「先生?」

 あまりの衝撃に全員が声を揃えた。姿をみられる訳には行かないと逃げ出したが、それが知らない誰かではなく登坂先生であったことに全員が胸を撫で下ろしたのだと思う。だが、そんな心境でいる私達とは対照的に先生は大きく身体を震わせていた。

「神様……どうして、ですか? こんなの、あんまりだ」

 先生は泣いていた。それをみて、私は由奈と、陸斗は翔太と顔を見合わせていた。意味が分からなかった。

「先生、私達この近くで事故を起こしちゃって」と腰を屈め、私は先生に声をかけた。すると、その瞬間両肩を掴まれた。

「なにを、みましたか?」

 いつも穏やかな色を纏っている先生の瞳が、血走っていた。

「えっ、意味がよく」
「なにをみたんです」
「だから意味が……先生、痛い」

 肩を掴まれている腕の力が、次第に強められていく。

「君たちは、死ぬ寸前に何をみたのかと聞いてるんです!」

 えっ、と溢れ落ちた声が誰のものだったのかは分からない。もしかしたら、先生以外の、私達全員がその声を溢していたのかもしれない。静寂が降りた。血に塗れた制服。車内にあった血液。それも、致死量だと翔太は言った。あれをみて、一瞬でも頭に過ぎらなかったと言えば嘘になる。

──ねぇ、これさ由奈たちもう死んでたりしないよね?

 現に、由奈もそれを口にしていた。けれど、今の私達は確かに生きている。自分の足で立って話し、呼吸もしている。死んでから生き返ったとでもいうのだろうか? だが、誰がそんな非現実的なことを、ましてやそれが自分の身に起きている出来事だと受け入れることが出来るだろう。そんなの、無理だった。

「先生……なにを言ってるんですか?」
「そうよ。登坂っち、おかしな事言わないで。私達、今こうして生きて話してるじゃん。っていうか、登坂っちこそこんな所で何してんの?」
「先生、車が」
「助けを呼びに行きべきかどうかを迷っていたんです」

 私達全員が思い思いの言葉を口にする中、先生がようやく私の肩から手を離し、すっと立ち上がった。顔をあげ、それから言った。

「君たちは」

 夜空を見上げる先生はいつもの声に戻っていた。抑揚のない、穏やかな声。

「星雲をみたのですね?」

 私達全員の顔を見渡し、誰一人として否定しないことを答えとして受け取ったようだった。どうして先生がそのことを、と問い掛ける者はいなかった。そう言った時の先生の顔が、あまりにも辛そうで声をかけることが出来なかったのだ。

 先生は少しの間夜空を仰ぎ、森から放たれた新鮮な空気を取り入れるように大きく息を吸い込んだ。それから再び私達に向き直った時には、目に強いひかりを宿していた。

「この道を真っ直ぐ行くと小川があります。流れに沿って一キロ程歩いてください。そこに僕の車があります」
「あーそれは助かるよ。でも、俺の車ぺしゃんこになっちゃったから、レッカー呼ばなきゃだよな? 先生、番号知ってる?」

 陸斗が何気なくそう問い掛けると、先生は「車のことは忘れて下さい」と歩みを進めた。ちょっと待てよ、と陸斗が先生の肩を掴む。

「車の事は忘れて下さいって……あれ、親の車だからそんな訳には行かねぇんだけど」
「そんな小さな事を今は気にしている状況ではありません」
「さっきから何言って」

 納得が出来ずにいた陸斗の頬を先生が打った。夜の森は静寂が満ちていた。だから、乾いた音が響き渡った。何すんだよ、と詰め寄ろうとする陸斗に先生は冷たく言い放った。

「同じ事を何度も言わせないで下さい。川の流れに沿って一キロ程歩いていて下さいと言ってるんです。死にたいんですか?」

 死。先生の口からそんな言葉が出るとは思いもせず、陸斗を含めた全員が顔を引き攣らせてしまったように思う。

「……なに? もう、なんなの? 由奈、怖い」

 口元を手で覆い隠すようにして由奈が蚊の鳴くような声で言った。私自身、微かに身体が震えていた。今の自分たちがどんな状況に置かれているのか。それは、とうに理解していたつもりだったけれど、先生の口ぶりから察すると、私の想像出来る範疇を超えた、とてつもない状況に身を置いているのかもしれないと思い始めていた。先生は、そんは私たちの心境を察してくれたようだった。

「すみません、怖がらせるつもりは無かったんです。僕は君たちの車から君たちに繋がりかねない証拠を一度全て回収しにいきます。後で必ず追いつきますから、川の流れに沿って歩いて下さい。お願いします」

 頭を下げる先生をみて、「みんな、先生の言う通りにしよう」と翔太が言った。俺たちを守ろうとしてくれてるのは確かだと丁寧に言葉を選ぶようにして付け足され、私達はちいさく頷いた。

「車の傍にある木陰にでも隠れていて下さい」

 先生は原型を失ってしまった陸斗の車の方へと歩いていった。