学校に着き教室の扉を開けた時には、既に朝礼が始まっていた。

「ギリギリセーフだ」

 大きく背中を上下させながら陸斗がそう言った瞬間、教壇に立つ登坂先生が間髪入れずに「いえ、遅刻です」と言った。教室にどっと笑いが起き、私達はその中を自分の席へと歩いていった。

「君たち四人はどうしていつもそんなにギリギリなのですか?」

 ベージュのスーツを身に纏っている登坂先生が私達一人一人に目をやりながらそう言ったその瞬間、「あっ、登坂っちもギリギリって言った。陸斗、セーフだって由奈たち」と私の後ろに座る由奈が入口に近い席でペットボトルを口にしている陸斗をみる。陸斗は親指を突き立てた。

 その一連の流れに教室には再び笑いが起き、登坂先生は「もういいです。授業を始めます」と黒板に向かった。一見すると冷たく言い放ったように聴こえるが、眼鏡の奥にみえたその目は今日も穏やかな色を纏っていた。

 登坂先生は私達の担任で、担当してくれている教科は世界史だった。年齢は二十六歳で、他の先生達よりも一回りも二周りも若く、登坂先生の醸し出す大人の落ち着きというのか、ミステリアスな雰囲気というのか、とにかく他の人達とは少しばかり違うその異質な感じに惹かれて、陰で想いを寄せている女子たちも多かった。黒板に次々と書き込まれていく歴史をみながら私は何気なく翔太に目をやると、教科書とノートを開き、先生が黒板に書いたものをしっかりと書き込んでいるようだった。窓から差し込む冬の柔らかいひかりが、翔太の黒い髪に輪っかを作っていた。みとれていると、後ろから肩を叩かれた。

「何みてんの? このストーカー」
「違う。窓の向こうをみてたの」
「あっそ。ってかさ、登坂っちって何気にいい教師だよね」
「どうしてそう思うの?」
「必要以上に怒んないから。注意はするけど、怒んない。私達に反省させて、自分で考える余地を残したそのうえで、道を逸れかけたら修正してる気がする」

 なるほどと思う。大の大人嫌いで、ましてや教師なんかその中でも一番毛嫌いしていた由奈が、先生のことだけは登坂っちと親しみを込めているのも納得した気がした。

「まっ、ようするに由奈たちは登坂っちの手のひらのうえで上手いように転がされてるって訳だ。それが心地良いからいいんだけどね」
「そうだね」

 教科書を手に、世界の歴史を黒板に書き込む先生の背中が、微かにひかりを纏っているような気がした。