・【13 事件6.俺のDV】


 いつも通り高校へ登校して、教室に入った時、違和感を抱いた。
 何だか周りからヒかれたような感覚。
 その時に思った。
 あっ、バラまかれた、って。
 いやでも一体何故。
 昨日も普通にオナニー日記のLINE送って、何かちょっと盛り上がったし、何もおかしなところは……そもそもオナニー日記がキモイ? でもそれは佐藤さんのお望みで。奴隷だからそのお望み通りの行動をするしかなくて。だからってもしかしたら、俺も結構楽しんでいるということがバレたからか? そういうのは違うってヤツか? 何はともあれ終わった。俺の人生終わった。普通に停学だと思うし、うわぁ、もう何かインポになるかもしんない。ショックで。こんなに毎日オナニーしていたのに、って、こんな時でも俺が考えることってオナニーばかりなのか。もう既に終わっていたんだな、俺の人生って人として……。
 自主勉もする気が起きなくて、そのまま机に突っ伏していると、佐藤さんのデカい声が廊下から聞こえてきた。
「違うし! そんなんじゃないし! 普通の友達だし!」
 何か否定しているようだが、俺にはもう何も関係の無いこと、人生は俺と無関係なのだ。
 佐藤さんが教室に入ってきたのだろう。一段とデカい声が聞こえてきた。
「ほら! あーしと益岡はめっちゃ仲良しなだけ! 謎解き好きということが分かって意気投合しただけだしぃ!」
 そう言うと、俺は温かい何かに包まれたような感覚がして、しかも柑橘系のめっちゃ良い香りって、これ! と思って顔を上げると、俺の顔の近くに佐藤さんの顔があって、目を丸くしていると、
「なんならあーしからキスしちゃかもっ、ねっ」
 と甘い顔をしてきて、何が何だか分からず、俺はグイッと佐藤さんを押し返すと、
「ほら! むしろあーしが攻めてる側だし! 益岡があーしにDVなんてするはずないし!」
 ……はっ?
 俺は正直理解ができず、こんがらがっていると、佐藤さんが、
「あっ! やっぱ益岡のギャグとかじゃないんだ! というとそっくりさんだし!」
 もう何が何やらと思っていると、佐藤さんがスマホを取り出して、
「ほら! 今益岡のそっくりさんがあーしにDVしていることを語っている音声があって! 全然あーしにDVしてないし! ねぇえ!」
 その音声を聞くと確かに俺の声だけども、どこかイントネーションがおかしいところがあって。
 というか、
「これ、ディープフェイクじゃん」
「えっ! エロ動画とかのアレのことっ?」
「ディープフェイクはエロ動画専用機じゃないわ。とにかくこれはディープフェイクだから気にしないでほしい」
 すると教室中も安堵した空気が流れたんだけども、同時に俺は段々怖くなってきた。
 俺、誰かからこんな恨み買っているということ……? ちょっと待て、そんな悪いことしていないというか、えっ、そんな悪目立ちしていた? 俺、ちょ、と思ったところで、
「ちょっと益岡! 誤解が解けたのにそんな顔すんなし! 急にどしたん!」
「あ、佐藤さん……顔に出てた?」
「めっちゃ出てたし!」
 そっか、と思いつつも、結構無表情の演技は得意なつもりだったけども、佐藤さんには見破られるんだ、とは思った。
 まあいいか、いや良くない、全然良くない、何でこんなものが作られてしまうんだ、マジでちょっとキツイというか、人間関係やっぱり怖過ぎる……もしかするとこうやって普通に同じ教室にいるけども、この中に犯人がいるのかもしれない。うわっ、そんなこと考えたらもう立ち直れないかもしれない。うわぁ、嫌だ、こんなことが浮かぶ人生嫌過ぎる。
「だから益岡ぁ!」
 そう言って(多分)また抱きついてきた佐藤さん。
「分かってる、大丈夫だから」
「あっ! この抱きつきも無論やらされているわけじゃないから! あーしがしたくて抱きついているんだし!」
 それはそれで何か問題では? と思ったら、少しわらけてきて、吹きだしてしまうと、
「やっと笑った! やっぱ益岡は笑ってるほうがいいし!」
 と満面の笑みで言われると、何かこう、自己肯定感が上がって、この時はそれで大丈夫……だったんだけども、やっぱり授業始まってから怖さがぶり返してきて。
 でもまあ、こんなことしてきそうな犯人は知っている、あのフラフープの時の連中はずっとスマホで録画していたらしいし、素材を持っていてもおかしくない。
 とはいえ、それだけの素材だけでこんな音声作れるのか、それともそのあとも俺と佐藤さんはあの公園のテーブルで毎週末鑑賞会していたから、その時に隠れて何かしていたのか。
 うぅぅうう、疑心暗鬼というか、これはもう正当で正統なヤツだ、仕方ない、いくら鬱っても仕方ない。
 さらに事件が昼休みに起きた。
 佐藤さんの怒号が飛び交った。
「だからぁ! これもディープフェイクだしぃ! 多分そう! というか絶対そう! 益岡こんなこと言わないし!」
 今度は俺が真っ直ぐカメラを見ながら喋る動画が公開されていた。
 どう見ても俺だが、やっぱり画像がどこかチラつくところがあって、
「ほら、俺のメガネの柄がたまに細くなったりするし、口元も曖昧でしょ。ディープフェイクの映像はまだ人間の喋っている口が曖昧なんだ」
 と俺が説明する事態になり、なんとか佐藤さんが近くにいてくれるから、まともに喋れているが、これが俺一人だったら、とゾッとした。
 佐藤さんは俺の気質を知っているので、今日はずっと一緒にいてくれた。
 それどころか、何か友達感というかラブラブ感を演出して、より仲良しさをアピールしてくれた。
 正直ちょっと恥ずかしいところもあるけども、優しさでやってくれていることは分かったので、俺もそれを受け入れた。
 でも頭の固い先生方は俺(と佐藤さん)を職員室に呼び出して、叱責した。
 ディープフェイクと説明してもあんまり分かってくれず、どうすればいいんだと思った時に井原先生が中に入ってきてくれて、
「私の担当なんで私が叱っておきます!」
 と敬礼のようなポーズをしてから、俺と佐藤さんを空き教室に連れて行き、
「ディープフェイクに決まってるだろ! 唇の動きがさぁ! 何であんなことも分からず教師やってるんだよ! アイツ、法律に置き去りにされるぜ!」
 と俺と佐藤さん以上にキレていた。
 先生方の中にもディープフェイクが分からない人がいるわけで。
結局騒動は収まらず、六限目は全校集会になった。まさかこんな悪目立ちするなんて。
 きっとディープフェイクだと先生が壇上で言ったとしても『いやでも』とか言い出すヤツはいるだろうな、と思うと、もう気が重い。
 全校集会なので体育館に全校生徒が集まって、今日は校長先生がたまたま休みだったらしく、教頭先生が壇上で喋り出した。
「えー、お日柄も良いこんな日に、まさかこんな話をするとは思いませんでした」
 もう嫌なスタートだし、何か文章もおかしいし、いろんな意味で舐めてんのかと思っていたが、まあここから俺とは明言しないけども俺に対して罵詈雑言って感じで、
「まあ一部の生徒がざわつかせていますが、わたくしとしましては疑われるような行動をするヤツも悪い、と思っている所存で」
 何でそんなことを言われないといけないんだ。というか何で聴衆をそっちのほうへ持っていきたいんだ。学校の権力者がそう言ったら全部そっちに流れるだろ。まるで俺のような人間は排除されたほうがいいというような言いっぷり。何で、何で、俺の人生はこうなってしまうんだ。もう退学してずっと家でオナニーしているだけのほうがいいのかもしれない。
「やっぱりそれ相応の理由があったのではないかと勘繰ってしまうところもあってしまうものでしてね」
 何だよ、俺のせいかよ、イジメられる人間はイジメられる理由があるみたいなこと言われて、はいそうですか、なんて納得できるかよ、でも、そういうことを言っているんだもんな。
「まあ今は厳重注意で留めますが、なんといいますか、学生という身分、余計なことをするな、と、言いたいわけですね、貴方たちの将来を担っている者としましてはね」
 と言ったところで、まだ教頭先生がべらべら喋っているのに、挙手しながら立ち上がった生徒が、
「すみません。もう我慢ならないです。そんなクソみたいな話、やめて下がってください」
 鬼気迫る声でそう言いながら、差されてもいないのに、そのまま壇上に上がって、怯んでいる教頭先生の肩をグイッと掴んで、無理やり壇上から引き剥がそうとした。
 その生徒は、
「どうも。生徒会長の朝日誠です。ちょっと教頭先生の言い分が耳に入ってこないので、僕から言わせて頂きます」
 拍手喝采を巻き起こった会場。教頭先生はすごすごと下がっていったところを見届けてから、朝日会長がマイクに向かって喋り出した。
「まず、あの音声も動画もディープフェイクです。今の技術では唇が言葉と合っていません。急造な動画ならなおさらです。間違わないようにしてください」
 真剣な面持ちと強い語気で、そう言い放った朝日会長は続ける。
「そもそも……動画の彼も、内容で語られていた女子生徒も、この高校のために探偵業を行ない、たくさんの謎を解いてきた功労者です。これは逆恨みの犯行以外、考えられません。それなのに疑われるような行動をするヤツが悪い? 何を言っているんですか、言語道断です。より良い生活に変えたくて頑張ってる二人を壇上から叩くなんてもってのほかです。僕は彼と彼女の素晴らしさを知っています。正直歳の差はありますが、友人だと思っております。友人の悪口を言われて黙ってられるほど僕は大人じゃない!」
 そう言って拳を強く掲げた朝日会長に最初の拍手喝采以上の万雷の拍手が巻き起こった。
 演説だ、なんて他人事みたいに思ってしまった。
 でも、これって、俺と佐藤さんに対して、言ってくれているんだよなぁ。
 目頭が熱くなるってよく言うけども、そんなエモい感じじゃなくて、普通に目尻が潤ってきて、まばたきをしたら涙がこぼれそうだった。
「僕はあの二人を全面的に支持します! こんなこと言いたくないですが! 教頭先生! 貴方のお気に入りの先生が起こした不祥事をバラされて、それこそ逆恨みしているんじゃないんですか!」
 すると即座に教頭先生がデカい声で、
「椎名先生は関係無い!」
 と叫んで、周りから失笑が漏れた。
「僕が言いたいことはそれだけです。とにかくこれ以上僕の友人を穢すようなことを言うのでしたら、いくらでも喧嘩しましょう」
 そう頭を下げ、簡潔に述べて、壇上を後にした。
 これが、きっと、感激というヤツなんだなぁ、と思った。
 俺とちょっと座る場所が離れている佐藤さんのほうをチラリと見ると、佐藤さんは耳まで真っ赤にして突っ伏していた。
 全校集会は何かそのあとすぐに終わって、教室に戻された。
 教室で井原先生がこう言った。
「まあなんだ、教頭はクソなんで、椎名と不倫関係にあったことはみんな秘密にしておくように、いっけね、ついに言っちゃったぜ」
 とだけ言って何かすっごい盛り上がり、まだ井原先生がいるのに目の前でスマホをイジリ出した生徒には何も言わず……否、
「拡散、したくなるかもなぁ」
 とポツリと呟くだけで止めることもしなかった。
 それ以降、俺と佐藤さんが何かを言われることはなくなり、その代わり教頭先生と椎名先生が場に揃うと、変な口笛が鳴るようになった。
 それと一つ。
 放課後、朝日会長が俺と佐藤さんの元へやって来た。
 ただもう佐藤さんは友達とどこかへ行ったので、俺一人だ。
 なんとなく朝日会長が来るかもしれないと思っていて、俺は待っていたのだ。
「んっ、何か勝手に友人宣言しちゃってゴメンね、迷惑だった?」
 俺は即座に、
「全然! 有難うございました!」
 と頭を下げると、
「硬い硬い、もっと楽に行こうよ、だって友人なんだからさっ」
「そ、そうですよねっ」
 と精一杯の笑顔を作ったつもりだったけども、
「う~ん、さすがに佐藤さんのようにはいかないなぁ、でもゆっくり仲を深めたいと僕は思っている。益岡くんはどうかな?」
「そんな、えっと、俺なんかと友人なんて、本当に、というか、朝日会長のほうこそ大丈夫ですか?」
「別に。というか何もおかしなところないじゃない、益岡くんはさ」
 ……学校でオナニーしたことあります、とも言えず、俺はハハッと乾いた笑いをしてしまった。
 朝日会長が少し外のほうを見ながら、こう言った。
「友人って別に同い年じゃなくてもいいと思うんだ。尊敬し合えれば、ねっ。僕は益岡くんのこと、すごく尊敬しているよ」
「そんな! 滅相も無い!」
「こんなこと、今言うことじゃないかもしれないけども、佐藤さんいなくても会話してくれてるね、有難うっ」
「……何か、喋ることは、できます……」
「良かった。それは意識的でも無意識でも心を開いてくれている証拠だ。こんなに嬉しいことはないよ」
「そんな、何か、申し訳無いです……もしかしたら、朝日会長も逆恨みの範囲に入るかもしれませんよ……」
 と言いづらいけども、言わなきゃと思って、そう言うと、
「ハハハッ、元々逆恨みされてるー。ファンクラブ持ってる男子は憎まれる運命さっ」
 と爽やかに笑った朝日会長。
 そっか、そりゃそうだ、俺も陰キャをこじらせていたら、朝日会長のこと逆恨みしたかもなぁ、なんて、ちょっと思ってしまった。
 朝日会長は少しイタズラっぽい笑顔で、
「まっ、逆恨みされる同士、仲良く行こうよ。味方は多いほうがやりやすいからねっ」
「そうですね」
 と言いつつ、つい吹き出して笑ってしまった。逆恨みされる同士なんて日本語、本来存在しないから。
「やっと笑ってくれた。」
 そう言って満面の笑みを向けられたら、何かもう恋に落ちそうだった。
 ここに佐藤さんがいたら、朝日会長に恋したかもしれない。
 いなくて良かった。
 そこから俺と朝日会長は軽く雑談した。
 俺が最近好きなモノの話、朝日会長はドローンにハマっていて時間があると飛ばしているみたいな話をしていた。
 その後、バイバイして家路に着いて、今日あったことを反芻した時に気付いた。
 俺、さっき、佐藤さんが”いなくて良かった”と思った……?
 いやいや、俺は池橋栄子のことが好きで、もはやガチ恋勢で、でも俺って、もしかすると佐藤さんのことが好き……?
 いやそれは単純接触のせいだ。初めてできた何でも話す相手だからそう感じてしまっているだけだ。
 俺は別に黒ギャルなんて好きじゃないし、って、見た目なんてそんな重要かと自問自答。
 でも俺は奴隷で、オナニー日記なんて送る下の下の下で、そんな俺が佐藤さんに恋愛なんてそもそもおこがましいというか。
 いやいやそもそも恋愛じゃないし。全然恋なんてしていないし。いやでも……否……の、否の……否の……否の、やめた。考えるの。
 適当にオナニーして、池橋栄子に叶わぬ恋をしていればいいだけだ。
 俺はぶっきらぼうにオナニーし始めた。
 ただ棒を擦っているだけでいい。