二人が滞在しているホテルは、私と先生が降り立った港から徒歩で十分程の距離にあった。大きな自動ドアを抜けた先には広々としたエントランスがまずに目に入り、支柱の傍にあるソファや天井から吊るされたシャンデリア、壁や床に施された装飾の細部に至るまで、全てが洗練されている気がした。エレベーターのドアが開くと先生が歩みを進める。402号室の前で立ち上まり、チャイムを押した。

「僕です。開けて下さい」

 少しの間があってから扉が開いた。その瞬間、まるで何かが弾けたかのように感情が溢れ、わっと涙が溢れた。

「由奈っ。由奈。元気だった?」

 扉を開けてくれた由奈は、私が身体を抱き締めるその少し前から泣いていて、大きく身体を震わせながら何度も頷いていた。

「……いろいろあったけど元気、だった。沙結、全然変わってない。高校三年の時の、ままだ」
「うん。由奈も」

 目の淵からお互いに涙を流しながらも微笑んだ。由奈の姿は、髪型が変わっていたことを除けば、全てが当時のままだった。体型は勿論のこと、肌のはりや質感などその細部に至るまで、私の記憶の中で生き続けていた高校三年の時の由奈のままだった。十五年ぶりの再会を感情を露わにして喜んでいた私達に「二人とも。嬉しいのはわかりますが、その辺で」と翔太と抱擁(ほうよう)を済ませたばかりの先生が声をかけてくる。部屋の中央にはベッドが二つあり、先生はその隣にあるソファチェアに腰掛けていた。大きなガラス窓の向こうには、まるで赤い鉄材を丁寧に並べ建てたような塔がみえる。あれはポートタワーと言うんですよ、と道中に先生が教えてくれた。先生の座る椅子の向かいに翔太は腰を下ろした。

「久しぶり」

 ベッドに腰を下ろしながら笑みを向けた。けれど、翔太は窓の向こうにみえるポートタワーに目を向けながら、ただ一言「ああ」と言っただけだった。

「えっそれだけ?」と由奈が途端に私の表情を伺うように覗き込んでくる。目の淵にはまだ涙が張り付いていた。

「十五年ぶりだよ? 私と会った時は泣いてたじゃん。なんで沙結にだけそんな感じなの?」

 由奈の問い掛けにも翔太は「別に普通だよ」と言葉を濁すばかりで、由奈は釈然としないようだった。十五年前あんた達喧嘩でもしてたっけ?と問い掛けられ、私は首を横に振った。喧嘩はしていないというその点に関して嘘は無かったけれど、私が翔太に思うところはあった。きっと翔太もそうなのだろう。言葉を交わさずとも態度で分かる。

「とにかく」

 静寂が降りかけていた部屋の中に、先生が声を放った。

「これからの事を話し合いましょう。それと、沙結さんの名前を呼ぶのはやめて下さい。今は美月さんです」

 由奈が、あっ、という顔をする。私も由奈との再会があまりにも嬉しくて思わずその名を呼んでしまっていたが、私は佐久間美月に。由奈は、佐藤涼香《さとうりょうか》という名に変わっている。

「でも先生」と思いついたように由奈が声をあげた。

「次に移り住む場所が決まれば、また新しい名前に変わるんだよね?」
「ええ、勿論です。今の名前は使えなくなりますから」
「じゃあさ、それまでの間は私達との会話の中だけなら本名でいいじゃん。別に本名で役所に行こうとしてる訳じゃないんだし」
「分かりました。今回は特別に認めます」

 先生のその言葉に、由奈が「やったぁ」と声をあげる。高校の頃に緩く巻かれていた茶色の髪は黒のストレートになり、レイヤーのはいった大人な感じの髪型に仕上げられてはいるが、口ぶりや雰囲気は、全てが当時のままだった。さっきは久しぶりに会えたことで私も感情を露わにすることが出来たが、由奈とは対照的に私は老いてしまったように思う。もしかしたら、翔太もそうなのかもしれない。私達の肉体が老いることはないが、心はちゃんと年老いていく。誰しも平等に訪れる時間という流れが、不老不死である私達にだけ特別に作用するはずがない。普通の人が過ごす一日は、私達にとっても同じ一日だ。何度も巡り続ける季節はゆっくりと、でも着実に、私たちの心から若さを奪っていくのだ。

「このホテルには今日を入れて二日滞在する予定です。その間に決断しなければなりません。陸斗くんを、見捨てるか否かを」

 部屋に備えつけられているコーヒーメーカーのボタンを押し、カップに滴り落ちる黒い液体に視線を置きながら先生はそう言った。私はそれをみながら先生の心は一体いつ死んだのだろうと考えていた。