一佳は同窓会の時とほとんど変化のないオフィスカジュアル姿だったが、唇に乗ったグロスの光沢が妙に艶っぽく映って、どきりとした。
――きれいな子。っていうか、やっぱり、好きな顔……。
「よっ、お疲れ、丸の内OL。似合ってるじゃない」
――小学生男子か、もしくは親戚のおっさん二回目か。
逸りを隠すための、つまらないからかい文句に、寛子自身が辟易する。一佳も「ばかなんですか?」という目つきをしてみせたが、特に反論もせず、聞き流すことにしたらしかった。
「ここ、すぐわかりました?」
「あ、うん。助かったよ。下のカフェはいっぱいだったし」
東京滞在予定の半分以上を過ごしてから、寛子はようやく、一佳に連絡を取った。
『今東京来てるんだけどさ、帰る日は予定ないから、会わない?』
そうアプリに送信すると、一佳はすぐに返事をよこした。
待ち合わせ場所に指定してきたのは、東京駅の至近に新しくできたばかりだという元中央郵便局局舎を使った商業施設だ。四階に局長室の再現スペースがあり、誰でも入れるようになっている。
東京駅舎と同じく、明治大正期の官製建築の重厚さを思わせる空間に椅子が置かれ、窓からの眺めも良く、静かで待ち合わせには最適に思えたが、あまり人気がないのか、知られていないのか、一佳が現れるまでは、寛子ともう一人、中年の女性が座っているのみだった。
「ここ、雰囲気良いんですけど、飲食できないですからね……。のど乾きません? せんぱい」
「大丈夫よ。今の時間、どこも混んでない?」
「少し駅から離れれば、座れるカフェあると思います。すぐに見つからなかったら、歩かせてしまうかもしれませんが……」
「それは構わないけど」
「じゃあ移動しますか。荷物持ちますね」
「えっ、いいって……」
足元に屈み込み、荷物一式を詰めたキャリーカートに手を伸ばす一佳を、寛子は慌てて制した。
「せんぱい、お疲れでしょう?」
「いやいや、それは仕事してきた一佳こそ」
「別に。座り仕事なので、体は元気です」
「私も、今日はほとんど何もしてない。ロッカーに放り込んでて、さっきまで手ぶらだったし」
荷物をかばうようにして持ち手を確保しながら、寛子は初めて見る一佳のリードに面食らっていた。
結局のところ、ここは寛子にとって不慣れな土地だ。この後食事する店も、一佳に任せてしまっている。ただの元同級生ならばそれに甘んじて楽をさせてもらうことも「あり」だっただろう。兄の妹、末っ子の寛子は、それなりに要領の良さを自認していた。
――だけど、一佳は後輩だし。学生時代はそれなりに……えらそうにしてしまったから。
自業自得とはいえ、今更、ばつが悪いのだった。
中高一貫校に二年早く入学し、学年が上。意識しないまま、優位性を保ってきたが、互いに大人の外見になれば、あまりその頃の関係を引き摺ってばかりもいられない。
一佳はすっかり大人っぽくなった。そして、すっかり大都会になじんでいる。求職中の寛子は、うっかり引き比べてしまい、自分が半人前のような心地になって、卑屈だなぁと肩を竦めるのだった。
そんな内心を読ませまいと、寛子はへらりと笑ってみせる。
「自分で持つよ。さ、どこに連れて行ってくれる? 一佳」
元気良くけしかける。
上京中はほとんどチェーンのカフェのサンドイッチなどでお茶を濁した寛子だ。どんな店でも、座れさえすれば文句を言うつもりはなかった。
けれど、一佳はバッグからスマートフォンを出す。
わざわざ検索するらしい。
「何がお好きですか? 和、洋、中、エスニック……」
「なんでも食べるよ。一佳の好きな店でいいけど」
「あんまりこの辺詳しくないんですよね……高いし。色々あり過ぎて。会社の飲み会の時くらいで……」
――そうか、高いのか。
密かに財布の心配をしていると、一佳が質問を重ねた。
「今日、時間、どれくらい大丈夫なんです? 新幹線なら近いところにしないと……」
「夜行バスだから。八時過ぎくらいまでは大丈夫」
「バスなら、お酒はやめておきますよね」
「一杯くらいなら平気だけど、……酔うかな。そっか、一佳もお酒飲めるようになったんだよね。なんか感激~」
「何を今さら」
「だって、同窓会じゃウーロン茶のグラスだったじゃん」
「ああいう場所で酔って、何が楽しいんですか?」
――あーあ、相変わらずの物言い。
「変わらないね。昔のあなたなら、ああいう場所に行くのだって、何が楽しいの、と言いそうなものだけど」
一佳は端末を注視して、からかう寛子をスルーする。
腹は立たない。そうだ、こういう子だったなあ、と思えば、変わらなさが愛しくなった。
普通は社会で揉まれているうちに角が丸くなるものだと思うのだけれど、そうなってはいない、強さが眩しい。
――というのは、「無敵の女子中学生(JC)」から変わってしまった自分への哀悼も含んでいるのかもしれないけれど。
黙って待っていると、やがて一佳が自分の端末を差し出した。
お店の情報ページが、目の前で素早くスライドされていく。
「ここはお惣菜が選べるお店。ヘルシーで胃がもたれないかも。洋食だと、ここならお酒頼まなくても、ワンプレートでしっかり夜ご飯できます。エスニックだと、前行った店なんですが、ここの海鮮が美味しいです。で、ここは薪窯のナポリピッツァの……」
候補の数と検索に要したスピードからして、前もってピックアップしておいてくれたのだろうということがわかる。寛子が連絡してから、数日しかなかったのに。
ありがたい、と思いながら、寛子は店を即決した。
「一個前のところ、デザートがおいしそうだった」
「じゃあそこにしましょう」
大事なのは何を食べるか、じゃない。
彼女と一緒にいる時間を、どれだけ無駄にしないか、だ。
――ちなみに、お値段もそれほど高そうではなかった。
◆
無事店を決めたものの、時間的にまだ食事には早い、ということで、まずはそのビル二階のミュージアムに連れて行かれた。
東京大学のコレクションだという、ミンククジラ、アカシカ、キリン、幻の巨鳥エピオルニスなどの骨格標本や、哺乳類や鳥類の剥製、昔の医療器具や鉱石のたぐいが、詳細な説明もなく広大なスペースにただ並べられている。
重厚な観賞棚の印象もあって、少しばかりマッドでお金持ちな博士の秘密の展示室、という感じだ。かすかに漂う埃と薬品が混ざり合ったようなにおいは、二人が出会った生物実験室を思い出させた。
一佳は、ちらりと寛子を見て言う。
「せんぱい、こういうのお好きかなって」
「うーん、うん、そうだね」
「もし私が来るまで時間を持て余していたら、通り道に覗けるかな、とも思って」
――こんなに気を使う子だったっけ。
戸惑いながらも、寛子は殊勝に礼を言う。
「なるほど、ありがと。そうだね、上野の博物館には行ってみたよ」
「上野……かはく? トーハク?」
「……えーと」
「こういう感じの標本がある方ですか?」
「そうそう。首長竜がいるところ」
「なるほど。かはくです」
愛称ないしは略称だろう、と遅れて気付いた。国立科(・)学博(・)物館。
――わざわざ略する必要あったか?
――きれいな子。っていうか、やっぱり、好きな顔……。
「よっ、お疲れ、丸の内OL。似合ってるじゃない」
――小学生男子か、もしくは親戚のおっさん二回目か。
逸りを隠すための、つまらないからかい文句に、寛子自身が辟易する。一佳も「ばかなんですか?」という目つきをしてみせたが、特に反論もせず、聞き流すことにしたらしかった。
「ここ、すぐわかりました?」
「あ、うん。助かったよ。下のカフェはいっぱいだったし」
東京滞在予定の半分以上を過ごしてから、寛子はようやく、一佳に連絡を取った。
『今東京来てるんだけどさ、帰る日は予定ないから、会わない?』
そうアプリに送信すると、一佳はすぐに返事をよこした。
待ち合わせ場所に指定してきたのは、東京駅の至近に新しくできたばかりだという元中央郵便局局舎を使った商業施設だ。四階に局長室の再現スペースがあり、誰でも入れるようになっている。
東京駅舎と同じく、明治大正期の官製建築の重厚さを思わせる空間に椅子が置かれ、窓からの眺めも良く、静かで待ち合わせには最適に思えたが、あまり人気がないのか、知られていないのか、一佳が現れるまでは、寛子ともう一人、中年の女性が座っているのみだった。
「ここ、雰囲気良いんですけど、飲食できないですからね……。のど乾きません? せんぱい」
「大丈夫よ。今の時間、どこも混んでない?」
「少し駅から離れれば、座れるカフェあると思います。すぐに見つからなかったら、歩かせてしまうかもしれませんが……」
「それは構わないけど」
「じゃあ移動しますか。荷物持ちますね」
「えっ、いいって……」
足元に屈み込み、荷物一式を詰めたキャリーカートに手を伸ばす一佳を、寛子は慌てて制した。
「せんぱい、お疲れでしょう?」
「いやいや、それは仕事してきた一佳こそ」
「別に。座り仕事なので、体は元気です」
「私も、今日はほとんど何もしてない。ロッカーに放り込んでて、さっきまで手ぶらだったし」
荷物をかばうようにして持ち手を確保しながら、寛子は初めて見る一佳のリードに面食らっていた。
結局のところ、ここは寛子にとって不慣れな土地だ。この後食事する店も、一佳に任せてしまっている。ただの元同級生ならばそれに甘んじて楽をさせてもらうことも「あり」だっただろう。兄の妹、末っ子の寛子は、それなりに要領の良さを自認していた。
――だけど、一佳は後輩だし。学生時代はそれなりに……えらそうにしてしまったから。
自業自得とはいえ、今更、ばつが悪いのだった。
中高一貫校に二年早く入学し、学年が上。意識しないまま、優位性を保ってきたが、互いに大人の外見になれば、あまりその頃の関係を引き摺ってばかりもいられない。
一佳はすっかり大人っぽくなった。そして、すっかり大都会になじんでいる。求職中の寛子は、うっかり引き比べてしまい、自分が半人前のような心地になって、卑屈だなぁと肩を竦めるのだった。
そんな内心を読ませまいと、寛子はへらりと笑ってみせる。
「自分で持つよ。さ、どこに連れて行ってくれる? 一佳」
元気良くけしかける。
上京中はほとんどチェーンのカフェのサンドイッチなどでお茶を濁した寛子だ。どんな店でも、座れさえすれば文句を言うつもりはなかった。
けれど、一佳はバッグからスマートフォンを出す。
わざわざ検索するらしい。
「何がお好きですか? 和、洋、中、エスニック……」
「なんでも食べるよ。一佳の好きな店でいいけど」
「あんまりこの辺詳しくないんですよね……高いし。色々あり過ぎて。会社の飲み会の時くらいで……」
――そうか、高いのか。
密かに財布の心配をしていると、一佳が質問を重ねた。
「今日、時間、どれくらい大丈夫なんです? 新幹線なら近いところにしないと……」
「夜行バスだから。八時過ぎくらいまでは大丈夫」
「バスなら、お酒はやめておきますよね」
「一杯くらいなら平気だけど、……酔うかな。そっか、一佳もお酒飲めるようになったんだよね。なんか感激~」
「何を今さら」
「だって、同窓会じゃウーロン茶のグラスだったじゃん」
「ああいう場所で酔って、何が楽しいんですか?」
――あーあ、相変わらずの物言い。
「変わらないね。昔のあなたなら、ああいう場所に行くのだって、何が楽しいの、と言いそうなものだけど」
一佳は端末を注視して、からかう寛子をスルーする。
腹は立たない。そうだ、こういう子だったなあ、と思えば、変わらなさが愛しくなった。
普通は社会で揉まれているうちに角が丸くなるものだと思うのだけれど、そうなってはいない、強さが眩しい。
――というのは、「無敵の女子中学生(JC)」から変わってしまった自分への哀悼も含んでいるのかもしれないけれど。
黙って待っていると、やがて一佳が自分の端末を差し出した。
お店の情報ページが、目の前で素早くスライドされていく。
「ここはお惣菜が選べるお店。ヘルシーで胃がもたれないかも。洋食だと、ここならお酒頼まなくても、ワンプレートでしっかり夜ご飯できます。エスニックだと、前行った店なんですが、ここの海鮮が美味しいです。で、ここは薪窯のナポリピッツァの……」
候補の数と検索に要したスピードからして、前もってピックアップしておいてくれたのだろうということがわかる。寛子が連絡してから、数日しかなかったのに。
ありがたい、と思いながら、寛子は店を即決した。
「一個前のところ、デザートがおいしそうだった」
「じゃあそこにしましょう」
大事なのは何を食べるか、じゃない。
彼女と一緒にいる時間を、どれだけ無駄にしないか、だ。
――ちなみに、お値段もそれほど高そうではなかった。
◆
無事店を決めたものの、時間的にまだ食事には早い、ということで、まずはそのビル二階のミュージアムに連れて行かれた。
東京大学のコレクションだという、ミンククジラ、アカシカ、キリン、幻の巨鳥エピオルニスなどの骨格標本や、哺乳類や鳥類の剥製、昔の医療器具や鉱石のたぐいが、詳細な説明もなく広大なスペースにただ並べられている。
重厚な観賞棚の印象もあって、少しばかりマッドでお金持ちな博士の秘密の展示室、という感じだ。かすかに漂う埃と薬品が混ざり合ったようなにおいは、二人が出会った生物実験室を思い出させた。
一佳は、ちらりと寛子を見て言う。
「せんぱい、こういうのお好きかなって」
「うーん、うん、そうだね」
「もし私が来るまで時間を持て余していたら、通り道に覗けるかな、とも思って」
――こんなに気を使う子だったっけ。
戸惑いながらも、寛子は殊勝に礼を言う。
「なるほど、ありがと。そうだね、上野の博物館には行ってみたよ」
「上野……かはく? トーハク?」
「……えーと」
「こういう感じの標本がある方ですか?」
「そうそう。首長竜がいるところ」
「なるほど。かはくです」
愛称ないしは略称だろう、と遅れて気付いた。国立科(・)学博(・)物館。
――わざわざ略する必要あったか?