・【22 事件11.彼氏はいない・事件編】


 毎週末、俺と佐藤さんは海浜公園のテーブルで鑑賞会を開く。
 今日は池橋栄子の最新作という、一番過激なヤツを見ることにした。
 それもまだ俺も見ていない、新作中の新作。
 佐藤さんから、
『鑑賞会楽しみにしろし。これ命令だし』
 という久々のしっかりとした奴隷関係を持ち出されて、そうなることになった。
 まあ鑑賞会も奴隷関係のアレなんだけどさ。
 というわけでまあ、俺と佐藤さんはテーブルに並んで座って、二人でイヤホンを片方ずつして、鑑賞会を開始したわけだけども、即座に佐藤さんも俺も気付いた。
「全然過激じゃなくね?」
 そう、こういうことはたまにある。
 主にその主演グラビアアイドルがテレビに出始めて有名になってくると、過激度が抑えられてしまう現象が起きる。
 そのグラビアアイドルにとっては決して悪いことではないけども、俺からしたら正直拍子抜け……否、実は嬉しかったりもする。
 ここまで池橋栄子が認められてきた証拠だから。
 でも佐藤さんは明らかにつまらなそうな顔をして、映像も正直あんまりちゃんと見ていない。
 佐藤さんの顔が動いて、イヤホンが外れそうになったその時だった。
 ビン! と俺のイヤホンが外れて、その摩擦が一瞬気持ち良かったなと思っていると、佐藤さんがデカい声を上げた。
「池橋栄子だしぃぃいいいいいいいいいいいいい!」
 佐藤さんが指差すほうを見ると、なんと池橋栄子が本当に歩いていて、
「はぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」
 とハッキリ声が出てしまった。
 すると目の前を歩いている本物の池橋栄子がこちらを見て、
「もしかするとファン。しかもカップルで。嬉しいなぁ、本当に私売れてきたんだぁ」
 とあの可愛い声で言ってきて、うぉぉおおおおおおおおおと思っていると、池橋栄子の顔が徐々に引きつってきて、
「嘘……益岡邦弘くん……?」
 と言った瞬間、俺よりも佐藤さんが先に、
「ホントに知り合いなん! その幼馴染の子だったん!」
 と叫ぶと、池橋栄子は少し切なそうな瞳で、
「益岡、邦弘くん、だよね? 彼女さんに私の話をしてくれたんだねっ」
 俺はもう頭が真っ白になって、固まっていると、佐藤さんが、
「何黙ってんの! めっちゃ好きなんだから喋るし!」
 と俺の背中をバンバン叩いてきた。
 でも、でも、いや、本当に、と思っていると、池橋栄子が喋り出した。
「今日撮影で。昔いたところのビーチで、みたいな感じで」
 まさに売れてきたグラビアアイドルの案件っぽくって、俺は徐々にじーんと心が温まってきた。
 すると佐藤さんが、
「益岡ってすごいっすよ! この辺の事件というか謎解きをゾクゾク解決して! 勿論あーしもバディっすけどね!」
 池橋栄子は優しく微笑みながら、
「やっぱり益岡くんってすごいんだね、優しいというか……そうだ、益岡くん、せっかくだし、LINE交換しようかっ、ちょっとしたい相談もあるし」
 と言った刹那、隣にいたマネージャーっぽい人が怪訝な顔をしたんだけども、池橋栄子は柔らかい顔で、
「だって益岡くんは私の初恋の人だから」
 と言い出して、
「えっ?」
 と生返事をしてしまうと(とはいえ、やっと声が出ると)、
「益岡くん、私は益岡くんのこと好きだよ」
 と言った刹那、佐藤さんとマネージャーは目を皿にして驚き、佐藤さんが即座に、
「でも! 益岡! 今! 池橋栄子でオナニーしまっくてるし!」
 と叫んで、何でそんな余計なことを言うんだぁあああと声にならない叫びを喉奥からカァーッと上げてしまうと、池橋栄子が吹き出すように笑ってから、
「そういう動画を発売しているわけだから、むしろそれが本望だよっ、というか私のこと見つけてくれて有難うね、なおさら益岡くんに相談したくなったよ。はい、スマホ出して」
 俺は言われるがまま、その場でLINEを交換して、池橋栄子と一旦別れた。
 ヤバイ、夢のような時間だ、と思っていると、佐藤さんは顔を真っ赤にして、
「帰るし! 気分悪いし!」
 と言ってその場を去ってしまった。
 顔も赤くなっていたし、風邪を元々ひいていたのだろうか。いやそんなことより、池橋栄子だ。
 俺は急いで自分の部屋へ帰って、池橋栄子とのLINE画面をマジで全裸待機していた。
 フル勃起だった。でも今オナニーすると、またオナニー日記を送らないといけなくなり、興が削がれるので、ずっと池橋栄子のLINEを待った。
 二時間後くらいだろうか、池橋栄子からLINEがきた。
『益岡くん 久しぶりだね』
 そんな他愛も無い挨拶から、その相談というモノの内容が届いた。
『私、彼氏がいないことを証明したいのに、ファンからは彼氏がいるみたいに言われて嫌なんだ 私に彼氏がいない証明をしてほしい』
 なかなか難しい謎解きというかなんというか。
 一応俺は、
『分かった』
 と答えて、まずは佐藤さんに相談することにした。
 いないことの証明というのは今までの謎解きとは違うので、どう考えればいいかあんまり分からないので、女性目線でのアイディアも聞きたかった。
 でも佐藤さんからは既読はつくけども、返信は無くて、何だろうとは思った。
 いつも既読さえつけば、すぐさまLINEが届いたのに。
 それだけ佐藤さんは調子が悪いのかもしれない。まあ無理されても困るので、俺は一人で考えることにした。
 まずは池橋栄子のインスタやエックスを改めて確認して、どういうところを注意すればいいか考えた。
 王道としては疑われるような行動をしないことだなぁ、そんなことを考えながら。
 写真を眺める。
 ベッドの上で目いっぱい大の字になって寝そべっている池橋栄子、同じグラスをテーブルの上に並べて座っている池橋栄子、大きめのハートのクッションを抱いている池橋栄子、鏡の前で撮っている池橋栄子の写真には形の違う歯ブラシが二本コップに置かれている、ペットと思われるダックスフントを抱いている池橋栄子。
 どれも可愛い。
 その日の夜、明日の学校に備えて教科書をカバンに入れていたその時だった。
 LINEの通知音が聞こえたので、池橋栄子かな! と胸を弾ませていると、佐藤さんで、まあそうかと思いつつも、佐藤さんも元気になったのかなと思っていると、そのLINEは何かのURLだけで、どうやらはてなダイアリーっぽい。
 何か面白いはてな匿名ダイアリーでも見つけたのかなと思いつつ、そのURLをクリックすると、思った通り、はてな匿名ダイアリーなんだけども、その内容に絶句してしまった。
 何故なら俺が佐藤さんに今まで送ったオナニー日記の文がコピペされていたからだ。
 どう考えても佐藤さんが流出させたものだと分かった。
『ちょっと! はてな匿名ダイアリーに掲載されてる! 佐藤さん!』
 と俺がLINEをしても、既読すらつかず。
 というか待て、これって消すことできないんだよなぁ、特に部外者なんて。
 はてな匿名ダイアリーって確か、誰が書いたか分からない匿名のブログで……って、そんな反芻どうでもいい! ちょっと! ちょっと!
「ちょっとぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 とリアルに叫んでしまったところで、池橋栄子から通知がきた。
『益岡邦弘のオナニー日記ってどういうこと? はてな匿名ダイアリーに載ってるけども 自分で書いたの?』
 そう、そのはてな匿名ダイアリーには”益岡邦弘のオナニー日記”としっかり書かれていて。
 何が何だかと思いつつ、池橋栄子のエックスを見ると、そのURLが張られたリプがあって。
 タイミングがタイミングだし、これはただの嘘です、とも言えない状況。
 でもまずは、
『俺がやったわけじゃないです!』
『じゃああの彼女が?』
『あれは彼女じゃなくて友達で! でも! 何か! もう分かんないです!』
 と分かんないとシラを切ることにした。
 すると、ちょっとした間があってから、池橋栄子から、
『じゃあ嘘ということね さすがにこんなことを記録していたらちょっと怖かったよ』
 と返信がきて、あっ、あ、あぁぁあああああああああああ……とその場に膝から崩れ落ちてしまった。もう座っていたのに。座っていたのに膝から崩れ落ちたというか、脳内の膝が粉々に割れたような感覚がした。何でこんなこと、佐藤さん……と思った刹那、俺は学校のエックスを確認すると、案の定、そのURLを張ったリプがされていて、うわぁぁああああああああああああああ! と思ってしまった。もう語彙消失、終わりだ、終わり……まさかこんなことが起きるなんて……佐藤さん、どうして急にこんなことを……でもそうか、そういう関係だったんだ、いつでも簡単に破綻するような関係だったんだ、仕方ない、もう俺はこれからオナニー人間として一生バカにされるんだ。
 でも高校には行かないといけない。
 俺のような人間は良い大学に行くしかないんだから。
 次の日、学校へ行くと、思ったよりひかれている様子は無かった。ディープフェイクの時のような明らかな嫌悪感というものを持っている人はあまりいない。
 感覚から言わせてもらうと、どうやら信じていないって感じだった。
 そりゃそうだ、池橋栄子と直接会った当日ということを知らなければ臨場感が無い。
 ただ、ただ、だ……。
 席に着いた状態で突然振り返って、本当の様子はどうだと確認した時だった。
 伊織さんが不快そうな表情でこっちを見ていたと思ったら、すぐさま顔を俯いて。
 そうだ、伊織さんは俺がオナニー日記をつけていることを佐藤さんが言ったことがあったので、あれは本物だと分かったみたいだ。
 何この近しい人物にだけピンポイントできく爆弾。
 俺もうダメかもしんない……立ち直れないかもしれない、と思っていると、LINEの通知が鳴り、見てみると朝日会長だった。
『悩み事があったら聞くよ。』
 そのタイミングから完全にあのことだと思って、俺は指が震えた。
 もし朝日会長から絶望されていたら、もう本当に自死を選ぶかもしれないというテンションになっているからだ。
 でも、この、悩み事があったら聞くよ、という優しい文面を信じて、俺は思い切って周りを確認しつつ吐露することにした。
『正直キツイです。どうすればいいのか。俺は全然分からないんです』
 すると朝日会長からこう返ってきた。
『僕にとっては実際嘘なのか何かが流出したのかどっちでも良くて。男子なんだからオナニーは間違いなくするし(僕もするし)だからこそ変な説得力もあるんだろうけども、きっと男子は別になんとも思わないんじゃないのかな。まあ嘘の場合どっちにしろなんて言う僕のこと腹立たしく思うと思うけども、とにかく本当にどっちでもいいんだ。どっちにしろ僕は益岡くんの友達だよ。』
 ヤバイ、涙が出そうだ……ここで泣いたら、周りにどう思われるか、いや別に変な受け取り方されないかもしれないけども、さすがに泣くわけにはいかないので、俺はなんとか堪えた。
 有難う、朝日会長、貴方のおかげで俺はこれからも生きていける感じがする。
 そっか、俺の周り、女子が多かったからあれだけども、男子は気にしないわけか。
 そうだよな、じゃあそうだよな、今後もっと男子の友達作っていこうかなと思ったその時だった。
「おい益岡! オナニー日記ってホントっ?」
 って全然喋ったことない一軍の男子が俺に雑にデカい声で話し掛けてくると、クラスメイトたちが爆笑した。
 俺は、
「違うよ……」
 と言うしかなくて、小声で、つい自信なさげに答えてしまうと、
「何かリアクション、マジっぽくね!」
 と吹き出されてしまい、周りの女子からは「ヤだー」とか言われて、何なんだよ、やっぱり男子も味方じゃねぇわ、朝日会長がたまたま良い人なだけだ、と思って、俺はその場に突っ伏した。
 すると、
「益岡同じヤツでオナニーしすぎだしぃっ!」
 という一軍男子のゲラゲラという笑い声と、一軍女子の「キモー」という声。
 もう何なんだよ、何でネットの文章をあんなに信じるんだよ、いや本当のことなんだけどもさ。
 何かリアリティがあるということなのか? もう訳が分からない。何で、何で、佐藤さん……!
 ホームルームが始まったところで井原先生が開口一番に、
「ネットの文章とか鵜呑みにするヤツはカスだから! 死ね!」
 とハッキリ高校の教師が”死ね”と言って、何かすごかった。
 まあ誰が鵜呑みにしているかどうか分からない状況だからこその先制攻撃って感じで、判断力がすごいと思った。
 実際そのおかげで、俺のことをイジるヤツはクラスメイトからはいなくなった。
 ただ廊下を歩くと、どこか笑われているような気がして、正直気をしっかり持っていないとそのまま潰れそうだ。
 俺は誰からも何も言われない、授業だけが拠り所になって、授業&授業の時間を噛みしめていた。
 放課後になり、逃げるように高校から飛び出した。
 佐藤さんとは目も合わない。向こうも避けているようだった。
 俺は池橋栄子が投稿した写真を眺める生活。
 さて、彼氏がいない証明か、俺に色恋沙汰は無理だなぁ、と思いつつも、俺の色恋沙汰の教科書を見ることにした。そう、池橋栄子の動画だ。
 池橋栄子がベッドの上でコロコロと転がっているシーン。
 時折ベッドで揺れて、胸を揺らしている。
 でもシコる気は一切沸いてこず、ただこの時女性はどう思っているだろうと考えるだけだった。あとは男性の気持ちを改めて自分に入れてみたり。
 その時にあれ? と思って、もう一度池橋栄子の写真を見ることにした。