中々眠りにつけなかった。先生からは「沙結さんにはこれを」と寝袋を手渡されたが、通路の床は金属製で固く、冬の空気をめいいっぱいに吸い込んだつめたさが身体の内側へと這い上がってくる。

 ぼんやりと天井を眺めていた。先のみえない人生をなんとか思い描こうとしていた。その時、見上げていた天井の真上でなにが動いた気がした。一瞬にしてぞわりとした悪寒が走る。これまでにも何度も経験したものだ。咄嗟に身体を起こした。

 二階の通路で、一定の間隔を設けて私達は横になっていた。二階は壁に沿うようにして細い通路があるだけで、一階は吹き抜きになっている。一番端にいた私からだと皆の姿がよくみえる。皆、寝息を立てている。天井はアーチ状になっており、ガラス板が所々にはめこまれていた。だから、みえた。数人の人影がこの廃工場の真上で動いていることを。すぐに全員を起こした。

「逃げようぜ。下には誰もいない」

 陸斗が言うように一階はコンクリート制の床とだだっ広い空間が広がっているだけだった。陸斗が身体を屈めながら階段の方へと向かっていき、「ちょっと待って下さい」と先生が声をかけた時だった。陸斗の靴先が何かに当たった。からん、と金属を打ち慣らす音が嫌に響いた。鼓動が一瞬にして早まった。陸斗がそうしたからじゃない。前に由奈と二人でマックにいる時に背後から感じた悪寒を感じたのだ。間違いない。工藤が、この場所にいる。

「皆! 上!」

 由奈の声だった。切り裂くようなその声が響き渡ったのと、割れたガラス片と一緒にワイヤーを使い奴らが天井が降りてきたのは同じだった。金属の破裂する音が鼓膜に触れた時には、私は壁に身体を打ち付けられていた。左肩と太ももに焼けるような痛みが走り、叫び声をあげた。すぐ傍には私の隣に立っていた由奈が大きく目を見開いている。撃たれたのだと、その時になってやっと気付いた。

「大丈夫か?」

 陸斗に身体を揺すられ、ちいさく頷いた。その頃には痛みがだいぶましになっていた。由奈も大きく咳き込んでいる。どうやら息を吹き返したようだった。氷と手すりの隙間から下を覗いた。一階に五人。二階の通路にも同じくらいいる。先生が私達の今いる通路の前に一枚、反対側の通路からも撃たれないようにともう一枚の氷の壁で防いでくれてはいたが長くは持ちそうにない。

「陸斗、俺が奴らのとこに連れてったら操れるか?」

 翔太がそう声をかけると、陸斗はちいさく頷いた。恐らく氷の壁の更に向こうの、通路の端から私達を撃っている奴らのことを指しているのだろう。

「だけど素肌に触れられなくちゃ意味がない。あいつら、ホテルにいた時みたいに特殊部隊のスーツみたいなの着てやがるから」
「それは俺が外すよ」
「どうやってだよ。いくら俺たちが透明になってたって、奴らが大人しく服を脱がせてはくれないだろ」

 二人とも声を張り上げていた。そうしなければ銃声で満ちたこの空間で声は通らない。

「私が幻覚を使う」

 二人の間に割って入ると、陸斗も翔太も私をまじまじとみつめてくる。

「私が幻覚で動きを止めるからその間に二人でやって」
「沙結、一度に幻覚を掛けられるのは五人までだろ? あいつらとは距離があるから俺たちが向かってる間に沙結は撃たれるって」

 翔太は私を心配してくれているようだった。その澄んだ瞳をみながら「大丈夫」と肩に手を置いた。「私は、どうせ死ねないから」と笑みを向ける。そんな私をみて「やるしかない」と陸斗が呟き、三人で立ち上がった。

「先生、今から奴らのところに突っ込んできます」
「話は聞いてました。壁は作り続けていますからまずいと思ったら中に戻ってきて下さい」
「分かりました。皆、行くぞ!」

 三人で手を繋いだ瞬間、私達の身体は一瞬にして透き通り、氷の壁の外へと飛び出した。無数の銃弾が飛んできている。その雨が一瞬途切れてから、私は翔太の手を離した。瞬間、右肩に痛みが走った。次は左足。遅れて銃声が鼓膜に届く。まだだ。まだ死ねない。翔太と陸斗は今奴らのところに向かって直線上に伸びる通路を駆けている。奴らの素肌に陸斗が触れられるそれまでは、と手すりに手を添え体勢を保ち、右手を持ち上げた。三人。そいつらが私に向かって銃口を向けたその瞬間、通路が崩れ落ち闇に呑まれる幻覚をみせた。反対側の通路にいる二人にも同じものをみせる。男たちは叫び声をあげ、垂直に伸びる壁に手を伸ばそうと必死だった。見届けてから、私は噴水のように口から血を噴きあげた。左胸が熱い。けれど、痛みは感じなかった。一階から撃たれたようだった。

 揺れながら倒れ、微かに残されていた意識の先で翔太と陸斗の姿がみえた。既に奴らの服のつなぎ目である首筋に手を差し入れていた。

「奴らを殺せ」

 陸斗の目が青く染まった。その瞬間、翔太と陸斗の周りにいた三人の男たちはまず反対側の通路にいた男たちを狙撃し、一階にいる五人へと銃を向けていた。私の意識はそこで途切れた。