水が滴る音が鼓膜に触れる。洗面台の中にすっぽりと収めた両の手のひらから、水が零れ落ちているのがみえる。つめたい。少し遅れてそう感じ、ぼんやりとそれをみつめた。部屋の奥から怒鳴り声が聴こえてくる。自分が腰を屈めていたことには、その時に気付いた。顔を上げる。鏡には私が映っていた。胸元まで流れた黒い髪。大きな目と顔の左右をくっきりと線引きするような高い鼻。あれ、と思い右手を持ち上げる。鏡に映る私は、頬に手を添えていた。みながら、再び思う。私って、こんなに白かったっけ。

 洗面所から部屋に戻ると、皆が声を荒げていた。足を進める度にひりついた空気が肌に触れ、微かに痛みを覚える。

「どうしたの?」

 ベッドに腰掛けている由奈の隣に座った。由奈は途端に眉を寄せ「どうしたのってふざけてんの?」と問い返してくる。由奈が言ってる意味が私には分からなかった。

「私、ほんとに」

 ぽつりぽつり溢す私に由奈は大げさにため息をつき、「沙結だって混乱してるのは分かるけど、ぼんやりしないでよ。さっき、手紙が届いたじゃんか」と膝の上にのせていた私の手にそれを握らせた。

「……手紙」

 呟きながら、目を落とした。

〈東堂沙結様

 先日、手紙を届けようとして驚いてしまいました。あなたが住んでいた部屋がもぬけの殻になっていたからです。

 以前私が手紙に書いたことが気に触ったのでしょうか。それでしたら、謝ります。心から謝罪をさせて頂きます。ごめんなさい。

 さて、謝罪を済ませたことですし、今日は一つお聞きしたいことがあります。突然の手紙ですし、不躾(ぶしつけ)にこんな事をお伺いすることは失礼を承知で書かせて頂きます。

 天使の皆様は、皆等しく季節という言葉が好きなのでしょうか?〉

「な、にこれ」

 読みながら声が震えていた。そんな私に由奈が横から教えてくれる。ついさっき、私達が宿泊している部屋の扉の隙間にこれが挟まっていたということを。

「どう考えたっておかしいだろ!」

 部屋の中に空気を切り裂くような声を陸斗が放ち、その肩に手を置いている翔太が「落ち着いて」と宥めている。陸斗はその手を振りほどいた。

「落ち着いていられる訳ねえだろ。誰なんだよ」

 怒りを孕んだ陸斗の声が室内に転がる。

「このホテルに泊まることを決めたのは、ほんの三時間前のことだぞ」

 私は聞きながらベッド脇にある時計に視線を送った。時刻は深夜一時だった。確か最後に時計を確認したのは午後十時。いつの間にか三時間も経っていたことに動悸(どうき)が激しくなる。「それに」と陸斗は続ける。

「あの手紙には具体的に書かれてた。沙結が季節を好きだって事は俺たちしか知らないはずだ」

 そう。あの手紙を読んだ瞬間、以前読んだ手紙やXに呟かれた内容とは比べ物にならない程の悪寒が走ったのは、高校時代の私を知っている人間しか知り得ない情報が書かれていたからだ。今日ポストされた内容も具体性を帯びてはいたが、この手紙はより踏み込んだ内容が書かれている。つまり、私のことをよく知っている誰かという事だ。由奈はずっと耐えていたのだろう。私の隣で弾かれたように声をあげて泣き始めた。部屋の中の空気が湿り気を帯びる中、陸斗が言った。

「俺たちの中にユダがいる」

 高校時代に築き上げ、十五年という長い月日の間ずっと再会を待ち焦がれていた、固く結ばれていたはずの私達の絆は、まるで蜘蛛の糸のようにいとも容易(たやす)く断ち切られた。