「なんなのこれ」

 由奈が叫びにも似たような声をあげる。車内には致死量をゆうに超える血液が流れてた。それなのに、私達の身体には傷一つない。これまで経験したことも、見聞きしたことすらないその事実が一度は凪いでいた私たちの胸の内を混沌の最中へとおとした。

「ねぇ、これさ由奈たちもう死んでたりしないよね?」
「そんなこと本気で言ってんのか?」

 陸斗が由奈へと向けたその声は苛立ちを孕んでいた。

「だって映画とかでこんな話よくあるじゃん。現実世界で死んじゃって魂だけ抜け出すみたいなやつ」
「じゃあ俺たちの死体はどこにあるんだよ」
「分かんないよ、そんなこと由奈が知る訳ないでしょ?」

 由奈の頬を赤い涙が伝っていく。それを拭う手のひらも真っ赤に染まっていた。それから少しの間、由奈の啜り泣く声と鼓膜に触れる川のせせらぎだけが私達のいる空間を満たしていた。この時の私達の頭の中には、携帯を取り出しすぐに助けを呼ぼうという選択肢が無かった。そもそも誰一人として傷を負っていない事も理由の一つではあったが、この不可思議な現象をどうやって説明するのか、いや説明するべきなのかどうかすらも迷っていた。

 だからこそ、山の奥深くから物音が聴こえてきたその瞬間、本来なら縋り付いてでも助けを求めるべき状況なのにも関わらず、咄嗟に全員が身を屈めたのだ。

「なんか聴こえる」
「しっ! 静かにしろ」

 身体を寄せ合い、草木に身体が隠れるようにと出来るだけ身体を縮こませた。

「動物かな?」

 由奈がぽつりと呟くと、翔太がすぐさま「いや、ちがう」と否定した。

「みて。あの光、懐中電灯だ」

 翔太が指を差す方角には、確かに直線上に伸びる光が葉が擦れる音と共に揺れ動いていた。ざっ、ざっ、土を踏み鳴らす音が近づいてくる。

「翔太、どうする?」
「俺たちの今の姿をみられたら面倒なことになるかもしれない。一先ず、ここから逃げよう」

 それを合図に駆け出そうとした時だった。まだ懐中電灯を持つ相手とは闇に紛れて逃げられる距離にいるとは思っていたが、気付いた時には距離を詰められていた。だが、肩を掴まれ、私が振り返ったその瞬間、懐中電灯を手にしていたその誰かは膝から崩れ落ちた。

「どうして、君たちが」

 闇の中、振り絞るように声を放ったのは、私達の担任の登坂先生だった。