6.
 これがだいたい一年前のこと。
 僕は美月の病室にいることが耐えられなくなって、またあの日の美月の長期入院が決まった日に俊明さんに話を聞かされたプレイルームに飲み物を買いに来ていた。

 自販機は業者が変わったのか、缶ではなく病院なんかによくあるタイプのカップが注がれるタイプのものに変わっていた。今日はもう三月の終わりだというのに寒い。
 僕はホットコーヒーのボタンを押した。
 カップにコーヒーが注がれるのを待つあいだ手持ち無沙汰に僕はプレイルームのソファを眺めた。僕の頭の中にあの日の記憶が黒い液体のように充たされていく。僕は俊明さんに美月の脳について聞かされたことを否応なしに思い出させられていた。

 あの日もこんなふうに雨が降っていったっけ?

 僕は記憶をさらって、思い出す。

 いいや、降ってない。
 それどころか気の早い桜がすでに開花してしまうほど暑かったはずだ。

                     ✳︎✳︎✳︎

 僕はあの日結局飲み干せなかったアイスコーヒーの缶と美月の缶を二つ持って俊明さんと美月の病室に戻った。
 美月は俊明さんと二人で戻ってきた僕を見て少し驚いた様子だったが、言葉は少なかった。僕たちの二人の表情から美月はすぐに何かを感じ取ったのだろう。
 それから俊明さんは美月にどんなふうに入院のことを話した?
 その症状のことをどんなふうに話した?
 美月はそれをどんなふうに聞いた?
 自分の脳から検出された脳波をもった人間が例外なく一年ほどで死んでいるという事実を聞かされたとき、美月はどんな顔をしていただろう?
 あまり……、あまり上手く思い出せない。
 不愉快な記憶や辛い記憶は脳が思い出すことは拒むのだろうか。
 それでもあの日感じた悲痛さはずっと消えない気がする。むしろあまりに辛いことや悲しいことは忘れることができずに残り続けるのだろうか。
 いったい僕たちは何もかも忘れてしまうのか。
 それとも何もかも忘れることができないのか。僕にはわからない。
 僕はプレイルームのベランダガラスから見える雨風に煽られる木を見る。
 あの日は美月は俊明さんの話を聞いても泣きはしなかった。
 確かにそうだ。
 でもだからこそ、あの日は美月の動揺が、恐怖が、困惑が、そして何よりも悲痛さが伝わってきたような気がした。
 何度も瞬きされた彼女の瞳に。右手で手持ち無沙汰に左手を掴んで話を聞く姿に、不安を隠すようにむしろ髪を何度もかきあげる姿に。

──でも、私のそのヘンテコな脳波が出る症例で死んだ人ってまだ世界で三人しかいないんでしょ? それじゃあ、まだなんにもわかんないでしょ。
 美月はあの日、俊明さんが説明を終えるとそんなふうに言ったはずだ。
 俊明さんは美月のその気丈な言葉を聞いて驚いたけど、それでも最終的に微笑んだ。
 きっと自分たちが暗い表情をしているのが、娘にとっていちばん辛くて耐えがたく、なによりも不安になるのだと気づいたからだろう。

──ああ、そうだ、美月のいうとおりだよ。君の症例は本当に世界でも稀なものだ。だから、前例があるとはいえ、そのとおりに病状が進むとは必ずしも言えない。もしかしたらただずっとこのまま突発的な頭痛症状が出続けるだけかもしれない。あるいはまたなんにもなかったように元通りになるかもしれない。いずれにせよ医学的に確立された他の病気ほど確かなことはまだ言えないよ。

──もう、二人ともまるで葬送行進曲の10時間無限耐久でも聴かされたあとみたいな顔で入ってきたから、びっくりしちゃった。奏なんて演奏会で頭がまっしろになって暗譜が全部飛んじゃったみたいな顔じゃん。
 自分はそのときはどんな顔をしていたのだろう。
 それだけはどれだけ記憶をさらってイメージしてみてもわかることはなかった。
 結局、美月はそのあと自宅に長期入院の支度をするためにほんの少し退院したあとにすぐに本格的な入院生活に入った。
 コンクールの出場はできなかった。元気だから、全然弾けるし問題ないと、美月は俊明さんに少しだけ抵抗したようだったが、俊明さんは頭痛が演奏中に最もよく起きることとコンクールのように非常に注目されて緊張度の高い脳に過負荷を与えるような状況はできるだけ避けてほしいと告げられて、断念したようだった。
 あるいは美月はそのときはまだどこかで自分の症状について受け入れきっていなかったのかもしれない。
 だからむしろ、三月のコンクールは諦めて、本格的に病院に入って安静にしていれば、また一ヶ月もしないうちに元に戻れると、現実を見ないように、そう願うように、祈るように思っていたのかもしれない。
 美月が症状のことをいつどこで受け入れたかは僕にはわからない。
 ひょっとしたら、まだ受け入れていないのかもしれない。
 いや、それは僕の方かもしれない。突然大きな氷河に口を開けたクレバスのような美月の未来を僕だって、どこまでいま受け入れているのだろう。
 わからない。
 受け入れるってなんだ。それは諦めることなのか? それともまた違う何かだろうか? 受け入れるって何を? それは何を? 美月がピアニストになる将来を諦める? 僕ら二人の未来を諦める? それとも命?
 わからない。
 僕は何も考えていない。何も考え尽くしていない。
 でも、もしかしたら、それは美月も同じだったのかもしれない。ひょっとしてでもなんでもなくて、きっと僕以上に。
 結局、三月が終わり、四月になっても、五月になっても、六月になっても、美月は病院から抜け出すことは許されなかった。
 そして、夏が始まる前に、美月のその症状は「進行」していると俊明さんは僕らに告げた。
 数少ない美月と同じ亡くなった三人の症例の経過と同じ身体の変化が起きていると俊明さんは言った。
──脳そのものの形態や組織、つまり器質的な異常は相変わらず見られない。それは本当に不気味なほどにね。けれど各臓器の不随意活動、それらの身体全体の能力は明らかに落ちてきている。逆に感覚機能に関してははっきりいって理解できないほど日によってバラツキが出ている。
 ただこれも確かに三例の症例と同じなんだ。突然、嗅覚が異常なまでに鋭くなったかと思えば、次の日にはほとんど何にも感じなくなっている。 
 それはやはりMRIではわからないが、脳内の神経伝達が乱れることで、各臓器を制御する自律神経系の働きが低下して、対称的に感覚機能については日によって大きな変動が起きているんだ。これは感覚器官そのものの異常ではなく、脳内での感覚情報の処理に異変が生じている可能性が高い。
 俊明さんは美月になにか感じることに変化はないか? と尋ねた。

──食べ物の味が日によって全然違ったりする。それから音も。いまならいつもと全然違う演奏ができそう。

 俊明さんはうなづいた。

──そういうことだ。ある意味では、少なくともこれは病と名付けるべきなのかも正直わからない。美月、君の大脳はいま嵐のなかで揺れ動く小舟のようなものだ。

 脳機能を詳しく調べるPET検査では、君の脳内の神経信号伝達における神経伝達物質、例えばドーパミンやセロトニンなどが、通常の何倍もの量で急激に放出されたり、逆に一切分泌されなくなったりしていることがわかった。

 その結果、脳内の情報伝達や感覚処理が混乱し、諸感覚に大きな影響を与えているんだろう。それは病という何かの衰えというよりも変化といった方が適切なのかもしれない。

 俊明さんは慎重に言葉を選びながら話しているのかもしれない。しかしそれでもはっきりと告げる。

──ただ最終的には、君の小脳のほうはそれについていけなくなる。症例をみていくと、患者は末期に向かって、大脳機能を中心とする感覚だけが異常な変化をみせていく、逆にそれに反比例するかのように小脳の生命維持活動機能が運動機能とともに減退していく。
 
 美月は俊明さんの話を聞きながら、両手を開き、そしてまた一本一本丁寧に指を閉じていく。僕はその指先をずっと見続けた。
 俊明さんは説明を続けた。

──過去の症例はいずれも君より年上の成人のものだ。未成年でこの症例は君が初めてだ。だから、症例の進行は他のケースよりも早いのかもしれない。遅いのかもしれない。それはわからない。
 やがて夏が来た。
 美月の体力は周囲にもそして本人にもはっきりわかるほど変化しているのがわかった。
 食事も明らかに以前と比べて減ってきていた。
 本人曰くどうしても食べる気になれないのだという。
 徐々に、徐々にではあるが、美月は院内を歩いていても疲れやすくなっていた。
 それでも美月は少しでも食事を摂ろうと努力をしたし、院内のリハビリステーションにも可能な日は通うようにしていた。
 そして繰り返される検査のあいだに夏はいつのまにか終わり、秋が訪れていた。
 美月の造血能力がここひと月で急激な低下を始めていた。

──過去の症例よりもおそらく進行は早い。
 俊明さんは美月のいないところで僕に悔しそうにそう言った。
 そして年が明けて冬が過ぎた。
 俊明さんは正月の明けに僕に美月のこれからのことはわからないと告げた。
 それは、最初の頃にいったような、もしかしたら回復するかもしれないという意味ではない「わからない」だと僕にはわかった。
 明日のことはわからない。きっとそういうことなんだろう。
 美月の造血能力はすでに一年前の半分ほどになっていた。
 血液の不足は、食欲の不振をさらに加速させ、そしてまたせっかく摂った栄養を効率よく身体に回さなかった。
 美月は立っていたり、歩いたりすることも困難になり、もはやリハビリステーションに通うのは中止されていた。
 僕は今一歩一歩美月の病室に戻ろうとしている。
 僕は美月の症状が進行するにつれて、病院に通う頻度を増やした。
 僕に会うことで少しでも気が紛れて、気力が維持されるのなら、少しでも美月の側にいたかった。
 でも僕はいつの頃からか、病室の扉を開けることが怖かった。
 少しづつ、少しづつ、美月の病室は音が消えていくような、静けさが降り積もっていった。
 小さいときに無響室という響きのない空間に入れられたことがあるが、そこに入ったときの緊張感と同じようなものを感じた。
 この扉を開いたら、もう音は消えてなくなるんじゃないか。
 そう、この世界から綺麗さっぱり音は無くなって、僕は無音の世界に生きることになるんじゃないか、そんな不安を感じた。

                     ✳︎✳︎✳︎

 僕は今美月の病室の扉に戻ってきた。
 中からは部屋を出る前に二人で見ていたテレビの音が相変わらず聴こえてきた。
 けれど、静かだった。
 そう、その日はとても静かだった。
 雨が止んだのだと勘違いしてしまうくらい。
 静かだった。
 とても、とても静かだった。
 静けさが耳から離れなかった。