・【12 事件5.廊下で転ぶ人・解決編】


 やっぱりそうだ、これって匂い無いんだ。
 俺が前に、昔の人は何で体を洗っていたんだろうと思って調べたヤツ。
 なんとなく塩なのかなと思っていたら全然違って、ムクロジという木の実を乾燥させて、潰してモノを水に入れてかき混ぜると、よく泡立つって。
 このムクロジが石鹸の代わりとして使われていて、果皮に含まれるサポニンという成分で食器や頭髪を洗っていたって。
 これは匂いがしなくて(人によっては、ちょっとだけ自然の香りがするらしい)、昔の洗剤だから今のヤツよりは全然滑りみたいなのも弱いだろうし、というかこのムクロジの写真、まさしくあの廊下にあった黒いゴミカスっぽい……!
 ムクロジの木って、こういう場所にあるのか……それならば。
 俺は佐藤さんにLINEすることにした。
 そこから協議を重ねた。
 大体のところは決着した感じだ。
 佐藤さんからの証言からも間違いない。
 女子は基本的に誰かの邪魔にならないように、廊下の端っこを歩きやすいという佐藤さんの意見。
 逆に男子は、特に走っている男子は誰の邪魔とか関係無しに廊下の真ん中を走る、というのは俺の感覚でも分かった。
 つまりこの事件は男子だけを狙い撃ちにしているというわけだ。
 いつも中央で転ぶのはそういうことだ。
 言動もなんとなく一致しているような気がする。
 犯人はあの人だ。
 次の日の放課後、朝日会長が僕と佐藤さんの教室に来てくれて、すぐに今までの推理を朝日会長に話した。
「じゃあ行こうか」
 険しい表情になった朝日会長の後ろを俺と佐藤さんでついていった。
 分かってる。もしこの推理が正解だったら朝日会長は相当ショックだろう。
 でも多分これしかないと思う。
 俺も佐藤さんも朝日会長も無言だった。
 最近は晴れの日が続いていたが、今日は昼まで雨が降っていて、どんより湿った空気だ。
 そのくせ今はカンカン照りになっているので、アスファルト独特の蒸れた匂いが外に充満して、何だか吐き気がする。
 並木道を歩いているのに、不快感を抱く。
 そのままだんだん木々が濃くなっていき、荘厳な雰囲気に包まれてきた。
 木が二酸化炭素や余計な匂いを吸ってくれるからなのか、爽やかな風が通るようになっているが、相変わらず俺たちの足取りは重いままだ。
 むしろもっと、もっと、沼にハマっていくように重くなっていく。現に朝日会長の速度は明らかに遅くなっていた。
 まるでこのまま「じゃあ明日にしましょうか」と言ってほしそうに。
「ここだよ」
 と朝日会長から言われなくても分かった。
 だってここはこの辺でも有名な神社だったからだ。
 鳥居をくぐると、案の定というか、こんなハッキリと、といった感じに、ムクロジの木にハシゴを掛けて、実を取っている人がいた。
「村上副会長、ムクロジで何しているんですか」
 と俺が話し掛けると、振り向いた村上副会長は多分動揺そのままにハシゴを揺らし始めた。
 朝日会長は走ってハシゴの元へ行き、しっかり掴んだ。
「大丈夫、じゃぁ、ないよな?」
 そう上を向いた朝日会長の顔は何だか涙がこぼれないように強がっているような顔だった。
 村上副会長はゆっくりハシゴから降りてきて、朝日会長には会釈もせず、及び腰といった感じに一歩二歩と下がっている。
 俺はハッキリ言うことにした。
「ムクロジの実で、廊下を滑りやすくして、走る男子を転ばしていましたね」
「……っ! なんで」
「ムクロジの木って基本神社や寺にしかなくて。あと村上副会長、男子に廊下を走るなって言っていたみたいですね」
「ムクロジ……」
 そう言って俯いた村上副会長。
 朝日会長は村上副会長の肩をゆすりながら、
「何でこんなバカなことをしたんだ」
 と叱責するように言うと、村上副会長は今にも泣き出しそうな声で、
「だって、男子は言ってもバカなことをし続けるから」
「どういうことだ」
「廊下を走るなって、危ないじゃないですか。でもずっと走って。あぁ、私って無力だなぁ、と思ったんです。結局男子は女子の言うこと聞いてくれないんです」
「何か主語がデカいな」
「事実です」
 そうピシャリと言った村上副会長にたじろいだ朝日会長。
 村上副会長は続ける。
「ムクロジの実程度なら、走らなきゃ滑らないです。それくらいいいじゃないですか。中央を何も考えずに堂々と走る男子が転ぶだけ、それだけなんです」
「でももし重大な事故になったら、悲しくなるのはきっと村上、オマエのほうだぞ」
「分かりません、いやそんなことないです」
「分かるだろ!」
 そう語気を強めた朝日会長は小さな声で「スマン」と言ってから、
「とにかく村上が犯人ということで間違いないんだな。ならそれ相応の罰を受けるべきだ」
 村上副会長は俯きつつも、小さく頷いた。
 でも、と思って俺は、
「俺はもう村上副会長が十分な罰を受けていると思います」
「どこがだ」
 と朝日会長から怒りの念がこもった声が発せられた。
 でも俺は、ここは、と思って、気持ちを強く持って言う。
「だって村上副会長は一番知られたくない人に今、知られたんですから。それよりも言うことを聞かない男子のほうも悪いですよ」
「一番知られたくない人に……」
 とオウム返しした朝日会長は改めて村上副会長のほうを見ると、村上副会長は少し顔を上げてから、即座に朝日会長から顔を背けながら、
「ゴメンなさい……」
 と言ったところで、佐藤さんが柏手一発叩きながら、
「まっ! 重大なケガ人は出ていないんっしょ? もうこれで良くないっすか! むしろあーしは女子的にも言うこと聞かない男子とか気になるっすね! まあ益岡はめっちゃ聞いてくれるけど!」
 いや俺は弱みを握られているからだろと思いつつも、
「まあまずそこの改善からですねぇ」
 と頷くと、朝日会長がこう言った。
「本当にそんな終わりでいいと思っているのか」
 厳しい口調だった。
 ちょっとだけトラウマが顔を出しそうになったけども、それをなんとか押し込んで、
「いいですよ」
 と結局短く言うしかできなかったけども、その分、ちょっと強めの口調で言った。
 すると朝日会長は柔和な顔になって、
「じゃあいいか、もうするなよ、こんなこと。何か起きて心配になるのは村上なんだからな」
 そう優しく村上副会長の背中を叩いた朝日会長。
 すると村上副会長は、
「本当に申し訳御座いませんでした……」
 と泣き始めてしまい、朝日会長はちょっと目を丸くしながら、
「いや、そういうの、やめっ、ちょっとっ」
 と慌てていて、何だか同じ男性ながらに可愛かった。