大学進学を機に縁遠くなっていた一佳(いちか)と再会したのは、中学・高校と通った私立汀野(みぎわの)大学附属中学・高校の同窓会だった。
 それは居酒屋などで開かれる個人主催のクラス同窓会ではなく、十年に一度、県下の高級ホテルの宴会場で行われる、学校主催の大規模なものだ。
 卒業年次でテーブルが割り振られ、立食パーティらしい。
 会場中に、知らない人がひしめいている上、もうすぐ三十歳というライフステージの変化著しい寛子(ひろこ)の学年は、ほとんど会話したこともない男子二人しか来ていない。
 頼みの教師も入れ替わりがあったようで、理事長挨拶の中、寛子は心もとない気分で周囲に視線をさまよわせていた。
 そこで、彼女を見つけてしまったのだった。
 ――いると思わなかった。どうしよう。
 動揺してしまった寛子をよそに、歓談の時間になると、一佳は迷いのない足取りでテーブルにやって来た。
「お久しぶりです。せんぱい」
 ほっそりとした身体に、通勤着と見まがうような飾り気のないスーツを纏わせ、生のままの黒髪を短く揃えた彼女は、学生時代と比べると随分と洗練されていたが、相変わらずのようでもあった。
 人を寄せ付けず、馴れ合いを必要とせず、当たり前のように一人で立っている。
 長年の積み重ねの成果か、今では、貫禄のようなものが備わっているようにも見えた。
「……えーと、久しぶり。一佳。元気?」
「はい、まあ、普通に」
 きれいになって、と言いそうになった寛子は、すんでのところで堪えた。
 ――正月に会った親戚のおっさんじゃあるまいし。
 しかし、大卒で社会に出て六年と少し。過労死ラインすれすれの激務や理不尽ハラスメントにすっかり擦り切れ、誰からも特別に顧みられるということなく、自分の価値を信じられずにボロ雑巾を自嘲する寛子の目には、二歳下の一佳の若さが、眩しく映った。肌荒れもないし、表情も豊かではないけれど、ハリや精彩があるように思える。
 ――こっちは、失望されてないと、いいけど……。
 ヘアサロンにも、服のバーゲンにも、デパコス売り場にも、この頃まったく足を運べていない。久しぶりに知り合いに会うかもしれない場所に出かけるにあたっても、まったく気力がわかず、三年前に買ったワンピースで来てしまった。
 俯き加減になった途端、パンプスに入った小さな擦り傷が目に入る。目をそらしたいのに、離すことができない。
 ――会うとわかっていたら、もう少しマシな恰好で来たのに。
 トリートメントが足りないパサパサの髪を片耳にかけながら、寛子は思い悩みを振り切るように、笑顔を作った。
「一佳、こういうの来るんだねー。ちょっと意外だけど、大学もこっちだったし……、就職も、地元で?」
「いえ、今日は東京から。実家がハガキを転送してきたので、顔見せがてら」
「わざわざ来たの? 大変だね! 同級生の子と約束でも?」
「いえ、あまり知っている子はいないみたいで……」
「そうだよね……こっちもそう。みんなどこで何してるんだろ」
 寛子は今、地元の実家住まいなので、ちょっと出かける、くらいのノリで来ることができたのだが、わざわざ時間もお金もかけて、一佳がこの手の催しに来るとは、昔なら考えられなかったことだと思う。
 大人になって、変わったのか。学生時代を懐かしむ里心でもついたとか――恩師に感謝を伝えたい気分にでもなったとか――色々仮定で考えてはみるけれど、元々内面の回路がわかりづらい子だ。
 変化のありようも、通り一遍ではないのかもしれない。
 一佳が友達同伴なら、そちらに注意を向けようと思ったのだが、寛子の目論見は失敗に終わりそうだった。
「へえー……そう、東京かぁ……。どの辺、住んでるの?」
 数年のブランクは、ぎくしゃくと、会話の歯車を軋ませる。
 それでも、辛抱して話を回しているうちに、
 ――そうそう、相槌はこのテンポで来るんだったな、彼女。
 ということが懐かしさとともに思い出せて、あまり時間を必要とせずに、さしさわりのない話題を振れるようになっていった。
 学生時代、寛子と一佳は、仲が良かった。一般的に言われる、「仲の良い先輩・後輩」からは逸脱するように、成り行き任せで唇も合わせたし、素肌も合わせた。
「常識」に縛られず、二人ならどこまで行けるのか、を、試すような関係だったと思う。
 大人の理性でもって人に説明するなら、「思春期の好奇心の暴走」とでも言えば良いだろうか。一言、「黒歴史」と言えば済むのかもしれない。
 それくらい、暴力的で、盲目的で、恐れを知らず、破滅的だった。
 同性同士の恋がいけないことだとは、当時、何を参照してもはっきりそこに書いてあって、「常識」だったけれど、ただ頭の固い大人に内緒にしていれば良いと、その程度の認識だった。
 問題は、女同士だからというようなことではなく、当時の自分たちの幼さだった――と、今の寛子は、思う。
 その制御されていない、思春期の自己愛まみれのコミュニケーション自体に、「若さ」だけでは許容しえない恥ずかしさと苦さがまぶされていて、思い出すと頭を抱えたくなる。
 まだ彼女と出会った時、寛子は人間十五年目やそこらのお嬢さんだったのだから、仕方ないと言えばそうなのだが、とにかく未熟に過ぎた。
 二人の関係性が、二人きりで長くいるうちに純度を高め、凝縮され、煮詰まり切って、ひとつばかりの臭みに辟易するようになった頃――大学でのサラッとした人間関係を知り、幼さと逆ベクトルの魅力に惹かれ、「早く、あちらに行かなければ」と何かに強くうながされるような心地で、気持ちを移した。
 という薄情きわまりない心の揺れを含んだ経緯を、大人の理性でもって人に説明するなら、「大学進学とともに、なんとなく自然消滅した」ということになる。
 寛子は生まれ育った地方都市を出て京都の私大に進学したので、物理的距離が、なんの愁嘆場も作らず、四年近い付き合いを断ち切ってのけた。
 あっさりと、寛子は一佳を失った。しばらくはメールや手紙のやり取りが続いたが、それがくれる刺激は実際に会って話すことに比べれば何百倍も希釈されたものだったから、いつの間にか、どちらともなく立ち消えになっていた。
 それでも、大学生・新社会人といった新しい環境で、新しく人と出会うのはそれなりに刺激的だったので、未練はないように思われた。長い間、きっと、平気だった。ただ、次第に環境に慣れ、そこでの人とのやり取りに息苦しさを覚え、倦(う)み、耐えている時、ふと、
 彼女と一緒にいた時の空気――水を、懐かしく思うのだった。
 空気が良い、水が合う、ということ。
 それはあまりに体に馴染むので、渦中にある時、恩恵をはっきり意識することはない。
 まして、それは選び競争した上で勝ち取ったわけではなく、当たり前に、親に与えられた環境として、そこにあったものだった。