8
同じ頃、ニューヨークでは日本の大使がインド大使と面会していた。
不曲が首席補佐官に頼み込んだことが実現したのだ。
しかし、自分が同席するとは思っていなかった。
「言い出しっぺとしての責任を果たしなさい」と首席補佐官に言われて従ったが、緊張のせいか、さっきから喉が渇いて仕方がなかった。
大使はダイレクトに本題には入らず、別の話題から始めた。
「ハンガリーで与党が勝利したようですね」
「そのようですね。事前の予想に反して大勝したと聞いています」
インド大使は胸の前で両手を広げて少し驚いたような仕草を見せた。
「プーチンとの関係を国民が疑問視しているという情報もありましたからね」
インド大使は〈そうだ〉というふうに大きく一度頷いた。
「それで、この結果をどういうふうに受け止められていらっしゃいますか」
「そうですね~」
即答を避けるように視線を外し、同席している女性スタッフの方に目をやった。
そして、思わせ振りに頬を緩めたあと大使に視線を戻し、「他国の政治体制については干渉しないことにしておりますのでコメントは差し控えさせていただきます」とそっけなく言った。
「そうですか。ざっくばらんに情報交換をしたいと考えておりましたが、そうもいかないようですね」
皮肉を込めて大使が返しても、彼はまったく気にしていないかのように表情を変えなかった。
それで変化球は効果がないと見たのか、大使が直球を投げ込んだ。
「ところで、ロシアから石油の輸入について新たな商談をされていると伺いましたが」
「ほう、そんな情報があるとは知りませんでした。それはどこからもたらされたものですか?」
彼はしらっとしらばくれた。
「えっ、ご存じなかったですか?」
大使も同様な態度で応えた。
「知りませんね~。本国からは遠いのでなかなか情報が伝わらなくて」
1万1千キロの距離が邪魔をしているとまたもしらばっくれた。
「電話やメールだと一瞬ですけどね」
大使は相手にせず、更に突っ込んだ。
「ロシアを非難せず、制裁もせず、その上、エネルギーや武器の取引を拡大することを国際世論がどう見ているのか考えられたことはありますか?」
今度は効いただろうと不曲は期待したが、彼の表情は変わらなかった。
目が泳ぐことも無かった。
あらかじめ想定して態度を決めていたとしか思えなかった。
それでも大使は諦めずに言葉を重ねた。
「同じ常任理事国を目指す国として、協調して世界の平和に貢献すべきと考えておりますが、明確なお返事を聞かせていただけませんか?」
不曲がじっと見つめる中、彼は間を置くように右手で口元を何度も撫でたあと、今までより一段と低く強い声を発した。
「そのことに対して異論はありません。世界の平和に貢献するという姿勢が揺らぐことはありません。しかし、インドはパキスタンや中国と争っている最中だということをお忘れないようにお願いします。また、ハンガリー同様エネルギーを国産だけで賄うことは不可能であることもご認識いただきたいのです」
それは本音に違いなかった。
しかし、日本が同意するわけにはいかない。
抜け道に目を瞑ることはできないのだ。
ここは踏ん張りどころと大使に強い視線を送ったが、口をギュッと結んだままインド大使を見つめているだけだった。
国の存立基盤を損なうことはできないと言われてはそれ以上突っ込むことはできないのだろう。
それは理解できるが、なんの成果も得られないまま終わろうとする会談にもどかしい思いを抑えることができなかった。
しかしその時、「大変なお立場でいらっしゃることは十分理解しております。ですが、ウクライナではなんの罪もない多くの人々が命を落としているという現実があります。私たちはそれを指をくわえて見ているわけにはいきません。様々な歴史があり、現実があり、利害があることは承知しておりますが、それを超えた人道的な対応が必要だと思っております。世界の大国となられた貴国に置かれましても、大所高所からのご判断と対応を賜りますよう、よろしくお願いいたします」と相手の目を見つめてしっかりと言い切った。
やるじゃない!
不曲は、インド大使を立てながらも言うべきことを言った大使を見直した。
この調子で頼むわよ。
席を立った大使の背中を見つめながら、心の中で尻を叩いた。
同じ頃、ニューヨークでは日本の大使がインド大使と面会していた。
不曲が首席補佐官に頼み込んだことが実現したのだ。
しかし、自分が同席するとは思っていなかった。
「言い出しっぺとしての責任を果たしなさい」と首席補佐官に言われて従ったが、緊張のせいか、さっきから喉が渇いて仕方がなかった。
大使はダイレクトに本題には入らず、別の話題から始めた。
「ハンガリーで与党が勝利したようですね」
「そのようですね。事前の予想に反して大勝したと聞いています」
インド大使は胸の前で両手を広げて少し驚いたような仕草を見せた。
「プーチンとの関係を国民が疑問視しているという情報もありましたからね」
インド大使は〈そうだ〉というふうに大きく一度頷いた。
「それで、この結果をどういうふうに受け止められていらっしゃいますか」
「そうですね~」
即答を避けるように視線を外し、同席している女性スタッフの方に目をやった。
そして、思わせ振りに頬を緩めたあと大使に視線を戻し、「他国の政治体制については干渉しないことにしておりますのでコメントは差し控えさせていただきます」とそっけなく言った。
「そうですか。ざっくばらんに情報交換をしたいと考えておりましたが、そうもいかないようですね」
皮肉を込めて大使が返しても、彼はまったく気にしていないかのように表情を変えなかった。
それで変化球は効果がないと見たのか、大使が直球を投げ込んだ。
「ところで、ロシアから石油の輸入について新たな商談をされていると伺いましたが」
「ほう、そんな情報があるとは知りませんでした。それはどこからもたらされたものですか?」
彼はしらっとしらばくれた。
「えっ、ご存じなかったですか?」
大使も同様な態度で応えた。
「知りませんね~。本国からは遠いのでなかなか情報が伝わらなくて」
1万1千キロの距離が邪魔をしているとまたもしらばっくれた。
「電話やメールだと一瞬ですけどね」
大使は相手にせず、更に突っ込んだ。
「ロシアを非難せず、制裁もせず、その上、エネルギーや武器の取引を拡大することを国際世論がどう見ているのか考えられたことはありますか?」
今度は効いただろうと不曲は期待したが、彼の表情は変わらなかった。
目が泳ぐことも無かった。
あらかじめ想定して態度を決めていたとしか思えなかった。
それでも大使は諦めずに言葉を重ねた。
「同じ常任理事国を目指す国として、協調して世界の平和に貢献すべきと考えておりますが、明確なお返事を聞かせていただけませんか?」
不曲がじっと見つめる中、彼は間を置くように右手で口元を何度も撫でたあと、今までより一段と低く強い声を発した。
「そのことに対して異論はありません。世界の平和に貢献するという姿勢が揺らぐことはありません。しかし、インドはパキスタンや中国と争っている最中だということをお忘れないようにお願いします。また、ハンガリー同様エネルギーを国産だけで賄うことは不可能であることもご認識いただきたいのです」
それは本音に違いなかった。
しかし、日本が同意するわけにはいかない。
抜け道に目を瞑ることはできないのだ。
ここは踏ん張りどころと大使に強い視線を送ったが、口をギュッと結んだままインド大使を見つめているだけだった。
国の存立基盤を損なうことはできないと言われてはそれ以上突っ込むことはできないのだろう。
それは理解できるが、なんの成果も得られないまま終わろうとする会談にもどかしい思いを抑えることができなかった。
しかしその時、「大変なお立場でいらっしゃることは十分理解しております。ですが、ウクライナではなんの罪もない多くの人々が命を落としているという現実があります。私たちはそれを指をくわえて見ているわけにはいきません。様々な歴史があり、現実があり、利害があることは承知しておりますが、それを超えた人道的な対応が必要だと思っております。世界の大国となられた貴国に置かれましても、大所高所からのご判断と対応を賜りますよう、よろしくお願いいたします」と相手の目を見つめてしっかりと言い切った。
やるじゃない!
不曲は、インド大使を立てながらも言うべきことを言った大使を見直した。
この調子で頼むわよ。
席を立った大使の背中を見つめながら、心の中で尻を叩いた。