめの部活がないか教えてほしいなと」

 放課後、ばあちゃんからおつかいの指示があればそれを言い訳に逃げ出そうと思ってたけど、こんな時に限って時乃がおつかいメールを持ってくることはなかった。一応、時乃のクラスのホームルームが長引いているんじゃないかと粘ってみたけど、痺れを切らした神崎によって職員室に連行されてしまった。

「で、宮入も部活を始める気になったと」
「校内に不慣れな転校生の付き添いです」

 強調してみたけど、石川先生は俺の返事には興味なさそうにデスクから冊子を取り出した。どうやらそれが永尾高校の部活のリストになっているようだ。石川先生はしばらくパラパラと冊子を捲ったところで、何かを思い出したように顔をあげる。

「おう、そうだ。お前らにおすすめの部活がある」

 石川先生は冊子の後ろの方を開くと俺と神崎に向かって掲げる。そのページに書かれていた文字を見て神崎は目をキラキラさせていた。もし鏡があれば、俺は神崎とは真逆の表情を浮かべてると思う。

「早速見に行ってみます!」

 職員室内に響き渡りそうな声とともに神崎は石川先生に頭を下げる。生徒の悩みを解決することが出来たからか石川先生もどこかホクホク顔だった。だれかこいつら止めてくれよ、なんて思うけど当然そんな人がいるわけもなく。

「じゃ、宮入君。早速行ってみよー!」
「部員は少し気の小さい奴だけど、よろしく頼むなー」

 少し間延びした石川先生の声を背に受けつつ、ウキウキの神崎に引きずられるようにして職員室を後にした。
 その後は転校から半月程度でまだ校内のつくりに不慣れな神崎に代わって冊子に書かれていた部室の場所を目指す。部室は最上階である4階の奥という校舎内の端の端に位置しているようで、入学から1年以上たった俺も初めて訪れるような場所だった。

「着いたぞ」

 第二化学準備室、と書かれたプレートに手書きで「オーパーツ研究会」と書かれた紙が張り付けられていた。部屋の明かりもついているようで、まさかと思っていたけどこの謎の名前の部活動は本当に存在するらしい。

「たのもー!」

 神崎はドアに手をかけると一切の躊躇なく開け放った。ほっとくわけにもいかないから部屋の中に入った神崎に続く。部屋は中央に置かれた長テーブルの他は殆ど棚がスペースを占めていた。片側のガラス棚には何やら薬品が色々収められていて、もう反対側はラック上の棚に何やら分厚い本やそれが何かもわからないオブジェクトが飾られている。部室というよりは物置のような部屋だけど、確かに中に人がいた。
 長テーブルのところで分厚い本を捲っていた男性がゆっくりと顔をあげる。その視界に神崎と俺が収まったのか、徐々に表情が驚きに包まれていく。線は薄いけど端正な顔立ちでこんな場所には不釣り合いなようにも見えた。

「だ、誰でしゅか!?」

 前言撤回。驚きのあまりなのか、第一声を思いっきり嚙んだ童顔イケメン男子が目を丸くして俺たちを見ている。そんな相手にためらうことなく神崎は一歩前に進み出た。

「この4月に転校してきた神崎です。部活見学に来ました!」

 イケメン男子の顔は最初神崎が何を言っているか理解ができないかのようにきょとんとしていたけど、一拍おいてバタバタと慌てて立ち上がり俺たちの前にやってくる。

「よ、ようこそ。僕は2年4組の筑後風馬。オーパーツ研究会、通称オー研の部長です」
「筑後君だね、よろしく。あ、同学年だし、そんな緊張しないでいいよ?」
「あ、えっと、これは」

 神崎が小さく首をかしげると、筑後は顔を赤くしてワタワタと周囲を見渡し、最終的にはその場で俯いてしまう。

「ぼ、僕。すごい人見知りで。学校で人と話してるより、ネットで知らない人とやり取りすることが多いくらいで。だから、緊張しっぱなしかもしれないけど気にしないでくれたら嬉しいです」
「わかったけど、敬語はやめよう?」
「わ、わかりました!」

 相変わらずの筑後の口調に神崎が一瞬ポカンとして、それからくしゃりと表情を崩す。筑後の方は使わなくていいと言われた敬語を早速使っていることに気づかないくらい緊張しているようだった。

「それで、ここってどんなことする部活なの?」

 神崎は何か言いたさそうにムズムズしてるけど、話を先に進めることにしたようだ。

「あ、えっと。文字通り世界中のオーパーツについて情報を集めたり、あとは国内のオーパーツについて調査したり、探してみたりとかそんなところです……だよ」
「調査って、日本にもオーパーツがあるの!?」
「数は少ないけど。聖徳太子の地球儀とか、宇宙船だって噂がある虚舟みたいなのがありま……じゃない、あるよ」

 神崎の視線の圧によるものか筑後は敬語を言い直す。それから筑後は棚から厚手の本を取ってくると俺たちの前で広げた。そこには確かに地球っぽい形の凹凸のある金色の玉の写真や、蓋つきの丼のようなものから女性が出てくるような絵が載っている。

「宇宙船だってさ。それが見つかったら神崎が生まれた星に帰れるじゃん」
「いや、実はこれ、宇宙船じゃなくてタイムマシンかもよ。隣に描かれてるの明らかに人間の女性だし、未来人でしたってオチかも」

 からかったつもりが斜め上の返事がかえってきてしまう。やめよう、俺みたいなのが口を挟める世界じゃない。一方、筑後は俺たちのやり取りにパッと目を見開くと、興奮した様子で別の本を持ってくる。

「オー研の人は代々それぞれがテーマを持ってオーパーツの調査をしてるんだけど、僕の場合はタイムトラベルの証拠っていう観点なんです。例えば世界最古のコンピューターって言われるアンティキティラ島の機械とか、アステカ文明の水晶ドクロとか、その時代の技術で到底作ることが出来ないようなものは未来人が持ち込んだものじゃないか、みたいな」

 自分の分野に関する話だからか、筑後はイキイキと本を捲りながら語っていく。だけどその話題はマズい。案の定、神崎の目がキラキラどころかギラギラしている。神崎が俺と出会った時の第一声は「タイムトラベルを信じるか?」だった。あの質問に何の意味があったのかはわからないままだけど、そんな質問をしてくるくらいだから当然興味はあるようで。

「うんうん。憧れるよね、タイムトラベル!」

 それから意味ありげな視線を俺に投げてきた。

「まあ、ここにいる宮入君はタイムトラベル否定派なんだけどねー」
「お前、別に今そんなこと言わなくたって」

 当然のように筑後はジトっとした視線で俺を見ている。タイムマシンの是非はさておき、よく知らないやつから自分の信じているものとか好きなものを否定されたらいい気はしないだろう。俺だってそれくらいはわきまえてるつもりだったけど。

「み、宮入君がタイムマシンを信じられない理由はなんですか?」

 そう問いかけてくる筑後の顔には熱っぽさがあって、また頭を抱えたくなる。なんで半月の間に二回もタイムトラベルがあり得ない理由を説明しなきゃいけないんだ。

「そうだな。仮に筑後の言う通りオーパーツが未来人が来た証拠っていうならさ、未来人の落とし物の割にしょぼくないか?」

 筑後の手元の本を捲ると、錆びた歯車のようなものが写ったページが出てくる。

「アンティキティラ島の機械だって未来から来たって考えるとアナログすぎるし、水晶ドクロなんてなんでそんなもの持ち歩いてるんだよって話だし」
「高度な電子機器は経年劣化が早いから、結果的にそういうアナログな物だけが残ってる、っていうのはどうかな?」
「そうだとしても、当時の記録に一切そういうものに関する記述が出てこないのは不思議じゃないか? そもそも、タイムトラベルができるとして、何のためにやってくるんだよ」
「それは、うーん。例えば過去の失敗をやり直したいとか……」

 筑後の声には力がなく自信がなさそうで、まるで俺が筑後をイジメてるか叱っているみたいで嫌なんだけど。

「でもだぞ。過去の失敗をやり直したらそいつは将来タイムトラベルする動機がないわけだろ。そしたらタイムトラベルが行われないからそいつはやっぱり失敗をするわけで……っていう感じで堂々巡りが起きちまうだろ」

 有名な“親殺しのパラドックス”をマイルドにした感じだけど、明確な答えのない問題に筑後は黙り込む。罪悪感を覚えつつも、これで話題が終わってくれと心の中で願っていたら筑後は鞄からノートとシャーペンを取り出した。

「でも。タイムトラベルというのは双方向的な時間の行き来ではなく乙の字型だとしたら」

 筑後がノートに書いたのは前後に行き来する矢印と、乙の字状に一方通行で伸びる矢印だった。

 「初めは乙の上側で時間が流れていて、タイムトラベルでその原因が消えた時点で乙の下側で時間が流れ出すんです。それなら、流れている時間軸自体が違うから堂々巡りの問題は起きません。元の時間の流れをAとしたら、タイムトラベル後の時間の流れはA’……ってところですかね」

 筑後が乙の字に沿うようにシャーペンを動かす。
 殆ど同じ世界だが次元が違う世界の過去に移動する。荒唐無稽だと思ったけど、すぐには返事が思い浮かばない。
 確かに筑後の言う通りなら誰かがタイムトラベルした線とタイムトラベル後の線は別なわけで、パラドックスの問題は起きない。だけどそれは本当にタイムトラベルといえるのだろうか。どちらかというと並行世界みたいなオカルト領域に入るのではないだろうか。

「私、決めた!」

 考え込む俺の隣で神崎がドンっとテーブルに両手をついた。

「筑後君。私、この部に入りたい」
「え、いいのっ!?」
「うん。筑後君の話を聞くだけでも面白そうだし」

 うんうんと自分の言葉に頷いてから、ニヤッと笑って俺を見る。

「ね、宮入君も入るよね。やられっぱなしのままだと悔しいでしょ?」

 いや、別に悔しくはないけど。でも、筑後が示したノートをどう考えるといいのかは気になると言えば気になる。でもそれは単純な興味の世界であって、俺にはもっと考えるべきことがある。時乃から陸上部に誘われたときに断った理由もそれだし、ここで俺がオーパーツ研究会に入部したら時乃に対して不義理な気がした。

「でも、俺みたいな否定派がいたらやりにくくてしょうがないだろ?」

 突然の入部宣言をポカンと見ていた筑後に振ってみる。筑後が俺の入部に懸念を示せば神崎だって無理強いはしないだろう。
 だけど、筑後はフルフルと首を横に振った。

「宮入君みたいに正面から反対意見を言ってくれる人がいた方が調査に深みも出るはずだから。だから、宮入君も入部してくれたら……嬉しいな」

 筑後は何も意識してないんだろうけど、弱々しい上目遣いに断る行為への罪悪感がみるみる高まっていく。さっきまでおどおどとした態度をさせてしまっていたぶんなおさらだ。
 その隣で神崎は俺を逃がさないつもり満々でいるし、神崎絡みの時はいつもそうだけどまたしても逃げ道はなくなっていた。選択を間違えた。もし筑後たちが言う通り本当にタイムトラベルができるのなら、まずは昼休みに戻ってやり直したい。

「そもそも、俺なんかが入部したらそれだけで迷惑が……」

 人の噂がどのように伝わっていくかは身をもって味わっている。俺が入部すればオーパーツ研究会はあることないこと噂が立つだろうし、筑後に迷惑をかけてしまう。
 だけど、筑後は不思議そうに首をかしげてきょとんとしていた。もしかして、呪いのことを知らないのか。転校してきた神崎ならともかく、同学年で一年以上いるのに。
 隣で神崎が笑っている。でもそれは俺をからかうようなものではなく、背中を押してくれるような穏やかな笑顔。ああ、もう。だからついてきたくなかったんだよ。

「わかったよ。仮っ。あくまで仮入部だからな」
「だって! やったね、筑後君!」
「はい!」

 昔からの知り合いみたいにハイタッチをする二人に、今日何度目かもわからないけど頭を抱える羽目になった。神崎が転校してきた日、神崎と一緒にいたら何かが変わるかもしれないと思ったけど、あながち単なる予感じゃなくなるのかもしれない。
 小さい子供みたいに喜ぶ二人の声を聞いて、どことなく居心地のよさを感じる自分の中で半分くらい確かに存在していた。理解者が一人でもいればそれでいいと思っていたのに、神崎に振り回されているうちにすっかり弱くなってしまったのかもしれない。
 でも、そんなに悪い気はしなかった。