同窓会から日が経つほどに、寛子には、あの日の彼女が自分の願望の見せたまぼろしだったのではないかと思われ、あの時の淡い興奮を何度も思い起こさずにはおれなかった。
 そして回想するごとに、「東京」という言葉が、自身の内側に擦り込まれていくような心地がするのだった。


     ◆

 そして。
 同窓会から半年後。寛子はリクルートスーツ姿で、真夏の東京駅に降り立っていた。
 紆余曲折――というべきようなことは、なかった。仕事が見つからないまままっすぐ困窮に向かって一直線、普通ならありそうな筈の抜け道や近道ひとつ見つからず、このままだと詰むな、と、記帳したばかりの銀行通帳を見た瞬間、突然、電撃的に、覚悟が決まった。
 それで、賭けに出ることにしたのだ。負けがこむほど、人はギャンブル的な選択肢に執心するという。今の寛子には、不本意ながら、その気持ちが痛いほどわかった。
 両親に話すと、当然のように当惑と反対の態度で迎えられたが、彼らは娘を私立の中高一貫校、そして県外の私大にやれた、金銭面で今基準で言うなら「勝ち組」だ。感覚が違う世代の人なのだ。
「選り好みしなければ、地元にだって仕事はあるだろう。見つけきれないだけで」
 父と母の言うように、親元にいられ、身の丈に合い、給与や休日数に納得のいく「普通」の会社だって、なくはないのだろう。
 けれど、待遇というのは、すべて雇用契約書に明文化できるものではない。言葉にならない居心地の良さ悪さというのは、人間関係を含めて存在するし、生きていくのもしんどいレベルの環境というのは存在する。どうしても。
 寛子の前職、前々職の経験、転職活動でいくつかの職場を訪問したり、遊びに行った先で見る同年代店員の顔、友人の愚痴などから、否応なしに受け取れてしまうものがある。
 どうやら、「当たり」の可能性が、なかなか低いようだ、と。
 体感でわかっていることというのは、他人には、たとえ親でも、うまく説明ができないものだ。「あなたの主観でしょう」で済まされてしまったりする。だが、生存に響くレベルで「ヤバい」職場というものが世の中にはあって、動かなくても死ぬけれど動いても割と死ぬ、ということが現実にあるということを、知らない人たちは知らないものだ。
 ――選り好みが激しくてすみません、お父さん、お母さん。地元平均の「普通」より適応力が劣るらしい、私のことは、諦めて。
 そう思い、最終的には、説得を諦めた。転職サイトでエントリーしたいくつかの会社から面接の日程確認が来ると、それをまとめた日程で受けられるように調整し、一週間ぶんほどの着替えをキャリーカートに詰めて、早朝、家を出た。
 サラリーマンに混ざって平日の新幹線に乗り込みながら、なんだかプチ家出のようだな、と思うと、笑いが出たものだ。生まれつき色素が薄く、地毛が茶色に見えるからと、一部の教師に不良のような言われ方をした学生時代にも、そんなことは一度もしたことはなかった。いつだって、他人の言うことは、本当の寛子の思いには掠りもしない。つまらない――と、倦んでいた時に、出会ったのが一佳だった。彼女だって、時に的外れだったけれど、間違ったピントで人を決めつけるようなことは、絶対に言わなかった。
 新幹線が滑るように高速で動き出すと、不思議な解放感が寛子の胸を満たした。
 ――遠くへ行く。
 遠くへ行ける。それだけのことなのだけれど、それは、自分を息苦しくさせるものから物理的に離れられる、ということでもあるのだった。東京で転職がしたいかどうかは未だに答えの出ない問いだが、それはそれとして、自分は息がしたかったのだ――と、行動に移してようやく気付くのだった。
 電波が通じにくい地域を抜けると、気持ちが前向きになり、追加でいくつかの会社にエントリーし、日程的に参加できそうな転職セミナーにも申し込んだ。スケジュールがあらかた埋まってしまったこともあり、一佳の連絡先は、ホーム画面を眺めるだけに留めておいた。まだ、連絡は取らない。だけど、一佳のいる東京に、今から行く――。
 降り立った東京駅は、とにかく人が多かった。沢山の在来線が乗り入れていて、更に大勢の人をいずこからか運んでくる。
 駅や電車に配されたデジタルサイネージや巨大ポスターが、行き交う人々に対し、様々な商品やイベントをアピールしていた。
 TVや雑誌で見たことのある商業ビルや劇場、博物館や、ドラマのロケに使われるようなお洒落なカフェが、確かに自分と地続きの場所に実在していて、気が向いた時に目の前の電車に乗り込めば、ほんの短い移動時間や安い運賃で運んで行ってくれるのだということに気付くと、未来にタイムトリップしてしまった人のように、落ち着かない気持ちになった。
 滞在中、前もってどうしても行きたい、という目的地はなかった筈だけれど、面接の前の時間潰しや、一日の予定を消化した後に、「せっかくだから」と貧乏性に駆られて、有名な建物を踏破してみることを覚えた。
 どうやって足場を組んだのだろう、と思わされるような高層建築物群は、涼風のような感動を吹き込んでくれたし、誰もが知るランドマークも、TVや雑誌経由ではなく、確かに己の記憶に所有したのだと思えば、親しみが湧いてくるものだ。
 ……と言いながら、開業したばかりの東京スカイツリーに関しては、人の多さにめげて最寄り駅までも近付けなかったのだが、その優美な姿は浅草などからも眺めることができた。
 ひとつひとつ、本当にあるんだなぁ、と、シンプルな感慨に打たれながら、自分は現実というものからひどく遅れているのではないか、という焦りにも襲われるのが、我ながら面白かった。


 ――これがおのぼりさん、の心境ってやつ。なるほどね……。
 かっこわらい、と自嘲の笑みを浮かべながら、それでもそれなりに感動を覚えつつ、寛子は窓の外、夕映えに照らされ始めた東京駅舎を見遣る。
 最初に到着した時は駅の複雑さと人の多さに挙動不審になり、建物を眺める余裕もなかったものだ。一週間足らずで、少しはこの空気にも慣れ、短期の観光客よりは少しなじんだ心地で、駅舎を見ることができている。
 グレーの丸屋根をかぶった赤レンガのレトロ建築は美しいけれど、周囲の高層ビルディング群とはまるでマッチしていなかった。
 が、それだけに、時代を超えて残された貴重なものなのだ、という矜持を示すことに成功しているようだ。当然、今はガス灯ではないのだろうが、それを思わせるオレンジ色の明かりが、徐々に彩度を落とし始めた丸の内に、存在感を現し始めている。
 ぼんやりと頬杖をついて見惚れているうちに、ようやく待ち人が現れた。
「せんぱい。お待たせしてすみません」
 ――と言っても、彼女が待ち合わせ時間に遅刻したわけではない。
 律儀な性格は変わらないらしく、定刻通りの到着だった。
 寛子が、勝手に待ったのだ。
 ――同窓会の日から。楽しい遠足が終わってしまうのを嫌がる子どものように、再会を先延ばしにしてきた。やっと――、と思うと、自分で決めた縛りだというのに、心臓が高鳴ってしまう。