夜だった。いつの間にか、窓の向こうは闇が満ちており、その中でポートタワーが赤と黄色の強いひかりを放っていた。三角錐と逆さにした三角錐を繋ぎ合わせたようなかたちの、光る塔が目の前にある。

「きれい」

 思わずそう呟いた。ぼんやりとそれをみていると、「沙結、由奈はどこに行くって言ってた?」と翔太に問い掛けられた。

「由奈どこに行ったの?」
「ちょっと一人になりたいんだってって、沙結が言ったんじゃん」
「……そう」

 由奈はどこかに行ったらしい。もしかしたら、そうなのかもしれない。頭が重くてぼんやりとする。

「いや、じゃなくて、どこに行ったか知ってる?って聞いてんだけど」
「知らないの」

 本当のことだった。目をみてそう言うと、ソファチェアに腰掛けていた先生が「翔太くん、もういいです。どのみち決を取るのは明日ですし、今は由奈さんを一人にしてあげましょう」とふっと立ち上がった。それから、シャワーを浴びてきます、と私達に告げた。程なくしてシャワールールから水が滴る音が聴こえてくる。

「ねぇ、何の決を取るの?」

 翔太が目を丸くする。

「なにって、陸斗を探すかどうかの決だけど」

 なるほどと思う。多数決なら、公平に決められる。意見の相違があったとしても一つのグループで動いている以上は、数が多い方の意見に従わなければならない。決を取るのは明日だと先生は言っていた。それまでに自分の天秤がどちらに傾いているのかを見極めろという事だろう。高校時代の友情か、陸斗以外の仲間や自分の家族とを。

「沙結」

 ベッドに腰を下ろしたまま、ぼんやりと考えていると、翔太が私をみつめていた。

「なに?」
「今日のことなんだけど」
「うん」
「ずっとつめたい態度をとっててごめん。沙結にどう接したらいいのか分からなくて。俺、あの時」

 絞り出すようにして翔太が言葉を紡いでいた時、扉の解錠される音が鼓膜に触れた。それから扉がゆっくりと開かれ、部屋の中へと入ってきたのは由奈だった。

「どうしたの?」

 由奈の表情をみて、私はそう声をかけずにはいられなかった。今にも泣き出しそうで、顔色も悪い。青白く、まるで何かに怯えているような気すらした。

「由奈たち、もう、終わったかもしれない」

 どさり、と全身の力が抜け落ちるかのように、私の隣に腰を下ろした由奈は「みてよこれ」と携帯を手渡してくる。それから顔を覆い隠す姿をみて、一体何がと私は携帯に目を落とした。その瞬間、銃弾か何かで身体を撃ち抜かれたかのような衝撃が走った。

「……嘘でしょ。な、にこれ。なんで?」

 由奈の携帯は、Xの画面が開かれていた。ユーザーがその日に起きた出来事を、気ままに呟くような、日本中の人が知っているSNSだった。そこにはこう書かれていた。

〈今からここに名前をあげる者たちは、世間では死んだことになっています。ですが、実際には当たり前のように生きています。

 彼らが何故生きていることを隠しているのか、その理由は追々話します。まずは、ここに名前だけをあげていきます。

 東堂沙結(とうどうさゆ)
 高橋由奈(たかはしゆな)
 林陸斗(はやしりくと)
 青木翔太(あおきしょうた)
 登坂満(とさかみつる)

 上記に挙げた5人の名前を調べてもらえば、この人物達の詳細を知ることは容易いと思います。ですが、それは真実ではありません。彼らは、今も生きています。では、どうして隠すのか。それは何故でしょう?〉

 私が読み終える少し前に、隣からみていた翔太が「ふざけんな!」と声を張り上げた。私はあまりの衝撃に声を出すことが出来なくなっていた。

「誰だよ……一体誰が俺たちが生きていることを突き止めた」
「分かんないないよ。由奈だって、分かんない。ねぇ、これ由奈たち大丈夫? もう駄目なんじゃないの?」

 由奈の放った言葉は、具体性を帯びていなくどこか抽象的だった。けれど、私も翔太も一瞬にしてその言葉が意味することを読み取っていたように思う。SNSに呟かれていたのは、文章だけだった。情報として明かされているのは名前のみだ。だが、もし誰かが私達の名前を調べたら、当時の記事がネットの深い海から引き上げられてしまう。当時の私達は未成年だった為にそこに顔写真は記載されていない。だが、同じ高校から生徒四名と教師一人が同時にこの世から消えるという事柄は世間を賑わせ、ワイドショーは連日私達のを取り上げた。そして、それに群がるように匿名のアカウントが面白半分で私達の顔写真をネットにあげた。名前を検索すると私達の中学の卒業写真があがってくる。もし、その写真をみた人間に道すがら気づかれたら。このSNSに書かれている事が真実であると自ら告げるようなものだ。そうなったら、もうこの世界では生きられなくなるかもしれない。考えただけで吐き気がした。胸の下あたりが途端に痛くなり、内から何かがせりあがってくる。すぐさま口元を手で抑え、トイレに駆け込んだ。 

 トイレの隣にはシャワールールがある。ひとしきり吐いたあと洗面台に向かおうとした。そこには先生が立っていた。

「一体どうしたんです。怒鳴り声が聴こえて急いで出てきましたが、どうして泣いてるんです」
「……先生。私達は、たぶんもう、この世界では生きられない」