神戸に降り立ってからすぐに、私がこれまで住んでいた町とは潮の香りが違うと思った。例えるならば、スイレンやハイビスカスというようにそれらを一括りにして花の香りと呼ぶことは出来るけれど、当然のことながら花の種類によってその香りは全く違うのと同じで、もしかしたら潮の香りにも幾つもの種類があるのかもしれない。

「美月さん、こっちです」

 ぼんやりと街並みを眺めていると、先生に呼びかけられた。いつの間にか私は海外の観光客の人たちに囲まれていたようだった。

「この街は人が多いですから出来るだけ顔を伏せ人目を避けて下さい」

 急いで先生の元へと駆けよった私に子供に注意するように諭してくる。反省し、「すみません」と頭を下げた。

「以前にも言いましたが、僕たちは姿かたちのみえない透明な幽霊から逃げているようなものなんです。それに、手紙の件もある。君に手紙を送った相手が誰にしろ、君の自宅のポストにまでわざわざ届けることから鑑みても攻撃性や狂気すら感じてしまいます。目に入る人間は、全て敵だと思いながら行動して下さい」

 姿かたちのみえない透明な幽霊、と私は胸の中で呟いた。船に乗っていた間、私は先生にあることを問いかけていた。

──先生、ずっと思ってたんですけど私のポストに手紙を入れたのがequlitus (エクリタス)という可能性はないですか?
 
 デッキに腕をかけながら、先生は間髪入れずに言った。

──まずないでしょうね。仮に奴らがあなたという人間の正体を知り、居所まで掴んでいた場合は手紙うんぬんの前に捕えられています。そして、あなたの肉体から天使が抜け落ちるその時がくるまで永遠に苦痛を与えられることになるでしょう。

 思い出しただけで鳥肌がたった。永遠に苦痛を与えられるなんて、考えたくもない。
 
「先を急ぎましょう。二人は既に着いているようです」と先生は歩みを進めた。私は、その背を足早に追いかけた。