2.
同じ中学から僕と同じ高校に入った美月は、部活こそ入部せず日々開催されるピアノコンクールのために毎日レッスンを日々続けていた。
だが、必ずしもその実情は文化系だったというわけではなかった。
美月は身体を動かせば運動も大好きなわかりやすい元気いっぱいなやつだった。美月は人望も厚くて、中学時代は帰宅部だったからよく人数の足りない運動部に頼まれてソフトボールだとかハンドボールだとかに出ていたのを覚えている。
帰宅部とはいえ、美月だって放課後にはピアノのレッスンがあったはずだったから、そんなに暇だったわけじゃないはずだが、それでも頼まれると断れない人の良さというかお人好しで時間をとって美月は運動部のそんな頼みをきいていた。
僕は美月とは正反対の人間で人のなかにいるのが苦手なタイプ。べつにどこかのタイミングでイジメに遭ったとか無視されたとかそんな経験はないのだが、自然と振る舞っていると人の輪の外側に立っているようなタイプだった。
対して美月はほっといてもいつのまにか人の中心にいるような人間だった。
特技はピアノで、スポーツは得意。まあ流石に漫画のキャラクラーじゃないから、そのうえ勉強も得意で生徒会長とまではいかなかったが、それでも穏やかで天然なくせに、筋が通っていて芯の強い流されない性格は教師からの信頼も厚くていつも人を惹きつけた。
美月とその周りにできている人の輪を見ていると、結局人を惹きつけるのは見た目や必ずしも優秀であるかではなくて、屈託のない純真さのようなものなのだなと思った。
でも僕が美月にそういう屈託のなさを感じていたのは、同じピアニストとしてのプレイというかやはりその演奏の響きだった。
僕はもう長いことコンクールや演奏会に出たりといった本格的な活動はやっておらずほとんどただの一般人状態だったとはいえ、美月の演奏を聴くたびに僕と美月は全く違うプレイヤーであることを感じさせられた。
ある意味では美月の演奏はとてもわかりやすくてシンプルだ。
その響きはまっすぐでどこまでいっても清潔なものだった。
起伏がわかりやすく情熱的で、何よりもそれは他人を喜ばせたり、ときに切なくさせたり、人を楽しませることこそが美月のピアノの本質だ。
それは美月の人間性と一直線につながっている。
美月は何よりも人がリラックスしたり笑顔を見せているのが好きだし、それが一番嬉しい人間なのだ。
美月の演奏は観客に媚をうっているというわけでは決してなく、興味深いことにそれが彼女の本質なのだ。
複雑な理論の楽理や必ずしも超絶な技巧というわけではなく、真っ直ぐに自分自身と向き合って演奏することが一番人の心に直接訴えかける演奏になる。
ある意味王道で最も強いタイプの演奏家だった。
一度、僕は美月に演奏中にどんなことを考えているか尋ねたことがある。
美月は、僕の質問に、──考えているというか、大事にしていることは……、と前置きをして、それは「記憶」だと答えたことがある。
曲には必ず、それを作曲した人の記憶が描き込まれている。自分はその作曲者ではないから、その記憶の感情を完全に感じることはできないし、その記憶の風景を見ることもできない。けれども、やっぱり演奏をしていると演奏者として誰よりも伝わってくるものはある。というか、私は何よりもそれを感じ取りたいし受け取りたいって思う、美月は僕の質問にそう答えた。
──うまく弾くよりも?
──奏もわかってるくせに。
美月はそのときそんなふうに笑っていた。
──本番で演奏しているときは、ここをうまく弾いてやろうとかそんなことを考えてる余裕なんてないじゃん。どっちかっていうとほんとに音楽に身体が持っていかれるというか、もう目の前で起きてることに身を任せるしかないじゃん。指先も、気持ちも、自分の意識も、弾いてるときは自分では究極どうしようもないよ、ただ曲から溢れ出してくる記憶を自分の人生で感じた瞬間の記憶に重ねて思い出して精一杯感じる。
美月は眼は閉じて、口元を少し微笑ませた。いつもの演奏をするときの緊張とある種の悦びが混じったような表情だった。
──そうしたら、どういうわけかはわからないけど会場というか、音が自然と大きくなっていくような、音の届く範囲が広がるというか、音が聴こえる限りその響きが自分になってるって感じがするよ。
これはもしかしたらピアノに限らないかもしれないけど、表現者というのはいつだって自分を曝け出した者がなんだかんだで一番強い、もちろんそれにしたってある程度の理論や技術はどこまでもついて回るけど、人の心を掴む演奏がしたければ最終的に一番大事な力はそういうものなんだ。そういって憚らない者がピアニストのなかにはしばしばいる。
もしかしたら、美月の言ってることはそれと関係があるのかもしれなかった。
僕と美月の出会ったのは中学の二年からだったけど、美月の演奏はある意味出会ったときから今日まで変わらない。
もちろん美月は才能だけじゃなくて、毎日ニコニコ笑いながらとんでもなく練習をしていたから、出会ったときと比べて技術や技巧は当時とは全然違う。
けれども、彼女のなかの演奏の本質、その芯の強さ、そしてある意味頑固さはずっと変わらなかった。
同じ中学から僕と同じ高校に入った美月は、部活こそ入部せず日々開催されるピアノコンクールのために毎日レッスンを日々続けていた。
だが、必ずしもその実情は文化系だったというわけではなかった。
美月は身体を動かせば運動も大好きなわかりやすい元気いっぱいなやつだった。美月は人望も厚くて、中学時代は帰宅部だったからよく人数の足りない運動部に頼まれてソフトボールだとかハンドボールだとかに出ていたのを覚えている。
帰宅部とはいえ、美月だって放課後にはピアノのレッスンがあったはずだったから、そんなに暇だったわけじゃないはずだが、それでも頼まれると断れない人の良さというかお人好しで時間をとって美月は運動部のそんな頼みをきいていた。
僕は美月とは正反対の人間で人のなかにいるのが苦手なタイプ。べつにどこかのタイミングでイジメに遭ったとか無視されたとかそんな経験はないのだが、自然と振る舞っていると人の輪の外側に立っているようなタイプだった。
対して美月はほっといてもいつのまにか人の中心にいるような人間だった。
特技はピアノで、スポーツは得意。まあ流石に漫画のキャラクラーじゃないから、そのうえ勉強も得意で生徒会長とまではいかなかったが、それでも穏やかで天然なくせに、筋が通っていて芯の強い流されない性格は教師からの信頼も厚くていつも人を惹きつけた。
美月とその周りにできている人の輪を見ていると、結局人を惹きつけるのは見た目や必ずしも優秀であるかではなくて、屈託のない純真さのようなものなのだなと思った。
でも僕が美月にそういう屈託のなさを感じていたのは、同じピアニストとしてのプレイというかやはりその演奏の響きだった。
僕はもう長いことコンクールや演奏会に出たりといった本格的な活動はやっておらずほとんどただの一般人状態だったとはいえ、美月の演奏を聴くたびに僕と美月は全く違うプレイヤーであることを感じさせられた。
ある意味では美月の演奏はとてもわかりやすくてシンプルだ。
その響きはまっすぐでどこまでいっても清潔なものだった。
起伏がわかりやすく情熱的で、何よりもそれは他人を喜ばせたり、ときに切なくさせたり、人を楽しませることこそが美月のピアノの本質だ。
それは美月の人間性と一直線につながっている。
美月は何よりも人がリラックスしたり笑顔を見せているのが好きだし、それが一番嬉しい人間なのだ。
美月の演奏は観客に媚をうっているというわけでは決してなく、興味深いことにそれが彼女の本質なのだ。
複雑な理論の楽理や必ずしも超絶な技巧というわけではなく、真っ直ぐに自分自身と向き合って演奏することが一番人の心に直接訴えかける演奏になる。
ある意味王道で最も強いタイプの演奏家だった。
一度、僕は美月に演奏中にどんなことを考えているか尋ねたことがある。
美月は、僕の質問に、──考えているというか、大事にしていることは……、と前置きをして、それは「記憶」だと答えたことがある。
曲には必ず、それを作曲した人の記憶が描き込まれている。自分はその作曲者ではないから、その記憶の感情を完全に感じることはできないし、その記憶の風景を見ることもできない。けれども、やっぱり演奏をしていると演奏者として誰よりも伝わってくるものはある。というか、私は何よりもそれを感じ取りたいし受け取りたいって思う、美月は僕の質問にそう答えた。
──うまく弾くよりも?
──奏もわかってるくせに。
美月はそのときそんなふうに笑っていた。
──本番で演奏しているときは、ここをうまく弾いてやろうとかそんなことを考えてる余裕なんてないじゃん。どっちかっていうとほんとに音楽に身体が持っていかれるというか、もう目の前で起きてることに身を任せるしかないじゃん。指先も、気持ちも、自分の意識も、弾いてるときは自分では究極どうしようもないよ、ただ曲から溢れ出してくる記憶を自分の人生で感じた瞬間の記憶に重ねて思い出して精一杯感じる。
美月は眼は閉じて、口元を少し微笑ませた。いつもの演奏をするときの緊張とある種の悦びが混じったような表情だった。
──そうしたら、どういうわけかはわからないけど会場というか、音が自然と大きくなっていくような、音の届く範囲が広がるというか、音が聴こえる限りその響きが自分になってるって感じがするよ。
これはもしかしたらピアノに限らないかもしれないけど、表現者というのはいつだって自分を曝け出した者がなんだかんだで一番強い、もちろんそれにしたってある程度の理論や技術はどこまでもついて回るけど、人の心を掴む演奏がしたければ最終的に一番大事な力はそういうものなんだ。そういって憚らない者がピアニストのなかにはしばしばいる。
もしかしたら、美月の言ってることはそれと関係があるのかもしれなかった。
僕と美月の出会ったのは中学の二年からだったけど、美月の演奏はある意味出会ったときから今日まで変わらない。
もちろん美月は才能だけじゃなくて、毎日ニコニコ笑いながらとんでもなく練習をしていたから、出会ったときと比べて技術や技巧は当時とは全然違う。
けれども、彼女のなかの演奏の本質、その芯の強さ、そしてある意味頑固さはずっと変わらなかった。