陸斗が働いているという店の中は限界まで照明が絞られて薄暗く、天井から吊るされたミラーボールが控えめな光が六つのL字型のソファ席を染め上げていた。有線から流れてくる音楽はどれも聞き覚えのある曲ばかりで、お酒と煙草と女性の香水が混じり合った、夜の猥雑(わいざつ)な匂いがした。広い店ではなかった。だから、見覚えのあるその面影をすぐに見つけることが出来た。

「陸斗」

 声をかける。ソファに腕をかけたま女性を包み込むようにして座り、少年のようなあどけない笑みを向けていた。だが、ゆっくりと振り向き私の姿をみた瞬間、陸斗の顔から潮が引くように笑みが消えていった。足先から頭の先まで何度も視線も彷徨わせ、それから言った。

「う、そだろ」

 声が震えていた。陸斗の腕の中にいる女性が陸斗の耳元に「ねぇ海。この人たちだれ?」と身体をよじらせながら甘い声をあげていたが、陸斗の視界にはもう入っていなかったのかもしれなかった。

「沙結! 由奈に翔太も。まじかよ? 十五年ぶりだな」

 店内は薄暗かったけれど、陸斗の目に水が張っているようにみえた。その瞳が先程よりも照明の光をきらりと反射している。陸斗はすっと立ち上がり私達の元へと駆けてこようとして寸前のところで、足を止めた。奥から先生が歩いてきているのがみえたのだろう。先生は店に入るなりトイレに行っていたのだ。

「そっか。感動の再会って訳じゃなさそうだな」

 陸斗は何かを悟ったかのように、だらりとソファに腰を下ろした。

「陸斗くん、残念ながらその通りです。今日ここに来たのは感動の再会を果たす為じゃありません」
「俺に罰を与えにきたのか?」
「正直、僕はそうするべきだと判断していましたが、ここにいる君の友達はそれに反対のようです」

 陸斗はその言葉を受け、「そっか」とぽつりと溢し、私達に視線を配らせた。要件は外で伝えると告げると、陸斗は渋々といった感じで席から立ち上がる。すると、まるで磁石に引き寄せれるようにソファに座っていた女性が陸斗の背中にぴたりとくっついた。

「陸斗くん、その女性は」

 先生がすぐさま制止しようとするが、「ああ、こいつは大丈夫だよ」と陸斗はひらひらと手を振った。店を出た瞬間、その女性にちょっと離れてと声を掛ける。それから左肩に手を置き「おつかれさん」と言った。その時の陸斗の目は青く染まっていた。

 女性はふっと何かが抜けたかのようにそれまで絶やさず貼り付けていた笑みが消えさり、歌舞伎町の街並みを口を半開きにしたままぽかんと見上げた。それから私達には目もくれることなく、人混みの中へと消えていった。先生が陸斗の胸もとを抉るように掴んだのは、そのすぐ後だった。

「能力を使ったんですか」
「あ?」
「なんの罪もない一般の人間に、君は今まで能力を使い続けてきたのですか?」

 シャッターの降りた店に押し付けられ、陸斗は一瞬だけ顔を俯いたがすぐに向き直った。

「……生きる為だ」
「なんですか」

 先生が問い掛けた拍子に自分の胸元にかかっていた手を力付くで引き離し、「なあ、あんた」と今度は陸斗が先生の胸ぐらを掴んだ。

「いつまで俺たちの先生(づら)してんだよ。あんたが俺たちの教師だったのは十五年も前のことだぞ? それからあんたがしてくれたってなんだよ。家と新しい名前だけ与えて、そっからは年に一度の定期連絡だけ。それでよく今でも教師みたいな面できるよな」

 誰も陸斗を止めはしなかった。この十五年間、陸斗が言ったことを一度でも思わなかったと言えば嘘になるからだ。勿論同じ境遇に置かれている先生に全てを求めすぎているという事は分かっている。先生の立場に立ってみれば、そんな風に詰め寄られても理不尽に感じてしまうということも。だけど、陸斗の言ったことを否定する力を誰も持ってはいなかった。

「家族も友達もいない。連絡は年に一度で支援もない。それで、どうやって生きていけってんだよ」

 絞り出すようにそう言って、ずるり、と先生の胸元から手が離された。警察、という言葉が鼓膜に触れたのはそのすぐ後だった。振り返ると何人かの野次馬が集まっていた。喧嘩をしていると思われたのかもしれない。そのうちの一人がカメラをこちらに向けている事に気付いた瞬間、まずいと思った。だが私がそう思った時には由奈が先生の元へと駆けよっていた。

「先生、もう行かないと」

 促されるように振り返り、すぐさま先生は顔を下げた。それから自分の被っていた帽子を陸斗の頭にのせる。 

「陸斗くん、今までのこと、これからのこと全て謝罪します。すみませんでした。でも、今はここから離れなければなりません。事情はその時に。いいですね?」

 これまで怒鳴りあっていたのが嘘かのように先生は淡々に陸斗を諭した。最初は顔をしかめていた陸斗だったが、ちいさく頷いた。その時の表情は少しだけ十五年前に戻っていた気がした。