職場を出た寛子(ひろこ)は、流れるような動作でチェスターコートのポケットからスマートフォンを出した。
チャットアプリを立ち上げ、一佳(いちか)に『今から帰るけん!』と、かわいいキャラクターのついたスタンプを送信する。
考えてみれば、義務教育の頃から、頑なに方言を使わず、標準語で話そうと意識してきた気がする。
なんとなく、祖父母のする話し方を若い自分たちが写すのは、「イケてない」空気があったからだと思う。
だが、東京に住み始めてしばらく経ち、ストアでこのスタンプを見た時、きゅん、と胸が疼くものがあった。
きゅん、は、仕事先で同郷の人と出会った時や、駅で出身県の観光ポスターを見た時にも発生する。
ほのかに甘い糖衣で、故郷への複雑な気持ちをくるんでうっかり呑み込んでしまった、ような。恐怖心と表裏になった、ときめき。
――やばい相手への、恋心に似てる。
封印した胸の奥が、思い出すたび、疼く。
こちらを思いやってくれなかったり、お金が出て行くばかりだったり、持ち出しが多くて返って来ないような、人生を持ち崩しかねないものを招く感情は、バグとして無視してしまうしかない。
足元不安定な時代なら、尚更、下手は打てなかった。
――遠くで思う分には、実際より良く見えるのが、また、なんともなぁ。
そういうところも、やはり、恋に似ている、と思う。
親に庇護され、無力な時代には、違和感なく受け入れられる感情だ。なんなら、退屈な日常に添える、スパイシーな刺激にすらなるだろう。だけど、大人として生きていくには、きゅん、はじゃまだ。
申し訳ないけれど、現実を見なければ。食っていかなければならないので。
――二次元の方言スタンプくらいなら、まあ、愛でられないこともないけれど……。
一佳からは、それほど間を置かずに
『部屋あたたかくして待ってます。買い出し追加はありません。』
と、返事があった。
彼女は、ほとんどスタンプを使わない。
『ありがとう』『了解です』というような定型句でさえ、いつも自分の言葉でコミュニケーションを取ろうとする。
不器用――というか、めんどくさくないのかな、とつい思ってしまうが、一佳らしいと思う。彼女は方言や郷土のものにも、寛子ほど関心を寄せない。
寛子は笑顔のスタンプを返してから、端末をコートのポケットにしまった。アプリに、実家からもメッセージが届いているのが見えているのには、気付かない振りで。
用件はわかっている。年の瀬が押し迫るこの頃だ。
二年に一度は実家に帰省するように心がけていた寛子だが、今年の年末は難しそうだった。
来年も、どうなるかわからない。
心配する親のメッセージを慎重に受け流し、言葉を選んで、断りを入れなければならない。
還暦を過ぎて、両親も、同居していた頃とは雰囲気が変わった。
片方の親から聞く、もう片方の親の様子は、自分が知る「父」でも「母」でもない気がする。弱いし、わがままだが、急に物分かり良くなったり断線したり、ステレオタイプな「優しい老人」「めんどくさい老人」のどちらに仕分けられる感じでもなくて、どういうことで激昂し、また落ち込むか、読めなくなった。
駅や電車の人込みの中や、外の寒さに震えながらでは、こちらも配慮しきれない。家に帰って、腰を落ち着けてからでないと無理だ。
――そういえば。
速足で駅に向かっていた寛子は、ふと立ち止まり、顎をあげた。
早くに日没を迎え、静かに大都会のネオンを受け止めるばかりの冬の空。
――こんなに寒いのに、今年、まだ、息、白くならないんだ。
もう、積雪が二メートルを越えたという地域もあるというのに。
試しに道の端に避けて、たっぷりと息を吸い、肺に溜め込んで吐き出せば、不織布マスクの向こうに、ちゃんと、白い靄が漂った。
――なるほど。飛沫を飛ばさないように配慮した浅い息なら、凍ることもないのか。
東京が、突然、他人と距離を取り、遠慮がちに息をしなくてはならない都市になったのは、令和二年の初め頃。
そこから季節がひとめぐりし、再びの冬を迎えている。
都心にある職場から、乗り継ぎ含めて一時間弱。最寄り駅から徒歩十五分。夜は暗いので、街灯のある車道沿いの道を歩く。
今、二人の城は、平成生まれの木造アパートだ。
一つ前の昭和アパートと違って、なんと、トイレ・浴室別。一人が風呂に入っている間、もう一人が無情な苦労を強いられる必要がなく、最高の家に越せたと気に入っている。しかも、以前よりも広くなった。寝る前に、こたつの両サイドに布団を敷くのではなく、寝室専用の部屋があり、念願のベッドまで置けた。
住環境は、一度アップグレードするともとに戻れないと聞くけれど、今の寛子にはそれがよくわかる。
かといって、両親がローンで購入した、注文住宅の広い一軒家に帰りたいとは思わない。いくら利便性の高いハコでも、顔を合わせるたびに時代遅れな人生アドバイスとお説教を浴びせてくる家族がいて、漂う空気が自分にとって苦しいものなら、やはり、快適とは言いづらいものだし、広すぎれば掃除だって大変だ。
身の丈にあった家賃で、小回りがきいて、希望もある程度叶えてくれている今の家を、寛子はとても気に入っていた。
ドアノブに鍵を差し込んで回し、ドアを開けると、暖房の空気が玄関まで流れていて、身を切るような寒さが少し慰められる。一目散にリビングに向かいたいところだが、玄関を塞ぐように直立しているハンガーラックにコートをかけ、マスクをゴミ箱に捨てる。
そして洗面所で手を洗い、うがいをしていると、
「お帰りなさい。寛子さん」
キッチンにいたのだろう一佳が、わざわざ出てきてくれたらしい。
背中から声をかけてくる。
「ただいま一佳。さっむい! 外!」
「お風呂入れてありますけど」
「とりあえずシャワーだけ!」
本当は、寛子も寝る前に、入浴剤を入れ、ぬるめのお湯に浸かるのが一番好きなのだが、このwith感染症時代に好き嫌いは言っていられなかった。
生活空間のリビングや寝室にウイルスを持ち込んでしまわないように、外から帰ってきた時はできるだけすぐに全身を洗い、着替える。
それは最初の緊急事態宣言の際、様々な情報が氾濫する中で一佳と相談し、決めたルールだった。
いわゆる、「新しい生活様式」というやつ。
知り合いには、ドアノブなど触れたところや買ってきたものをすべてアルコール消毒液で拭かないと落ち着かないという人もいたし、まったく構わず「コロナはただの風邪」と言って飲み歩いている人もいる。まちまちだ。政府が求めているのが自助努力である以上、どこかから満点の対応を強制されることはない。
ただ、職場でさんざん同僚の愚痴を聞かされて、同居人と衛生観念が合わない、ばかりか、すり合わせできない、ことのストレスは大きいと理解した。
そういう話を聞くと、そこそこ、基本の価値観が合い、かつ、違うところは話し合いで理性的に解決できる同居人で、ありがたい、と思う。
シャワーを浴びて、ボディシャンプーでざっと体を洗い、締め付けのゆるい部屋着に着替える。