「お邪魔します、差し入れでーす」

 父親は小さな芸能事務所を経営している。
 子役時代から世話になった事務所から、父さんの事務所に移籍してきたのが八木沢(やぎさわ)くん。
 子役時代から培った経験を活かすことができた八木沢くんは、一気に父さんの事務所の稼ぎ頭へと成長した。

「お疲れ様、(しゅう)くん! ありがとう! すっごく助かっちゃう」
「いつも父が、お世話になってます」

 小規模の事務所のため、社長室はないようなもの。

(あ、八木沢くんだ)

 俺の父親兼社長とマネージャーの仲上(なかがみ)さん、そして八木沢くんが険しい表情で向き合っているところを目撃した。
 スタッフさんに挨拶をしながら、クラスメイトの八木沢くんにちらちらと視線を向ける。

(今日も推しは、かっこいい!)

 幼い頃から子役として活躍していた八木沢くんが出演したドラマや映画は何度も見直し、同い年とは思えない大人びた演技力に心を奪われた。
 こんなにも心に深く響く芝居ができる彼に、一般庶民の自分は一気に魅了されてしまった。

(もう十年以上は、推しやってるなー)

 小さい頃から八木沢くんの推しをやってるってことは学校でも有名で、それをからかいのネタにされることもあったけど、もう周囲にからかわれるだけの時代は終わった。
 俺は、誰もが認める八木沢嶺矢ファンへと昇格した。

「どうしようかな……」
「だってですよ、社長! 今どきの子って食に関心がないらしくて、適当に済ませちゃうらしいですよ!」
「食事が嫌いならサプリメントもあるもんなー」
「社長!」

 声が筒抜けになっている事務所の造りに物申したいところではあるけれど、それだけスタッフのみなさんや所属者が信頼されているということなのかもしれない。
 この事務所に情報漏洩する奴はいないぞっていう、父の信頼あってこその事務所の造りなのかもしれない。

「ある程度年齢がいった大人ならともかく、成長期の子どもがサプリメント生活はダメですよ!」
「体が資本だもんな」
「その体が資本なのに、マンションで倒れてるとかありえないですから!」
「だよなー……」

 事務所のスタッフさんたちと談笑しながらも、八木沢くんのことがどうしても気になった。

(八木沢くんが、倒れた!?)

 いくら仕事が忙しいからって、学業が疎かにならないように事務所はきちんと配慮しているはず。

(でも、八木沢くん……休まないで毎日、学校来てる……)

 どんなに事務所が配慮しても、心休まらない日々が続いていたのかもしれない。
 八木沢くんファンでもあるけど、八木沢くんの同級生として彼の体調を気遣えなかったことを悔やんでいると、俺が視線を八木沢くんに向けたタイミングと父親(社長)が俺を見たタイミングが重なった。

「え、あ、父さ……じゃない、社長……どうし……」

 これが、すべての始まり。

「うちで引き取るか」

 この発言を受けて、驚かなかった人は一人もいないと思う。

「は? え、社長……?」
「は? じゃなくて本気だよ、嶺矢」
「ちょっ」

 何か事情があってのことだとは思う。
 でも、社長の一言を受けて、口角が上がりそうになってしまった。
 
「こっちは親御さんから、大切な息子さんをお預かりしてる身だからな」
「でも……」
「しっかり食べさせないとダメなんだって」

 本当の息子に語りかけるときのように、社長は深刻そうな声を出しながらも表情には優しさが含まれていた。

「この業界で長くやっていきたいなら、尚更、体をしっかり作る。ちゃんと食べて、ちゃんと寝るっていう基本から整えていく。その手伝いをさせてほしい」

 八木沢くんは黙り込んで、頭の中でいろんなことに思考を巡らせていた。
 まだやれるっていう悔しい気持ちが彼の中に確かにあるからこそ、素直に言葉を返すことができないんだろなってことが伝わってくる。

「八木沢くん」

 八木沢くんは親元を離れて、一人暮らしをしているって聞いてる。
 父さんも言っていたけど、俺たちは八木沢くんが将来も俳優を続けていくための手伝いがしたいって気持ちを伝えるために一歩踏み出す。

「もっと八木沢くんの芝居が見たい。俺たちファンを、もっともっと芝居で楽しませて」
「柊、でも……」

 小学生の頃からの付き合いでもあり、子役の頃から芸能界で活躍している八木沢嶺矢くんと同居生活が始まるなんて嬉しい以外の何物でもない。

「ファンを楽しませるために、まだファンじゃない人たちを魅了するために、八木沢くんがやらなきゃいけないことは?」
「っ」

 なぜなら俺は。
 とっくの大昔に、テレビ画面の向こう側で活躍する[[rb:八木沢嶺矢 > やぎさわみねや]]に惚れ込んだ。それ以来、俺は俳優八木沢嶺矢の大ファンなのだから。

「俺たちを頼ってよ、八木沢くん」

 八木沢くんはきっと、一人暮らしと仕事と学業の三つを両立させたい。
 それを叶える力がない自分のことを責めているって分かっているからこそ、俺は何度だって優しい言葉を彼の元に届けたいって思う。

「週刊誌に騒がれることもあるかもしれない」
「わかってる! 社長のお気に入りとか、そういうことだよね!」

 マネージャーの仲上さんは社長の決断が揺るがないと判断して、既に諦めた様子。
 社長に抗議をしているのは、八木沢くんただ一人となった。

「八木沢嶺矢を、うちで面倒見るぞ」
「了解っ」
「あの!」

 振り返ってみると、乗り気だったのは父と息子の二人だけだったかもしれない。

「将来の儲け……ごほん。将来の可能性に比べたらゴシップの一つや二つ……」
「社長のお気に入りは、あまり宜しくないかと思いますよ」

 マネージャーの仲上さんが社長のツッコミ役になってくれたところで、ようやく俺は八木沢くんと目が合った。
 
「ごめん……、(しゅう)……」

 でも、俺はここで違和感を抱いた。

「八木沢くん……」

 なぜなら。

「俺のこと知ってるの!?」

 このときの自分は、俳優の八木沢嶺矢に認知されているなんて思いもしなかった。
 小学校のときから同級生をやっているとはいえ、自分は特に秀でたもののない一クラスメイトでしかないはず。
 これからも輝かしい学校生活とは縁遠い場所で生きていくものだと思い込んでいたから、八木沢くんの口から自分の名前が出てきたことに驚かされてしまった。

「……え、俺たち、小学校の頃から一緒……」
「いや、だって、子役として活躍されていた八木沢くんが、俺のこと知ってるとは思ってなかったから」

 淡々と現実を語る。
 でも、八木沢くんから認識されていたことが嬉しすぎて、次第に自分の表情は綻んでしまったかもしれない。

「ということで、(しゅう)

 社長とマネージャーの話し合いが終わったらしい。

「うちの稼ぎ頭をよろしく頼む」
「任せされた!」

 円満に話がまとまり、社長と俺の間に穏やかな空気が流れる。
 当の本人である八木沢くんは、その穏やかな空気を受け止めきれなかったかもしれないけど。