私の名前がまだ東堂沙結だった時、私は四季という言葉の響きと漢字のかたちが好きだった。
春から冬までの、四つの季節を表す言葉。しき。その言葉を口に含んだだけで、まるでふわりと身体が浮かぶような浮遊感と、好きな男の子の名前を口にしている時のようなくすぐったさがあった。
「ねぇ、四季って可愛くない?」と隣を歩いている由奈に微笑みかけると、由奈は呆れたように眉を下げ、大げさにため息をつく。それから言った。
「92回目」
「えっ?」
「沙結が由奈にその話をしてきたの、92回目」
由奈は指を折りながら、いやもしかしたら93? 94回目だったかも、とぶつぶつと呟き顔を徐に上げた。目鼻立ちのくっきりとしている由奈が、そんな風にぼんやりと空を眺めていると、まるで魂の与えられた人形が考え込んでいるみたいでおもしろかった。胸元にはピンクのリボンがあしらわれた灰色のブレザーを身に纏い、スカートから伸びる足は細く白い。十一月のひやりとした風が、私と由奈のスカートの裾を微かに揺らした。周りには私達と同じ制服を着ている子たちが、まるで川に流されているかのように同じ方向に向かって歩いている。
「そんなに言ってないよ」と私が訴えかけると、「いや、言ったよ。っていうか由奈みたいに優しい心を持った人じゃなかったら、10回目くらいでシャットアウトされてる」
「シャットアウト」
私は由奈が時折口にする言葉のニュアンスも好きで、オウム返しのように繰り返しみたくなる。
「うん。シャットアウト。良かったね由奈が優しい人で」
「まあね、それは良かったけどさ、でもみてよ」
私は、空へと手を伸ばすように枝を広げる木々に指を差す。最寄りの駅から私達の通う高校の通学路までは並木道が続いている。十一月ともなれば夏は青々と陽の光を弾いていた葉が赤や黄色へと染まっており、半分程は枯れ落ちてしまっていた。
「秋って感じするよね。いや、もうすぐ冬かも。あとさ、前から思ってたんだけど秋も冬も春も夏も、どうして二文字なんだろ? それを一纏めにしている四季って言葉も二文字だし。不思議だよね。なんか、かわいいし」
私がそう言うと、由奈は両の手のひらを空に向けるようにして広げ、それから首を横に振った。セミロングの緩く巻かれた茶色の髪が、微かに揺れる。
「あんたさ、感受性が豊かなのもいいことだし、四季が好きっていうのも勝手だけど、そんなに変なことばかり言ってたら一生彼氏出来ないよ?」
あとから「せっかく沙結は綺麗な顔してるのに」と付け足され、並木道を歩く私達の足音がちいさく鳴る。周りを歩く生徒たちの声が途端に大きくなって聴こえた。私が口淀んでいると、「翔太とはどうなってんの?」と畳み掛けるようにして問い掛けてくる。
「翔太とは」
その名前を声にのせただけで胸がこそばゆくなる。四季を口にする時みたいに。
「よく分かんないんだよね。私も気にはなってるんだけど、ほら翔太って感情をあんまり表に出さない人だし」
「まあね、翔太がいい奴って事は由奈だって分かってるんだけど、彼氏には勘弁だわ。友達なら全然いいけどね。あっ噂をすればだ」
由奈がふっと腕を持ち上げ、通りの向こうに向かって手を振った。並木道の端にある木にもたれている男子二人は、それに合わせるようにして右手を持ち上げた。翔太と陸斗だ。二人とも学ランに身を包んでおり、翔太は眉の下あたりまで前髪をおろす髪型をしていて陸斗はジェルを使って茶色に染めている前髪を綺麗に持ち上げている。二人とも綺麗な顔立ちをしていた。
「ねぇ聞いてよ。沙結がまた四季の話してきたんだけど」
合流するなり、由奈が陸斗に訴えかける。私達は横並びになって歩いていた。
「お前らよく同じ話ばっかしてて飽きないよな」
と陸斗が笑い、「いや、由奈はもう飽きてるんだって」と何故か私の発した発言のせいで陸斗が肩を叩かれていた。
「おはよう」
二人のいつものじゃれ合いを眺めていると、いつの間にか私の隣を歩いていた翔太が顔を向けてきていた。
「おはよう」
目が合って、もう数え切れない程何度も翔太の目はみているのに綺麗だと思ってしまった。以前、由奈に「翔太のどこが好きなの?」と聞かれたことがある。私は即答で目だと答えた。幅の整った綺麗な二重瞼に囲まれた、澄み切った綺麗な瞳。翔太は普段感情をあまり表に出すことがないのも相まってか感情による濁りがない。純度100%と言っても過言ではない程の、淀み一つないその黒い瞳にみつめられると、いつも吸い込まれそうになる。
「またしてんだ」
今日も吸い込まれそうそうになっていた私は、慌てて「えっ?」と聞き返した。
「四季の話」
「うん、好きだから」
「……が好き?」
枯れ落ちた葉が、灰色のコンクリートを鮮やかに彩っていた。それを靴で踏むと、パリっ、と心地良い音が鳴る。それに耳を澄ませていたせいでうまく聴き取れなかった。
「ごめん、なんて言った?」
「沙結は四季でどの季節が好き?」
沙結。そんな風に名前を呼ばれただけで、私はいつからか舞い上がりそうになっていた。翔太の髪は黒くて、指通りが良さそうで、目にかかりそうになっているその髪を、指先でそっとよけてあげたくなる。
「私は冬が好き。空気が澄んでて美味しいし、世界がどの季節よりも綺麗にみえる気がする。それに、星空も綺麗にみえるしね」
「そっか。俺も冬が好きかも。ちょうどさっき陸斗とそんな話を」
そこまで言いかけて、前を歩いていた陸斗に呼びかけた。隣を歩いていた由奈も振り返る。
「沙結と由奈にあの話しなくていいの?」
翔太の放ったその言葉に陸斗が、あっ、と口を開ける。それから横並びになって歩きながら陸斗が話してくれた。どうやら今夜の十時頃から深夜にかけて、しし座流星群というものがみえるらしく、陸斗の両親は旅行に出かけていて不在の為、車で山の頂にある展望台まで行って四人でみないかということだった。
「しし座流星群? あんた達ってそんなにロマンチストだっけ? なんかウケるんだけど」
由奈が小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「ほらな。だからこいつらに言うのは嫌だって言ったんだよ。いいよ翔太、二人で行こうぜ」
顔をほのかに赤く染めてふてくされた陸斗の代わりに、どうしてこんな話になったのかという過程を翔太が話してくれた。どうやら二人は私がよく四季を好きだと口にすることを変わっていると話していたらしく、その流れで冬にしかみれないようなものを二人で調べていたらしい。
「ねぇ、なんであんた達も四季の話してんの? 絶対に他の人達にそんな話しないでよ? 私達まで沙結みたいに変人だと思われるよ? っていうか、もう変人の集まりだと思われてたりして」
身構えることすらしていなかった私の心にちいさな棘が刺さった。由奈は時折こんな風にオブラートに包むことなく、思ったことを直接的な物言いでしてくる。
「まあ、それはそうかもしれないけど」と翔太まで私の心にちいさな棘を刺しながら前置きをし、それから言った。
「しし座流星群、一緒にみにいこうよ。卒業まであと半年もないんだし」
確かにそうだった。高校一年の時から私達はほぼ毎日一緒にいた。けれど、あと半年も経たない内に大学や就職、とそれぞれが人生の大きな岐路に立たされることになる。そうなれば、今のような関係は続けられないかもしれない。
「みにいこ! しし座流星群」
途端に切なさに駆られた私は、気付いた時にはそう口にしていた。今しか出来ないかもしれないなら、今やっておこう。あの時ああしていたら。そんな後悔したくない。
「沙結がそう言うなら」
由奈がそう呟いたのをみて、陸斗が決まりだなと白い歯を見せて笑う。
「細かいところは休み時間とか昼休みに決めていこうぜ。ってかそろそろ時間やばいよ。また登坂に嫌味言われる」
陸斗の放ったその言葉が合言葉かのように私達は並木道を駆け出した。十一月。頬に触れる風がつめたくて、冬の足音が聞こえてきそうだった。
私達はその時十八歳だった。幼く、でも純粋で、同時に愚かでもあった。
あの時ああしていたら。そんな後悔したくない。
その瞬間的に浮かんだ感情で「しし座流星群をみにいこう」などと私は言ってしまった。けれど、それを見にいったことによって、ひかりで溢れていた私達の人生が深い深い闇の奥底へと呑まれてしまうなんて、この時の私達は考えもしなかった。
春から冬までの、四つの季節を表す言葉。しき。その言葉を口に含んだだけで、まるでふわりと身体が浮かぶような浮遊感と、好きな男の子の名前を口にしている時のようなくすぐったさがあった。
「ねぇ、四季って可愛くない?」と隣を歩いている由奈に微笑みかけると、由奈は呆れたように眉を下げ、大げさにため息をつく。それから言った。
「92回目」
「えっ?」
「沙結が由奈にその話をしてきたの、92回目」
由奈は指を折りながら、いやもしかしたら93? 94回目だったかも、とぶつぶつと呟き顔を徐に上げた。目鼻立ちのくっきりとしている由奈が、そんな風にぼんやりと空を眺めていると、まるで魂の与えられた人形が考え込んでいるみたいでおもしろかった。胸元にはピンクのリボンがあしらわれた灰色のブレザーを身に纏い、スカートから伸びる足は細く白い。十一月のひやりとした風が、私と由奈のスカートの裾を微かに揺らした。周りには私達と同じ制服を着ている子たちが、まるで川に流されているかのように同じ方向に向かって歩いている。
「そんなに言ってないよ」と私が訴えかけると、「いや、言ったよ。っていうか由奈みたいに優しい心を持った人じゃなかったら、10回目くらいでシャットアウトされてる」
「シャットアウト」
私は由奈が時折口にする言葉のニュアンスも好きで、オウム返しのように繰り返しみたくなる。
「うん。シャットアウト。良かったね由奈が優しい人で」
「まあね、それは良かったけどさ、でもみてよ」
私は、空へと手を伸ばすように枝を広げる木々に指を差す。最寄りの駅から私達の通う高校の通学路までは並木道が続いている。十一月ともなれば夏は青々と陽の光を弾いていた葉が赤や黄色へと染まっており、半分程は枯れ落ちてしまっていた。
「秋って感じするよね。いや、もうすぐ冬かも。あとさ、前から思ってたんだけど秋も冬も春も夏も、どうして二文字なんだろ? それを一纏めにしている四季って言葉も二文字だし。不思議だよね。なんか、かわいいし」
私がそう言うと、由奈は両の手のひらを空に向けるようにして広げ、それから首を横に振った。セミロングの緩く巻かれた茶色の髪が、微かに揺れる。
「あんたさ、感受性が豊かなのもいいことだし、四季が好きっていうのも勝手だけど、そんなに変なことばかり言ってたら一生彼氏出来ないよ?」
あとから「せっかく沙結は綺麗な顔してるのに」と付け足され、並木道を歩く私達の足音がちいさく鳴る。周りを歩く生徒たちの声が途端に大きくなって聴こえた。私が口淀んでいると、「翔太とはどうなってんの?」と畳み掛けるようにして問い掛けてくる。
「翔太とは」
その名前を声にのせただけで胸がこそばゆくなる。四季を口にする時みたいに。
「よく分かんないんだよね。私も気にはなってるんだけど、ほら翔太って感情をあんまり表に出さない人だし」
「まあね、翔太がいい奴って事は由奈だって分かってるんだけど、彼氏には勘弁だわ。友達なら全然いいけどね。あっ噂をすればだ」
由奈がふっと腕を持ち上げ、通りの向こうに向かって手を振った。並木道の端にある木にもたれている男子二人は、それに合わせるようにして右手を持ち上げた。翔太と陸斗だ。二人とも学ランに身を包んでおり、翔太は眉の下あたりまで前髪をおろす髪型をしていて陸斗はジェルを使って茶色に染めている前髪を綺麗に持ち上げている。二人とも綺麗な顔立ちをしていた。
「ねぇ聞いてよ。沙結がまた四季の話してきたんだけど」
合流するなり、由奈が陸斗に訴えかける。私達は横並びになって歩いていた。
「お前らよく同じ話ばっかしてて飽きないよな」
と陸斗が笑い、「いや、由奈はもう飽きてるんだって」と何故か私の発した発言のせいで陸斗が肩を叩かれていた。
「おはよう」
二人のいつものじゃれ合いを眺めていると、いつの間にか私の隣を歩いていた翔太が顔を向けてきていた。
「おはよう」
目が合って、もう数え切れない程何度も翔太の目はみているのに綺麗だと思ってしまった。以前、由奈に「翔太のどこが好きなの?」と聞かれたことがある。私は即答で目だと答えた。幅の整った綺麗な二重瞼に囲まれた、澄み切った綺麗な瞳。翔太は普段感情をあまり表に出すことがないのも相まってか感情による濁りがない。純度100%と言っても過言ではない程の、淀み一つないその黒い瞳にみつめられると、いつも吸い込まれそうになる。
「またしてんだ」
今日も吸い込まれそうそうになっていた私は、慌てて「えっ?」と聞き返した。
「四季の話」
「うん、好きだから」
「……が好き?」
枯れ落ちた葉が、灰色のコンクリートを鮮やかに彩っていた。それを靴で踏むと、パリっ、と心地良い音が鳴る。それに耳を澄ませていたせいでうまく聴き取れなかった。
「ごめん、なんて言った?」
「沙結は四季でどの季節が好き?」
沙結。そんな風に名前を呼ばれただけで、私はいつからか舞い上がりそうになっていた。翔太の髪は黒くて、指通りが良さそうで、目にかかりそうになっているその髪を、指先でそっとよけてあげたくなる。
「私は冬が好き。空気が澄んでて美味しいし、世界がどの季節よりも綺麗にみえる気がする。それに、星空も綺麗にみえるしね」
「そっか。俺も冬が好きかも。ちょうどさっき陸斗とそんな話を」
そこまで言いかけて、前を歩いていた陸斗に呼びかけた。隣を歩いていた由奈も振り返る。
「沙結と由奈にあの話しなくていいの?」
翔太の放ったその言葉に陸斗が、あっ、と口を開ける。それから横並びになって歩きながら陸斗が話してくれた。どうやら今夜の十時頃から深夜にかけて、しし座流星群というものがみえるらしく、陸斗の両親は旅行に出かけていて不在の為、車で山の頂にある展望台まで行って四人でみないかということだった。
「しし座流星群? あんた達ってそんなにロマンチストだっけ? なんかウケるんだけど」
由奈が小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「ほらな。だからこいつらに言うのは嫌だって言ったんだよ。いいよ翔太、二人で行こうぜ」
顔をほのかに赤く染めてふてくされた陸斗の代わりに、どうしてこんな話になったのかという過程を翔太が話してくれた。どうやら二人は私がよく四季を好きだと口にすることを変わっていると話していたらしく、その流れで冬にしかみれないようなものを二人で調べていたらしい。
「ねぇ、なんであんた達も四季の話してんの? 絶対に他の人達にそんな話しないでよ? 私達まで沙結みたいに変人だと思われるよ? っていうか、もう変人の集まりだと思われてたりして」
身構えることすらしていなかった私の心にちいさな棘が刺さった。由奈は時折こんな風にオブラートに包むことなく、思ったことを直接的な物言いでしてくる。
「まあ、それはそうかもしれないけど」と翔太まで私の心にちいさな棘を刺しながら前置きをし、それから言った。
「しし座流星群、一緒にみにいこうよ。卒業まであと半年もないんだし」
確かにそうだった。高校一年の時から私達はほぼ毎日一緒にいた。けれど、あと半年も経たない内に大学や就職、とそれぞれが人生の大きな岐路に立たされることになる。そうなれば、今のような関係は続けられないかもしれない。
「みにいこ! しし座流星群」
途端に切なさに駆られた私は、気付いた時にはそう口にしていた。今しか出来ないかもしれないなら、今やっておこう。あの時ああしていたら。そんな後悔したくない。
「沙結がそう言うなら」
由奈がそう呟いたのをみて、陸斗が決まりだなと白い歯を見せて笑う。
「細かいところは休み時間とか昼休みに決めていこうぜ。ってかそろそろ時間やばいよ。また登坂に嫌味言われる」
陸斗の放ったその言葉が合言葉かのように私達は並木道を駆け出した。十一月。頬に触れる風がつめたくて、冬の足音が聞こえてきそうだった。
私達はその時十八歳だった。幼く、でも純粋で、同時に愚かでもあった。
あの時ああしていたら。そんな後悔したくない。
その瞬間的に浮かんだ感情で「しし座流星群をみにいこう」などと私は言ってしまった。けれど、それを見にいったことによって、ひかりで溢れていた私達の人生が深い深い闇の奥底へと呑まれてしまうなんて、この時の私達は考えもしなかった。