「僕が沙結に告白をしたのは、十五年前の冬のある日のことでした」

 翔太は遠い過去の記憶を懐かしむように目を細めて話し始めた。私はその穏やかな声に導かれるように、記憶の海に手を伸ばした。


──沙結さんにはこれを。

 先生から手渡されたのは新幹線のチケットだった。新しい名前に身分証、それから新しい土地での住居など、いよいよ全ての用意が整い、私達はそれまでとは別の人生を歩み出さなければならなかった。

「沙結……元気でね」
「うん。十六年後だね」

 移り住む街や名前を変えるのは十五年に一度。その一つの区切りを終えたあと新たな街が見つかるまでの期間だけ十六年後の春にまたこの家で皆で集まりましょう。というのは先生の提案だった。目を真っ赤に染めた由奈と泣きながら抱擁し、陸斗とは最後まで馬鹿みたいな話をし、最後に翔太に挨拶をと声をかけると、家の外へと連れ出された。周りには木々が立ち並び、家の正面には自然が織りなすトンネルがみえる。それら全てが白に染まっていた。この数ヶ月、私達の暮らしていたこの森は雪が降らない日の方が少なかったのだ。トンネルを翔太と二人で横並びになって歩いていた。

「沙結」

 翔太が足を止めた。振り返り、言葉を慎重に選ぼうとしている翔太の表情をみて、気付いた。私は、もうすぐ告白される。

「俺さ」

 ぽつり、と言葉を溢す度に翔太の口から白い霧がふわりと放たれている。

「沙結のことが」
「好きだよ」

 被せるようにしてそう言うと、翔太が「えっ」と目を丸くする。

「私も翔太が好き」

 その目をみながら言った。翔太が好き。ずっと伝えたかったその言葉を声にした瞬間、泣きそうだった。

「えっ? あっ、俺も沙結のことがずっと好きで」
「ごめんね」
「何が?」
「翔太の告白ちゃんと聞いてあげられなくて。でも、ほら、そろそろ皆の所に戻らなくちゃじゃん。だから」

 涙が零れ落ちた。

「気持ちの確認、とかデートとか、全部、すっ飛ばしてもいい?」

 声を詰まらせながらもそう微笑みかけると、翔太は私の気持ちを察してくれたようだった。乱雑に手のひらで涙を脱ったあと、気付いた時には身体を抱きしめられていた。翔太の身体の震えがより私の涙腺を緩めた。泣きながら向かい合い、泣きながら唇を重ねた。次に会えるその日まで、声を聞くことすら出来ない。それが互いに分かっているからこそ、何度も唇を重ねた。翔太の体温を、その唇のぬくもりを、この身に閉じ込めておきたかった。十六年後の約束の日まで。

 数時間後、私達は日本各地に散り散りになった。予め渡されていた資料で私が移り住む場所はちいさな港町であることは分かってはいたが、実際にその場に立ってみると、そのちいさな港町ですらとてつもなく広く感じ孤独に押し潰されそうだった。

 用意されていたアパートに荷物を置き、ひとりで海辺を歩いた。防波堤の向こうには水平線がみえた。冬の空気が澄んでいるせいか、海と空の濃度の違う青さがくっきりと分かれており、その境界線が綺麗だった。みながら、私の人生みたいだと思った。数ヶ月前までは母と父がいて、心を許せる友達にも恵まれていた。平凡な日常だったけど幸せだった。でも今は、たった一人でこの土地に立っている。私は、一人だ。

 もっと綺麗にみたくて防波堤に登った。足をぶらぶらとさせながらぼんやりと境界線をみつめた。そうしている内に、気付いた時には肩が震えていた。涙が止まらなかった。どうしてあの時。しし座流星群なんか見に行かなければ良かった。何度も浮かび上がってはその度に処理してきた後悔が、より涙の勢いを強くした。冬の澄み切った空の下、声をあげて泣いた。

「ちょっと」

 潮の風がばたばたと私の髪を打ち付けていた。声が聴こえた気がしたけれど、風の音だったのかもしれない。そう思い再び海に目を向けようとした時、今度はさっきよりも大きな声で「ちょっと、そこのお嬢さん」と声が聴こえた。間違いなく空耳なんかじゃないと振り返ると、私が腰を下ろしていた防波堤のちょうど真下のあたりに一人の女性が立っていた。右手には袋を下げ、服の上から黄色のドット柄のエプロンを纏っていた。

「降りてきて」

 言わがれるまま防波堤から降り、すぐ傍にあったバス停のベンチに腰を下ろした。

「寒いわね」

 女性がぽつりと呟き、私は目元を拭ってからちいさく頷いた。そんな私をみながら女性がふふっと笑みを溢した。「残ってるわよ」と私の目元から涙を優しく拭い去ってくれる。それから言った。

「あなた、どこから来たの?」

 春の陽だまりのような柔らかい笑みだった。